第2話 エリザ

 『濃霧の森』を抜けると、『宝石の森』と呼ばれる隠れ里にたどり着いた。その里は、木々や草花に囲まれたのどかな集落で、人々は皆穏やかな気性をしている。食べ物が沢山取れるため、争う必要がないからであろう。

 その集落が『宝石の森』と呼ばれる所以は二つある。一つはその里を囲う山から様々な宝石の原石が採れ、その宝石の加工を生業としているものが多いこと。もう一つは、その里に住む人々の特異な体質によるものだ。

 そこの住人は一人の例外もなくその手の甲に『血晶』と呼ばれる魔導器官がある。血晶は宝石のような見た目をしていて、各々の気性に合わせて宝石の見た目が変わるのだという。

 私がその話を聞いた老人は、オパールのような血晶を持っていた。活力に満ちた性分が現れたものだといっていたが、なるほど彼は年のわりに元気であった。

 さらに、血晶はそれぞれ特別な魔術(血晶術)を生み出す器官でもあるという。その老人も、血晶術を使うことによって体の衰えをごまかしているのだとか。旅の中でボロボロになったナイフを新品同様に戻しても見せた。

 この世には、なんとも不思議な力があるものだ。

――パルマ・ロータスの手記より


***


「私の名前はエリザです。エリーでもエリザ様でもお好きに呼んでくださいね?」

 目の前の少女は、テーブルの向かいに座るとそう言った。いまだに動揺が抜けきらない僕は、「あ、うん。僕はウィリアム…」と気のない返事を返すので精一杯だ。

 しばし、沈黙が流れる。少女――エリザはニコニコと微笑むだけで、特に何も言ってこない。こちらの言葉を待っているのだろうか?

「…その、エリザは幽霊だったりするの?」

 情けないことに、ようやく口にすることができた言葉は、そんな益体もない質問だった。仮に彼女が幽霊だったとして、「私は幽霊です」なんて言うだろうか。胡散臭い霊媒師だってもっとまともなことを言うだろう。

 僕の言葉に、エリザは少しあっけにとられたようで、口を半開きにしてポカンとした表情になった。元が絵のような美少女であるので、そんな間抜けな表情も愛らしい。なんて思ってしまうのは彼女の術中かもしれないが。

