第2話 喫茶店

「文さん、おはようございます」


 桐山は、黒田の家のインターホンを押し、近づいて話しかける。


「友子ちゃんおはよう。ちょっと待ってね」


 しばらくすると、黒田が玄関から出て鍵を閉め、桐山と並んで歩き始めた。


 桐山と黒田は中庭で出会ったあの日から、登下校を共にしている。

 昼食はもちろん、学校帰りに寄り道をしては、桐山から黒田自身との思い出話を聞いて互いに交流を深めていた。


「あっそうだ」

 黒田は急に何かを思い出した。


「どうかしたんですか?」

「友子ちゃんなら、多分知ってるとは思うんだけど、放課後にちょっと寄りたいところがあって」

「私が知っている場所ですか?」

「場所というより、人かな?」

「人、ですか……」



 桐山は少し難しい顔をしたが、黒田は前を向いていたので気がついていなかった。


「もしかしたら知らないかも、とりあえず、ね?」

 桐山は冷静になって、いつものように笑顔で黒田に返答した。



「誰でしょうか、楽しみです」


 ◇◆◇


 放課後、二人は正門前で待ち合わせをした。


 桐山は落ち着かない様子で正門前に立っていた。


「誰だ。何処に連れて行くつもりだ」


 胸の奥にしまい込んだ悍ましい真っ黒な感情が溢れ出すような、不気味な表情を桐山は浮かべていた。


「友子ちゃん、お待たせ」


 笑顔の黒田が、背後から声をかけた。


 桐山は少しビクついたが、すぐに振り返って微笑んだ。


「文さん、全然待っていませんよ」


「そう? じゃあ早速行きましょうか」



 桐山は不安な気持ちのまま、笑顔の黒田について行った。


 黒田が寄りたいと言っていた場所は、学校から徒歩10分の近い距離だった。 桐山はこの10分間が、今までの人生の中でこんなにも恐ろしい10分間はないだろうと感じていた。


「この喫茶店なの」


 古い建物のせいか、喫茶店は、入店すべきか否かの判断に困るほど、暗い雰囲気を醸し出していた。


 桐山は本当の意味でヤバいところではないのか? と流石に困惑しはじめていたが、そんな桐山をよそに、黒田は迷うことなく店へ入店した。


「こんにちは」


 黒田の後に続いて桐山は入店した。


「こんにちは……」


 恐る恐る中に入ると、赤毛の青年がカウンター越しにガラスコップを拭いていた。


「いらっしゃい」


 青年は黒田に向かって、真顔で挨拶をした。背が180センチはありそうな高身長で、前髪が左目にかかり、右目しか確認できない。肉付きもよく、くっきりとした体つきだった。


「こんにちは木村さん」

「こんにちは。その子は?」

 木村は、目線を黒田から桐山に変えた。



「後輩の桐山友子です。文さんが中学二年生の時まで近所に住んでて、引っ越したんですが、またここに戻ってまいりました」


 桐山は笑顔で答えた後、すぐにお辞儀をした。


「桐山……友子……」

 木村は桐山をじっと見つめて名前を繰り返した。何か考えているようだ。



「木村さん、やっぱりお知り合いじゃない感じですか?」


「すまない、俺はお前と初めて会ったのは……お前が中学三年の時だ」


「そう……ですか」


「桐山さん、挨拶が遅れたな。俺は木村陸きむらりく。この喫茶のオーナーだ。黒田が記憶喪失になる前からの知り合いでな、よろしく」


「はい! よろしくお願いします」

 桐山は笑顔でまたお辞儀した。


「木村さん、カウンターに座ってもいいですか?」

 黒田はカウンターの椅子を引きながら、木村に話しかけた。木村はすぐに黒田の方を向いて「あぁ」とだけ答えると、メニュー表を二人の前に置いた。

 

