第12話 1-11 コーヒーとレストラン

 マイアミでは、乗り継ぎに4時間の余裕があったので、まず、免税ショップでカナダ産のアイスワインを購入し、ターミナルホテルのレストランでまともな夕食をとることにした。


 まず、免税ショップに入るとすぐに、酒類が売られている棚の方へ行く。アジア系の顔をしたおかっぱ頭に近いほど髪を短く切ったアジア系の女性が中国語で話しかけていた。

 どうやら、中国人と間違われたらしい。福岡は街中中国人観光客だらけだが、一代前の合衆国大統領が行った経済戦争のおかげで、合衆国内に中国人観光客の姿は少ない。


 元春が英語に切り替えると、流暢な英語で応対し始めた。彼女は中国系アメリカ人の二世だ。中国人観光客が減っていて、元春と広志を見て、久し振りの中国人かと思って思わず中国語で声をかけたらしい。

 広志は彼女の子音が完全に消えたかのような発音の英語を聞いて、中学時代までに学んだ英語が死んだ英語であったことを改めて実感した。

 語学の高橋先生の言い放った強い言葉を小さく反芻はんすうする。

「今まで習った英語は全て忘れなさい、かぁ(ホントそのとおりだな)」


 アイスワインは何種類かあったが、カナダ産のアイスワインはちょうど品切れということだったが、彼女がどこかに電話で確認し、別の店舗には在庫があるということで、そこまで、わざわざ取りにいく。


 免税ショップの前にあるたたみ1枚分くらいのスペースにコーヒーショップがある。

「広志、コーヒーでも飲むか」

 広志はカーリーヘアのキューバ系と思われる黒人の、ひとりは少し太り気味でもうひとりはやせ形だか顔の見分けがつかないオバさんたちが、スペイン語で何やらかしましく会話をしているのを見て、井戸端会議という言葉を思い浮かべながらメニューの看板に目をやる。


 コーヒー一杯が1.99ドル。さっき見かけたスタバでは一番安いコーヒーが5ドルしたから半額以下だ。

 なんだか真っ黒そうなコーヒーを見て、「砂糖とミルクたっぷりで」と答える。


 元春がスペイン語でオーダーすると、オバさんたちはふたりとも大げさに驚いて見せて、更に元春にたいしては、何やらとんでもない行為をしていると強調するように大げさに手を振って否定している。


 元春が、両肩を少しすくめて、ひと言いうと、呆れたかのような顔をしたが、慣れた手つきで、ビールサーバを小さくしたかのような機械でコーヒーを入れ始めた。


 最初に少し太った方のオバさんが「カフェ コン レチェ コン アスカルさとういりみるくこーひー」とゆっくり発音して広志にミルクコーヒーが入った紙コップを渡すと、次に苦虫をかみつぶしたかのような顔をして、「カフェ シンアスカルぶらっくこーひー」といって親父にコーヒーを渡している。


 元春が、精算を済ませ、またひと言いうと今度はオバさんふたりでお腹を抱えて大笑いをしている。

 ここマイアミを訪れる観光客は多いが、アジア系でスペイン語を話す人は少ない。それだけでも珍しいのだが。


「親父、なんか楽しそうだったな」

「ああ、こっちの人で砂糖を入れないコーヒーを飲む人はいないらしい。まるで珍獣扱いだったよ」

 なるほど、広志が飲んでいるミルクコーヒーは砂糖をどれだけ入れたのかと思うほど甘かった。


 コーヒーを飲み終わってしばらくすると、電動カートに乗った免税ショップのお姉さんが戻ってくる。空港内は年寄りや職員用に無料の電動カートが走っている。運転手を含めて6人くらいは乗れる。

 少しでも早く届けようと思ってくれたのか、ラクしたいと思ったのかは不明だが、約束の時間通り、10分で戻ってきてくれたようだ。


 元春は嬉しかったのか、予定になかった香水まで注文している。姫子に電話しているところを見ると姫子へのお土産のようだ。免税品は飛行機の搭乗口で受け取ることになる。広志は元春が免税店で購入手続きをしている間にこっそりと隣の土産物屋でを購入した。


 広志たちは日本に帰る途中、このマイアミで1泊し、ちょうど新年の行事でマイアミに来る予定の盛夫と会食することになっている。そのため、空港のターミナル内に建設されているインターナショナル・エアポートホテルを予約しており、今日はその7階にある展望レストランで食事することにしたのだ。