「どうして、そう思ったのですか?」

 少し戸惑ったような表情になって、彼女がそう言う。

 彼女の疑問はもっともなものだった。僕だって、いきなり幽霊ですか?なんて聞かれれば、まずそう思った理由を問いただすに違いない。

「…こう見えて、僕は魔術師なんだけど」

「おお、そうでしたか。話には聞いていましたが、実物は初めて見ました。見た目は意外と普通の人と変わりませんね」

「普段から探知魔術を使っているから、身の回りの気配には敏感なんだ」

「ほうほう。…『気配がわかる』って、なんだかかっこいいですね。剣の達人みたいな」

「…でも、今君に話しかけられるまで、君の気配には気づかなかった」

「エリザ」

「…え?」

「私の名前はエリザです。『君』ではありません」

――えぇ……なんだこの娘。

 僕の言葉を茶化していたくせに急に自分の名前だけはしっかり主張してきたエリザに若干げんなりしつつも、彼女の求めに応じて言い直す。

「…今、エリザに話しかけられるまでエリザの気配を感じなかったんだ」

「なるほど」

 何事もなかったかのように会話を続けるエリザ。

 …ちょっと話しただけなのに、この娘のことはまともに受け取ってはいけない気がしてきた。今も、顎のあたりに右手を当てて「ふむふむ」なんてわざとらしく考え込んでいる。

「…おにいさんは、魔術を使って周囲の人間の気配を察知していたんですよね?」

 というか、自分は名前で呼ばせるくせに僕の名前は呼ばないのか。

「…うん、そうだけど」

「だったら、答えは簡単ですね」

 そういったエリザは、少し姿勢を正して、改まった様子でこう言った。


「それは秘密です」


 …いや、うん。なんかもう、こういう娘だってことは大体分かってきたし、別にいいんだけど。

「……何か言えない理由が?」

「そうですね。とっても大切な理由があります」

 そう言ったエリザは、何やら格好つけた様子で胸を張ると、


「秘密は乙女を美しくする、と言いますからね!」


 ………うん、分かった。この子の言葉は話半分に聞いておこう。

「とりあえず、幽霊ではないんだよね?」

「…いや、分かりませんよ?おにいさんの前世の恋人が、時空を超えてこの世によみがえったのかもしれません…!そう、あれは三百年前の大戦時の…」

 無視。

 とりあえず、何やら『前世の恋人』の設定でヒートアップしだしたエリザを放置し、スープに口をつける。

 話していると色々疲れるエリザのせいでずいぶん話し込んだ気になっていたが、実際にはそれほどの時間は経っていない。まだまだスープは暖かくておいしいままだった。

 スープを掬い、パンをかじりつつ口に運び、と食事を進めていると、いつの間にか話すのをやめたエリザがじっとこちらを見つめているのに気が付いた。

「…えっと、何?」

「そのスープ、おいしそうですね」

「……少し食べる?」

「いいんですか?いやあ、催促したようで申し訳ない…」

 なんて口では言っているが悪びれる様子もない。まあ、それが嫌味にならないのは彼女のいいところなのだろうが。

「じゃあ、はい。このスプーンを…」

 そう言って使っていたスプーンを差し出そうとしたのだが、彼女はそれを受取ろうともせず、あんぐりと口を開けてこちらを見つめている。さらに、「あ~ん」なんて言って、催促までしてきた。

「…どうしたの、そんなあほ面して」

「ッ?!!」

 ぺちん。

 色々疲れてきたので雑にそう返したら、顔を真っ赤にしたエリザが頬を張ってきた。まあ、戯れ程度のものだったので痛くもなかったのだが。

「レディーに向かってあほ面とは何ですか!!」

「いや、レディーは初対面の相手に手ずから食べさせようとはしないし、ビンタもしないよ…」

「知りません。リテイクです!」

 そう言って、再び口を開ける。このまま言い争っても譲らなさそうなので、仕方なくその口に芋とスープをひと掬い放り込む。

 むぐむぐと口を動かすエリザ。こうして黙っていると素直にかわいいんだけど。やがて、スープの味に満足したらしいエリザは、にっこりとした笑顔になった。

「うん、おいしい。やっぱり、ムーアさんのスープは絶品です!」

 まあ、そこまで喜んでもらえるならあげた甲斐もあるというものだ。

 そんなエリザの様子を眺めつつ、僕ももうひと掬いスープを口にする。やっぱり、このスープはとてもおいしい。

「おにいさん、もうひと口ください」

「…本当、物おじしないよね、君」

「エ・リ・ザ!」

「はいはい、エリザ」

「よろしい」

 何故か偉そうにそう言った後、再び口を開けて待つエリザ。こいつ…

 少しイラっとさせられつつも、その口に、もう一度いくらかの肉と一掬いのスープを放り込む。

 むぐむぐと口を動かすエリザ。なにやら小動物みたいだ。普通、こういう状況だともっと甘い空気になってもよさそうなものだが、エリザがこの様子なので餌付けをしている気分になってくる。

 しばらくそんなことを繰り返して、食事を続ける。なんだろう、いつの間にか懐のうちに入られているような…

「そういえば、おにいさんはどうしてこの街に来たのですか?」

「ん?旅の理由?」

 ふと、エリザがそんなことを聞いてくる。

 この街に来た理由。実際のところ『宝石の街』に来たのは思い付き程度の理由なのだが、旅を続けている理由としては一つ明確なものがあった。

「この街に、ってわけではないけど、旅に出た目的はあるよ。自分でも、ちょっと変な理由だとは思うけど」

「どんな目的なんですか?」

「…『アルフレッド寓話集』って、聞いたことあるかな?」

「アルフレッド寓話集?」

 エリザは心当たりがないといった風に首をかしげている。

 知らないのも無理はない。これを知っている、というか、これに関心を払う人間は王都でもほとんど見なかった。

「まあ、さすがに知らないか。伝説の寓話集、なんて呼ばれてる変な本のことなんだけどね」

「寓話集……おとぎ話ってことですか?」

「多分ね。実物は見たことがないけど、この世のあらゆる寓話…おとぎ話が書かれていると言われている本なんだ」

「あらゆる……この街の話も載っているんでしょうか?」

「さあ、あるんじゃないかな?」

「おお…!それは見てみたいかも…」

 なにやら関心を持った風なエリザ。

 正直、この反応は意外だった。今まではなした人間はほとんど、「寓話を集めた本が何になるんだ」という反応だった。それに僕自身、その通りだと思う。伝説の寓話集なんて、手にしたところで何の役に立つとも思えない。史料価値はあるかもしれないが。

「興味を持てもらえたようで何より。まあ、何かの役に立つものでもないんだけど」

「あれ?それでは、なんでその本を探しているんですか?」

「……それはまあ、興味本位で?」

 少し後ろめたい気持ちになって、エリザから視線を背ける。

 一応「あいつ」が一度見てみたいと言っていたことも理由の一つではあるが、メインの理由はやはり興味本位。あと、働きたくなかったからと言うのもある。そんな理由で世界を旅してまわっているので、普段は気にしていないながらも多少の後ろめたさはあった。