桐山と黒田は椅子に腰を下ろすと、メニュー表を開いて注文するものをどれにするか悩んだ。


「おススメはなんですか?」

 桐山は木村に尋ねた。


「そうだな、ドミニカのコーヒーがオススメかな」

「じゃあそれでお願いします」

「お前はどうするんだ?」

「私はいつも通りエスプレッソで」

 黒田はメニュー表を木村に手渡す。


「……本当に好きだなエスプレッソ」

 桐山は少し驚いた顔をしている。


「文さん、そんな苦いの飲めるんですか?」


「君は、エスプレッソの正しい飲み方を知らないみたいだな」

 木村はニヤニヤしながら一枚の紙をカウンター越しの棚の中から取り出し、桐山に手渡した。


「これはなんですか?」


「エスプレッソの正しい飲み方だよ、おまけで一杯入れるから飲んでみて」

「え! いいんですか!」

「珍しい……木村さん、おまけの一杯なんて……」

「エスプレッソを苦いままで飲むような誤った認識を正す為だ」

 木村はそう言うと、カウンターの奥の方に行ってしまった。


「木村さんって優しい方ですね」

「でしょ? でもね、何も教えてくれないんだよ」

「何を教えてくれないんですか?」

「私が記憶を失う前のこと」

「えっ」


 黒田は俯いて「何でだろうね」と首を傾げて呟き、そのまま黙り込んでしまった。

 桐山はどう反応すべきか分からなかったので、そのままエスプレッソの飲み方が書かれた紙に目を通した。



「え! エスプレッソって砂糖を入れるのが当たり前なんだ!」

 桐山が突然声を上げて驚いた。黒田は桐山の声にビックリしている。


「ごめんなさい文さん」

「いいよ、知らないことを知るって面白いことだよね」

 カウンターの奥から木村が出てきた。

「エスプレッソを砂糖なしで飲むのは世界で日本だけなんだ、エスプレッソ本来の飲み方を知らないんだよ。さ、どうぞ」

 

二人の前にエスプレッソが入った小さいカップが二客置かれた。


「砂糖は、前に置いてある白い瓶の中にあるから」


 二人は「ありがとうございます」と言うと、カップをそれぞれ手前に寄せた。

 黒田は白い瓶を開けてスプーンいっぱいに砂糖を取ると、すぐにエスプレッソの中に入れた。


「十回混ぜるのがオススメだよ」

 桐山も黒田と同じように砂糖をエスプレッソの中に入れて混ぜた。


「こんなに入れるんですね」

「二、三回だけ混ぜて、底に残った砂糖を後で楽しむのもあるんだよ」

「へぇ」

 二人は10回混ぜた後、同時に一口飲んだ。

「美味しい!」

 桐山は目を輝かせ、黒田の方を見た。


 黒田も桐山と目が合うとにっこりと笑って、目線を木村に移した。

「木村さん、今まで見たことないの笑顔ですよ」

「そりゃ嬉しいな」

 木村はニヤケながら、二人の前にビスケットのようなものを乗せた皿を置いた。


「これは?」

 桐山が上目遣いで尋ねた。


「ビスコッティさ、そのエスプレッソに浸して柔らかくして食べるんだ。サービスだから遠慮なく食べてくれ」


「木村さん、優しい!」

 桐山は1つ手に取り、エスプレッソの中にそれを浸した。


「うわぁ、これ絶対美味しいですよ! 文さんもよく食べるんですか?」

 桐山が黒田の方を向くと、黒田はビスコッティを見つめたまま、無言で微動だにしなかった。


「文さん?」

「あっ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてて、木村さんお手洗いお借ります」

「あぁ、どうぞ」

 黒田は立ち上がって、店の奥にあるトイレに入っていった。

「どうしたんだろ、文さん」

 トイレを見ながら不安な表情で桐山がつぶやく。

「桐山さん」

「えっ、はい、なんでしょう?」

 桐山はカウンターの木村へ振り向いて答えた。



「お前、誰だ?」



「へ?」



「さっきは嘘をついたが、黒田と出会ったのは中学一年の時だ。俺は、俺が黒田に出会うまでの知り合いは全員把握してる。だから桐山友子なんて人間は黒田の知り合いにはいない。お前は誰だ?」


「何言ってるんですか木村さん、私は知り合いですよ」

 桐山はにっこりと微笑む。


「何が目的で黒田に近づいたんだ?」

 木村は眉間に皺を寄せて、桐山を睨みつけた。


「ハハッ」

 桐山が笑いながら立ち上がった。



「何が可笑しいんだ?」

 木村は桐山を強く睨みつける。



「復讐ですよ、あなたには到底わからないでしょうけどね」


「復讐だと?」


 その時、トイレのドアが開く音が聞こえ、二人は沈黙した。黒田がトイレから戻ると何事もなかったかのように桐山は椅子に腰を下ろしてスマホを操作し、木村はカップを洗い始めた。


「私がいない間に何かお話しましたか?」

 黒田は二人を交互に見つめて話しかけた。


「何も」

 木村が黒田を見ずに返答し、桐山もそれに答えるように無言で頷いた。


「ふーん」

 黒田は二人の様子に違和感を覚えるも、ビスコッティをエスプレッソに浸して食べ、笑顔で二人に笑いかけた。


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空白の魔術 榊亨高 @sakaki_michitaka

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