第3話 彩花の丘
朝の市場をふらりと歩く。
宿でも朝食は食べられるのだが、折角なので市場で何か探してみようと思ったのだ。
手元の旅行記を見ると、エルメライトでは柑橘類を練りこんだ甘めのパンがおいしいらしい。この旅行記の筆者はやたらと食べ物の描写が詳しいので、そういう部分についてはかなり参考になる。きっと食べることが好きな人だったのだろう。
本を片手に歩いていると、ひとつの屋台でお目当てのパンが売っているのを見つけた。その屋台に近づくと、タイミングよく焼きたてらしいパンの香ばしい匂いが漂ってきて、思わず口の中によだれがあふれてくる。
そしてよく見ると、店主が屋台の後ろで何か作業をしているらしいことに気づいた。金勘定か何かだろうか。
「すみません、オレンジパンを二つもらえますか?」
ちょっと奥にいる店主に声が届くよう、すこし大きめに声をかける。だが、店主は作業をやめない。上手く声が届かなかったのだろうか?
もう一声かけようか迷っているところに、聞き覚えのある声が聞こえた。
「――見つけた。こんなところにいたんですね、おにいさん」
声のした方に目を向けると、少し息を切らせたエリザがすぐ横まで近づいてきていた。
「…おはよう、エリザ」
「おはようじゃないですよ。また明日って言ったのに、どうして私に会う前に宿から出ちゃうんですか!」
「いや、時間も場所も言われなかったけど」
「知りません」
プイッとふくれっ面でそっぽを向くエリザ。相変わらず我が儘なお姫様である。
「せめて時間だけでも言ってもらえれば待ったんだけど…」
「そこでレディーを待つのが紳士の甲斐性なんじゃないですか?」
「いや、色々と違うでしょ…」
「ふんだ。私なんて置いて、どこへでも行っちゃえばいいじゃないですか…」
「…そんなに拗ねないでよ」
なかなか機嫌を直さないエリザに困っていると、そんな僕の様子を見たエリザはフッと柔らかく微笑んだ。
「…冗談です。宿に行ったらおにいさんがいなかったので、ちょっと意地悪しちゃいました」
「別に、置いてこうと思って出てきたわけじゃないよ?」
「分かってますよ。結構早くに行ったつもりなのにいないって、びっくりしただけです」
そう言って、エリザが僕の右手を握る。思っていたよりもその手は小さくて、彼女がけっこう小柄であることに改めて気付かされた。そして、彼女はその小さな体からは想像できないくらいの強引さで、僕の手を引っ張ってくる。
「さ、おにいさん。今日は私がこの街を案内してあげますよ」
そう言って、にこやかに笑うエリザ。なんだかとても楽しそうだ。
僕はそんな彼女の様子に苦笑を一つ返して、右手をグイっと引っ張り返す。
「ちょっと待ってよ。僕は朝ご飯のオレンジパンを買いに来たんだから」
「おっと、そう言えばさっきパンを買おうとしていましたね」
引っ張られて崩れた体勢を整えながら、そう返すエリザ。チラっと屋台の奥に目をやると、徐に屋台に近づき、はっきりとした声で話しかける。
「バーンズさん、オレンジパンを三つください」
「おう、お嬢さん。パン三つなら銅貨二つにまけといてやるよ」
「あら、ありがとうございます。じゃあ、はい」
「…確かに、受け取ったよ」
エリザの声に奥から出てきた店主が、オレンジパンを三つエリザに手渡す。ちょうど作業が終わったところだったのだろう。
パンを受け取ったエリザは、それを器用に片手で持ちながら、店主に軽く手を振ってこちらに戻ってくる。
「片手にパン三つなんて器用な…あ、銅貨二枚だよね?」
「いいですよ、それくらい。それより、さあ、おにいさん。朝ご飯を食べるなら、ちょうどいい場所があるんですよ?」
そう言ったエリザは、再び僕の右手を握ると、グイグイとその手を引っ張ってどこかに向かおうとする。
「ちょっと、引っ張んないで。っていうか、どこに向かってるの?」
「それは着いてからのお楽しみです。さ、こっちこっち!」
「ちょっと、速い速い…!」
エリザは僕の手をつかんだまま、徐々に足を速めて走り出す。さっきも走って来たんだろうに、まったく元気なもんだ。
…これ、どこに連れて行く気なんだろう?