 そんな僕の内心を知らないエリザは、「へぇ~」と気の抜ける反応を返した後、ふわりと笑ってこう言った。


「良いですね。そういう旅の理由、すごく素敵だと思います」


 しばし、呆気にとられる。素敵?興味本位で役に立たない本を探すという行為に、素敵という言葉はあまり適当でない気がする。僕自身、たまに何をやっているんだろうという気持ちになるのだが…

 思わず、といった感じに言葉が漏れる。

「素敵、かなあ…?」

「素敵ですよ。自分の知らない何かを求めて、外の世界に一歩踏み出す。それができない人って、結構たくさんいるんですよ?」

「そういう言い方をされると、確かにまあ…」

「誇っていいと思いますよ?少なくとも私は凄いと思っています」

 そう言って、エリザはまたにこりと笑う。さっきまでのおどけたような雰囲気とは違って、本当に言葉通りに思っていることが伝わる、穏やかな表情。

 ちょっとだけ、少しだけ、綺麗だと思った。

「でも、いいなあ。私も外の世界を旅して回りたいです…」

「…まあ、確かに女の子の一人旅は危ないからね」

「それもあるんですけど…」

 歯切れも悪く、エリザがそう返す。

 全く持って先ほどまでとは違う雰囲気に、少し調子が狂わされる気分だ。

「……それより!色々なところを回って来たのでしたら、その旅のエピソードを聞かせてもらってもいいですか!」

 強引に、エリザはそう言って話の流れを変えた。

 僕としても言いづらいことをつつくつもりはないので、大人しくその流れに乗ることにする。

「いいよ。まだ旅に出てからそんなに長くないから、ストックは少ないけどね」

「はい。今までの分だけでも、お願いします」

「特にこだわりがなければ旅で回った順に話すけど、それでいい?」

「ええ、お任せします」

「了解。じゃあ、あれは『日時計の街』に行った時のことなんだけど――」


***


「――というわけで、危うく僕の銅像まで作られそうになった、というわけ」

「…別に、おにいさんを称える銅像くらい作られても構わないのでは?」

「嫌だよ、恥ずかしい」

 旅の様子を、あらかた話し終える。エリザが意外にも聞き上手であったため、ついつい話し込んでしまった。一息ついて窓から外を見ると、だいぶ日も傾いてきているのが見える。

「…ありがとうございます。色々と外のお話が聞けて嬉しかったです」

 エリザが、丁寧に礼をしながらそう言う。またまた意外な一面。初めは単に破天荒なだけの娘かと思っていたけど、時間がたつほどに色々な一面を知ることになる。人は総じて多面性があるものだけど、彼女はとびきりだ。

「いいよ、僕もけっこう話してて楽しかったし」

「そうですね。聞いてて楽しそうな気持ちが伝わってきました」

 朗らかに笑うエリザ。アメシストのような瞳が、優しく僕を見つめている。その笑顔に、ちょっと見惚れてしまった。

 そのままぼうっとエリザの顔を見つめていると、外が暗くなっていることに気付いたらしい彼女は、徐に席を立ち丁寧な所作で頭を下げた。

「今日はありがとうございました。そろそろ時間も遅いので、名残惜しいですが今日のところは帰らせていただきます」

 …今日のところ?

「あ、うん。こちらこそ話ができて良かった。お気をつけて」

「はい。お気遣いありがとうございます」

 そう言って、エリザは出口に向かう。

 酒場の出口にたったエリザは、再びこちらに向き、一礼する。

「それでは、ウィリアムさん、また明日お会いしましょう」

 そう言って、エリザは酒場を後にする。…最後の最後だけ、名前で呼んできたな。

 口を挟む機会を逃してしまったけど、最後にエリザは「また明日」と言った。明日、またこの宿に来るのだろうか?それとも街のどこかで出会う見込みだったり?

「…分からんね」

 今日一日で色々な面を見せてもらったけど、どこか掴みどころがないのは最初から最後まで一緒だった。

 ふと、彼女の瞳が頭に浮かぶ。そう言えば、混乱していたからちょっと自信がないけど、最初に見たときの彼女の瞳はエメラルドのような碧だった気がする。でも、今さっき見たときはアメシストのような紫ではなかっただろうか?

 まったく、何が何やら分からない。とりあえず、彼女の言を信じるのであれば、明日また会うことになるのだろう。気になることはその時にでも聞けばいい。

――真面目に教えてくれるかは分からないけど。

 ふと、テーブルに置いたままの本が目に入る。そう言えば、食事中に読んでた本をそのまま放置していた。こんなに長い時間読んでいる本の存在を忘れていたのは、久しぶりかもしれない。

 なんだかちょっとこの街の滞在が楽しくなりそうな予感を感じつつ、僕は部屋へと戻っていった。

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