さすらいの旅

日々野いずる:DISCORD文芸部

栞の砂

 露店の果実を手に取った。じっくりと見る。よく熟れていて真っ赤に染まった果実だ。齧りついたら、きっとさっぱりした果汁が口のなかに広がるだろう。

「オルガ、何を見てるの」

「あ、はい、果物です。おいしそうだなと思って」

 オルガは肩越しにかけられた声に振り返った。

 彼は砂漠用のフードを目深くかぶっていた。オルガはそれに目を細め、自分のフードも深くかぶりなおした。

「おいしそうだけど、やっぱり砂漠の果物は高いです」

「そうだね、おいしそうだけど目が飛び出るほど高い」

 果実を店先の山づみにされているひとつに戻す。店主は目尻に細かく皺の寄っている目でこっちを見据え、ふんと鼻を鳴らした。

 隣に並ぶとバザールの中を人の波に乗って歩き出す。

 彼が言った。

「なんか、久しぶりだ」

「ええ、ほんとに。待っていました」

 彼がフードの奥で笑ったような気配がした。オルガは我慢できず彼に向って飛びついた。ギュッと抱き着く。自分が広げた腕の中にちゃんといる。

 バザールを行きかう人々は道の往来をさまたげている二人を邪魔そうに避けて、また新しい道の流れを作った。

「このまま、会えないのかと思いました。もしかすると、本当はいなかったのかも、とも思いました」

「今回は何か月も会えなかったからね」

「なんで、こんなに待たせるんですか?」

「怒らないで、ごめんね」

「ええ、でも……」

 自分よりも頭二つ大きい場所にある彼の顔をじっと見上げる。強い日差しがフードの中をより暗くしている。表情はよくわからない。

「いつまでも一緒にいるから、大丈夫だよ」

「……じゃあぎゅっとしてください」

 彼はきついくらいぎゅっとオルガを抱きしめた。

 

「本?ですか?」

 きょとりとオルガはまたたいた。

「うんそうなんだ」

 それが欲しくてね、きっとオルガのためにもなる。

 彼はこの街にある図書館へ行こうと言う。

「どんな本なんですか?何の話が載っているの?」

 オルガは質問を飛ばしたが「見ればわかるよ、大丈夫」と答えになってない答えを言う。少し不満げにオルガは口を尖らせた。

 ただ、と彼は言った。

「入るのに、ちょっと苦労しそうなんだよね」

「え?なんでです?」

「うん?きっとよそ者は入れてもらえないから。それに星の奥底の秘密を握った禁書らしいよ」

「正攻法なら、でしょう」

「そうだね、僕も正面から入ってこんにちは、とやるつもりはないけどね」

 ――たまには冒険もどうかなと思っただけ。

 見上げると豪奢な石造りの建物だった。この星にしては古くからあるようだ。砂が入り込んでいた床にうっすらとちいさな足跡がつく。強い日差しを避けるためはめ込まれた窓は小さい。遠くまで続く砂漠が見えた。薄暗いその部屋はあった。