***
色とりどりの花々が咲き乱れる丘の上。
エリザに連れられて街の外れまで来た僕は、その美しい光景に思わず息をのんだ。
色彩鮮やかな花の群れも美しいが、丘の向こうに見えるエルメライトの白い漆喰塗の街並みもまた美しい。しばし、その光景に見入ってしまった。
「ここからの光景、綺麗でしょう?この丘で食べるサンドイッチは絶品なんです」
そう言って、エリザは僕にパンを二つ差し出す。「今は、このパンだけですけど」なんて言っているが、これだけの光景があれば、パンだけでも十分に満足だ。
適当に眺めのいい木陰を探して、二人並んで座りこむ。頬をなでる春の風が気持ちいい。
改めて丘からの景色を見渡すと、エルメライトの街が隅々まで見えた。流石に、街の端ともなるとかなり遠くて良く見えないけど。
「それにしても、思ってたよりこの街は広いんだね。街の端なんて遠すぎて良く見えないよ」
「はい、そうなんです。エルメライトはけっこうすごいんです。ただの田舎町じゃ無いんですよ?」
そう言うと、エリザはやおら立ち上がって、街のあちこちを指さして紹介してきた。
「ほら、あっちの端の方には大きな牧場があって、牛さんたちが沢山いるんです。牧場のチーズ工房で作られるチーズもおいしいですし」
「…あの、山の際の緑色の場所かな?」
「あ、それです。草原も綺麗ですよ?あと、こっちの陶磁器工房では真っ白な綺麗なお皿がいっぱい作られてて、皆ここのお皿を使ってるんです。縁に細かい綺麗な模様もあって…あ、もちろん家にも沢山ありますよ?」
「……エリザ、そこで指さされてもよく分からないよ」
「おっと、ごめんなさい……あ、あれ見てください!あの人形工房は動物の人形を作るのが上手で、本当にかわいくって、いつもずっと見てるんです!特に手乗りフクロウ人形が一番で…」
「………おーい、だから指さされても分からないって」
そんな風に。にわかにはしゃぎだしたエリザがあっちこっちと飛び回りながら街のあちらこちらを紹介してくる。正直、どこのことを言っているのか殆ど分からないし、次々に新しい情報を増やしてくるから理解が追い付かない。街の紹介としては落第点だ。
ただ、エリザのそのはしゃぎぶりから良く伝わってくるのは…
「…それにしても、エリザはこの街が本当に好きなんだね」
「はい、もちろん!私、この街に生まれて本当に良かったです!」
僕の言葉を力強く肯定するエリザ。ここまでまっすぐに自分の『好き』を言える彼女の姿が、すこし眩しい。
「エリザがそんなに好きになるなんて、この街はとってもいい街なんだね」
「はい。良い人もいっぱいいますし、素敵な場所も沢山ありますし。私、この街が大好きなんです」
「そっか…」
エリザの言葉に、心が温かくなる。自分が生まれ育った街を好きだと言えるのはいいことだ。僕の場合は、色々と不満が多くて街を飛び出しているから、あまり胸をはって故郷が好きだとは言えない。そういう意味では、エリザのことが少しだけ羨ましかった。
そのエリザは、花々の間を歩き回っては街の方を眺めている。晴れやかな笑顔を浮かべるエリザと丘の景色の組み合わせは何かの絵画のようだった。
しばらくぼんやりとその光景を眺めていると、やがて満足したらしいエリザがこちらに向かって歩いてくる。
「――それじゃあ、今日はこの街を色々案内しますね。おにいさんはどこを見てみたいですか?」
「うん?どこって言ってもこの街のことは良く知らないし。エリザのお任せでいいよ」
「もうっ!そう言うのが一番困るんですけどっ!」
言葉では怒ったようなことを言っているエリザであるが、その表情は朗らかな笑顔のままだ。そのエメラルドのような碧眼が僕のことを捉えて…
「あ、そう言えば。エリザの瞳って、色が変わってない?確か昨日の夜は紫だったような」
「…ほう、そこに気付きましたか。いい観察眼です。褒めて差し上げましょう」
「えぇ…なにその妙な反応…」
僕の言葉に、いきなり芝居がかった動作でそう言ってくるエリザ。昨日もそうだったが、どうもエリザはこういった茶番じみた言動をするのが好きみたいだ。
僕の返しを無視したエリザは、やけに芝居がかった感じで話を続ける。
「では、その慧眼を称えて、私のこの瞳に秘められた秘密をお話ししましょう。そう、あれは、この地に最初の住人が流れ着いたころ…」
「あ、ごめん。その話長くなる?」
「…おにいさん、茶々を入れないでください」
半眼になって文句を言うエリザ。そうは言っても、今のエリザの調子に付き合っていると日が暮れそうだ。あれは、昨日の『前世の恋人』設定を語っていた時と同じ雰囲気だった。放っておけば、一日中でも話しているだろう。
「悪いけど、要点を絞って教えてもらえるとありがたい。それに、この後街を案内してくれるんでしょ?」