 広志は元春が旅行前からマイアミでの食費にお金をかける計画であったことを知らなかったが、「マイアミのロブスターは絶品だと食い道ログに載っていたからな。盛夫やリーナが気に入ってくれるか、ちょっと確認しておこう」という言葉で、確かに普段から倹約家ではあるが、元春が成田で迷わず吉牛を選択した理由を知った。合衆国は州毎に消費税が違いマイアミのあるフロリダ州の税率は20%なので、決して少なくない支払いになることまでは知らないが。


 ターミナル内にあるホテルは、入り口こそ、受付カウンター前にエレベーターがあるだけの目立たない作りだったが、レストランは高級感があり、働いているウエイターやウエイトレスの数も多い。全員、白を基調とした黒い制服を着ている。

 入り口にはふたりのドアマンが両側に控えていて、広志たちが前に進むと腰を中心に分度器で測ったかのような綺麗な礼をしてドアを開けた。


 受付で予約客ではないと告げるとクレジットカードを見せるようお願いされる。元春がクレジットカード渡すと、姫子と同年代だと思われるブロンドの天然パーマ風の髪で、ラメの入った白いブラウスに黒の蝶ネクタイの背筋をピンと張った女性が、ひとりの黒人ウエイターを呼び出した。

 どうやらふたりの担当らしい。


 ふたりはグランドピアノの生演奏をしているレストランの中心付近でも窓側でもない中間にあるテーブルに案内された。

 受付の女性は、この時間帯のフロアマネージャーだ。カード情報と服装から元春が日本人だか金持ちではないと判断すると、多くの観光客に割り当てる三等地の担当者を呼んだのだ。このレストランでは、ウエイターはそれぞれ給仕するテーブルが固定されており、担当者以外が接客することを厳しく禁じている。


 一等地は、少し段差がありフロアの中でも少しだけ高位置にある窓側。

 二等地は、ピアノ演奏者に曲名を注文できる真ん中。

 四等地は、照明が届きにくいうえ少し空気が澱んでいる壁際だ。


 広志は緊張するというより少し怯えていた。分厚い板張りの床に年代を感じさせる調度品の数々、まるで映画で見た景色そのものだ。夜景が見える窓の外では飛行機の離着陸が楽しめる。


 しかし何よりも、広志達の目の前で、メニューを片手に艦砲射撃のように早口で、つばを飛ばしながら、オススメの料理を説明する黒人のウエイターに圧倒されていた。どうやれば止められるか見当も付かない。


 このまま押し切られ、高価なメニューを注文することしかイメージが湧かない。昔、早口でまくし立てる黒人俳優の映画を見た覚えがあるが、それを地で行く人がいるとは思わなかった。


 元春が手の平でウエイターを制するそぶりを見せると、ウエイターが喋るのを止めた。「これからまた飛行機に乗るので簡単な食事をしに来たんだ。サウザンドアイランドソースのサラダと入り口に掲示してあったお勧めのロブスター料理を一人前ずつと100パーセントのオレンジジュースをふたり分頼むよ。」


 広志が事前にネットで調べておいた情報では、こちらではウエイターはチップ収入で生計を立てており、だいたい会計の1割から2割くらいがチップに相当するとあった。

 そして、良いウエイターだと適切な料理をお勧めしてくるが、悪いウエイターはとにかく料金が嵩む注文を出させようとするから注意した方が良いとも書いてあった。

 そう、危険は知っていても、対応できるかどうかは別なのだとつくづく思い知らされた。


 そして、出てきた料理を見て二度目のびっくり。

 一人前しか頼んでいないはずなのに、2人でも多すぎるくらいだ。サラダだけでお腹がいっぱいになった広志は、元春が請求書を確認しているのを見て、元春でも予想外だったことを知った。


 オレンジジュースは一杯10ドル、サラダは15ドル、ロブスターは60ドル、消費税20%でサービス料が20%と書かれている。サービス料が書かれているのでチップを支払う必要はない。カードで支払いを済ませた元春が広志にそっと呟いた。

「帰りに盛夫叔父さんとマイアミで待ち合わせしているが、ここだけはやめとこう」

 広志は素直に頷いた。


 ◇ ◇ ◇

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