「彼女?」

「ええ、そうみたいです」

 オルガは腕に着けていた腕輪に手をふれた。脳裏に展開されるデータを読むと、人としての組成ではないことが知れた。

「彼女、人の形をしているんだ、それは知らなかったな」

「ええでも、確かに『本』のようですね」

 少女はおびえる動物のように、こちらを注視していた。

「……わたしをさらいに来たのか?」

「うーんまだ決めてないかな。ちょっと君を読みに来たんだ」

「……わたしは人だ、本ではない」

「そう答えるように、誰かに言われた?残念ながら、違う」

「っそんなことは……!」

「じゃあこれはなんでだと思う?」

 彼は少女と部屋をつなぐ鎖を引っ張った。

 きゃ、と声をあげて少女は足の鎖に引きづられて倒れ込む。

「……女の子には優しくです」

「力加減がまちがった」

 彼は悪びれなく言い、そして興味深げにうなづいた。

「人だと思いこんでいるものは沢山あるけど、本に会ったのは初めてだ」

「っここにある本は希少だ!いくらでも持っていっていいから、わたしはここに居なければっ」

「早くしないと誰かが来ます」

 オルガは彼を急かした。

「ごめんねまた今度話そう」


 彼は姿を変えた。薄く薄く広がる闇のようだった。

 『本』はじりじりと後ずさり、距離を取ろうとする。が、彼女をここに留めようとして、図書館の主人がかけた鎖が、逃げ出そうとするのも阻んでいた。じわじわと闇が覆いかぶさっていく。この薄暗い部屋よりも濃くて涼しげな闇が。

 悲鳴も上げずに飲み込まれた。


 オルガは本棚から適当な本を取り、部屋にあった豪奢な椅子に座る。薄暗い中に灯りを求めて電灯を付けた。

 この星の言葉で書かれた神話のようだった。宇宙からやってきた祖先が星に巣くう怪物と戦い、勇猛の証である化物の皮を手に入れなめし、それに自らの血で書き綴ったとされる物語。

 オルガは一節に指を滑らした――夢で会う怪物は倒してはならない。自らの鏡はそこにある――

 読むうちにいつの間にか、彼は人の形をしていた。

「それで、連れて行くんですか?」

「残念。彼女は写本みたいだ。それにこの部屋には術がかかっているようでね。ここから出たら人の形を保てない。それはかわいそうかと思って」

「なんだ、今日は手加減を知っていますね」

「うーん、いつもどうなのかな。分からないけど、これ以上つぎはぎの情報を手に入れても仕方ないからね」

 少女は床に倒れ込んでいた。眠っているようだった。涙の跡で頬が濡れている。力のある者が創りあげたものは時に、生き物としての意志を持ち、人の言葉を語る。何者かに創られ、少女として生きていた。この薄暗い部屋で。

「オルガ、疲れていない?」

「私はついてきただけです、しかし、お腹は空いてもいます」

「じゃあ何か食べに行こう」

 ええ、とオルガは頷く。

 騒ぐ声が段々と近付いてきた。誰かが異変に気が付いたらしい。

 オルガは上を見上げた。伝統的な織物が飾ってあるその中心に、無粋につけられているカメラに手を振った。

 ――そしてかき消える。



 私たちは何も盗んでいない。少し読んだだけだ。しかし図書館の主人は侵入されて業腹だろう。この街にいて面倒な事になるより、移動するのを選んだ。何、簡単だ。街はずれに置いておいたエアシップに乗り込んで地図上の隣町へ行けばばいい。

「で、私の為になるって何のことだったんですか?」

「あんまり楽しくなかったかな」

 彼は失敗した子供のように所在なさげに身じろぎした。隣の席から露店で買った何らかの肉の串を渡してくれた。いいにおいがする。

「いえ、そうですね、たまにはこんなのもいいかもしれません。もしかしたら――」

「うん?」

 気を使ってくれたんですか。とオルガは言おうとした。

「……いいえ。なんでもないです」

 沈黙が落ち、静かな航行音のみが響いた。彼は穏やかといえば聞こえがいいが、感情を読みにくい声をしている。

「――君に話し相手がいればいいと思って」

 一口、肉にかぶりついた。


 隣町まで行くと、適当な宿を決めた。ベッドは一つ、と部屋のリクエストを伝える。店主は何もかもわかったような顔をして鍵を渡した。

 部屋は小さなベッドと机と一脚の椅子、そしてランタンがあるだけの簡素なものだった。窓をあけて埃っぽい空気を入れ替える。ひんやりとした夜の空気が入ってくる。街の明かりは沙漠に浮かぶ宝石、と称されるのも理解できるほど、まぶしく灯っていた。