「…それは、まあ。確かにそう約束しましたけど」
「うん。じゃあ、簡単に説明してくれる?」
「……分かりましたよ、もう」
ちょっと拗ねた感じのエリザは、それでも僕の要請に従って説明を始める。
…最初からそうしてくれていれば話は早かったんだけど。
「おにいさんは、『血晶』のことはご存知ですか?」
「ん?ああ、うん。本で読んだことがある。宝石の街の住人の手に現れる、宝石みたいな魔導機関のことでしょ?」
「はい。それをご存知なら話が早いですね」
そう言って、エリザは自分の右手の甲を僕の方に向ける。そう言えば、あまり気にしていなかったけどエリザの右手の甲にも血晶はあった。僕の方に向けられた手の甲には、細長い八面体の、エメラルドグリーンの宝石が埋まっている。
「私の血晶は『アレキサンドライト』。太陽光のもとでは緑、魔導燈の元では紫色になる、変わった宝石です」
「…それは、昼間は緑だけど、夜になって魔導燈の光が強くなると紫に変わるということ?」
「そうです。それで、普通は血晶の影響は体の他の部分に出たりしないんですけど、私の体質はちょっと変わっているみたいで。瞳も血晶みたいな器官になっているらしいんです」
「…それで、瞳もアレキサンドライトのように色が変わる?」
「そう言うわけです」
なるほど。
…思っていたよりもかなり詳細に説明してもらえた。正直、昨日の様子だと適当にはぐらかされると思っていたが。
「ちなみに、瞳まで血晶になっているせいで、私の『血晶術』はかなり効果が強いんですよ?」
「…血晶術自体見たことないから良くわからないけど、そんなにすごいの?」
「はい。実演するので、ちょっと見ていてくださいね?」
そう言うと、エリザは僕から少し離れて、何やらニヤリと笑いかけてくる。なんだろう、何か悪戯でも仕掛けてくる気なのだろうか?一応周囲も見渡してみるが、花の間を蝶が舞い踊っている長閑な丘の風景しか見えてこない。
「じゃあ、いきますよ~」
気の抜けた掛け声とともに、エリザの右手の甲の結晶が淡い光を発する。
その瞬間。
唐突にエリザの姿が掻き消えた。
「はぁあ?!何が?!!」
慌てて探査魔術を起動し、周囲の様子を探る。だが、エリザの気配はどこにも見当たらない。
探査魔術は、適切に運用されていれば隠れきることは困難。だとすれば、探査にかからないエリザは、まるでこの世から消え去ってしまったような…
思いもよらなかった現象に、思考が空転する。何故?一体何が?エリザが何をして、どういうことが起きたのかがさっぱり分からない。
しばらくして、今だ驚きが冷めやらない僕の後ろから、エリザの声が聞こえた。
「はい。驚きましたか?」
その声に、心臓が大きく跳ねる。慌てて後ろを向くと、そこには先ほどまでと変わらないニコニコとした笑顔のエリザがいた。そして、今はもう探査術式にエリザの気配を感じる。
――昨日と同じだ…
探査術式をすり抜けて現れたエリザ。その現象に、昨日エリザが現れたときのことを思い出した。あの時も、周囲を警戒する探査術式をすり抜けて、唐突に声をかけられた。
だが、エリザは一体どういう能力を使ったのだろうか?
「…本当に驚いた。一体何をしたの?」
驚きで詳らかな感想を述べる余裕もない。とにかく、エリザが何をしてこうなったのかを知りたかった。
「もう。せっかちですねぇ、おにいさん。もっと褒めてくれてもいいんですよ?」
「…いや、驚いてそれどころじゃない」
「なあんだ、つまんないの」
一方のエリザはそんな僕の驚きに満足したようで、口では文句を言いながらも笑顔で説明を続ける。
「私の血晶術は『変化』の力。自分の体を別の生き物や物体に変えることができるんです」
「…それって、見た目を変えるだけじゃないってことだよね?」
「そうですね。例えば今はモンシロチョウに変身しましたけど、”人間を探す魔術”だと見つからなかったでしょう?」
「……嘘だろ、おい」
エリザの言葉に愕然とする。その言葉が本当であるならば、僕が知る魔術とは一線を画す恐ろしいほどの能力だ。見た目を変える魔術はあっても、存在そのものを変化させる魔術など見たことも聞いたこともない。
「ね、すごいでしょ?」
「……」
朗らかに笑うエリザ。だが、僕はその笑顔をさっきまでのように素直に受け取ることができない。
自らの、魔術師としての常識を覆すような、怪物じみた少女の存在。僕は、そんなエリザの笑顔に、どこか空恐ろしさすら感じてしまっていた。
アレキサンドライトは未来を願う かいね @KeineMonokaki
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