 窓から身を乗り出しすうと息を吸い込んだ。砂の乾いた匂いと何かの料理の匂いがした。宿の向かいには小さな料理屋があるのでそこからただよってくるのだろう。

 オルガは窓から離れ、椅子に座ってランタンに照らされる彼のそばに立った。

 彼と自分のフードを払う。

「私と旅して何年ですか」

「きっと二年くらいになるかな」

「その間、私と一緒にいられたのは何日ですか」

「……」

 彼は困った顔をした。途端にオルガは泣きたい気持ちになってうつむいた。自分の碧い髪がふらふら揺れているのが見えた。


「宇宙の端からあなたを拾ってきたのはダメだったかもです」

「……どうしてさ」

「存在を不安定にしてしまいました。いるかと思えばいない。いないかと思えばいる。どちらでもないものになってしまいました。あなたは砂漠の雨のようです」

「……オルガと一緒に旅をするのは楽しいよ」

「私も楽しいです。でも、あなたがいない時、不安になる。あなたは、空想だったのかもって。ひとりでたき火を囲んでいるとき、一人で新しい街にたどり着いて、地元料理のお店に入って知らない料理を食べるとき、一人で、なんでも、一人でいるとき」

「僕は空想でもあるかもしれない。でもいるのかもしれない。今オルガと会話している僕は幻想かというとそうじゃない。だけど僕がオルガに見えてない時は、たしかに僕はいないんだ」

「難しいです……ずっと私に見えるようにしてください」

「それは、難しいよ」

「……宇宙に帰りたいですか、宇宙の端っこから拾って勝手に持って帰ってきた私を恨んでいませんか」

「うーんどうだろう、僕にとっては時間と存在という概念が新しいものだから、新鮮で楽しいものなんだけど」

「あなたの故郷には仲間がたくさんいたじゃないですか、さみしいとか、思わないんですか」

「あれは仲間というか共同体だよ。すべての意識が溶け込んだ同じ存在なんだ。僕は遠く離れてしまったから、彼らとのリンクができない。だから個別の意識が持てているんだ。きっと近ければ、共同体と統合してしまって僕の個人はいなくなって、彼らの意識の集合体としての僕になる。だからオルガが連れて帰ってくれてよかったんだよ」

「共同体に帰りたいって思いませんか、私が嫌いになったから、ずっと現れてくれなかったんじゃないですか?本当は、私を……」

「オルガ」

「私がさみしかったから、宇宙の端っこで転がってるあなたを見て、私と同じようにさみしいんだと思って、持って帰ったんです。共同体だなんて知らなかったから。あなたは仲間から引き離されてしまった」

「僕にさみしいという感情はないんだ。それに共同体も追ってきているだろう。あれに近付けば、いつだって僕の情報は回収されるし、今はオルガと一緒にいるのが楽しいし……この意識がなくなるのは惜しいよ」

「私と逃げ回っているの、嫌じゃありません?」

「逃げ回るといっても、僕はずっと存在できないから、ほとんどオルガ一人で逃げてる」

 そんな言い方ひどいです、とオルガはつぶやいた。ごめんねと彼は言った。

「ぎゅっとしてくれたら、許します」

「いいよ」

 椅子に座った彼に抱き寄せられたオルガは、彼の頭を抱きしめた。

 オルガは自分が疲れていることに気が付いた。目をつむる。じんわり伝わる体温。

 今日はよく寝て、また明日からも旅に出ないといけない。どこかに留まることはできない。どんなきれいな景色を見ようとも、どんな良い人に会おうとも、自分たちは彼の共同体から逃げるために旅をしている。街から街へ、星から星へ。

 それでも、たまに彼が現れ、きれいな景色を眺め、おいしいものを食べて、一緒に笑いあえることが、幸せだった。


「大丈夫、オルガ、いつも一緒だよ」

 腕の中から聞こえる彼の声がかすれていく。存在が消滅していく。髪の質感が、体温が、手の中から消えていく。

 そうして、彼はかききえた。立ち尽くすオルガは彼のいない椅子を見つめ、一つため息をついた。


 

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