第2話彼の場合
『こんな世界は嫌いです』
父が死んだとき母がそう言っていたのを鮮明に覚えている。
まだ僕が小学1年生の夏だった。
誰に向かって言ったのか、そこまでは覚えていない。
そんな母はその1年後、姉を道連れに嫌っていた世界を去った。僕だけを残して。
僕はこの世界で上手く生きる才能を持っていた。
大人達にとって扱いやすい子供の一人に、クラスの中のそこそこ友人も多いグループの一人に、そしていつの間にか僕は社会の一部になっていた。
毎日同じスーツを着て、同じ電車に乗って、同じ職場で同じような仕事…これが永遠に続くのか、そう想像する度に母の言葉が脳内で再生される。その度に僕も母の世界に近づいた気がした。
僕は「話上手だね」と、そう周りからよく言われる。
別にそう意識しているわけじゃない。これも上手く生きるための才能の一つなんだと思う。
でも、たった一人にだけ僕の才能が発揮されない人がいる。
会社の後輩で、特別な美人でもない普通の人だ。
それなのに、彼女と眼が合うだけで僕の鼓動はおかしくなる。
僕の優秀な口はまともな仕事をしなくなるんだ。こんな感覚は知らない。
彼女と会う度に、話す度に、世界にはこんなに楽しいことがあるんだと知れたんだ。
今日、その彼女と二人で会う約束をしていたのに、突然の夕立に傘を持っていない僕は足止めを食らってしまった。
待っていてくれるだろうか、怒っていないだろうか、
彼女が実際にそうする姿は想像できないのに、少しだけの不安を抱きながら、雨上がりの空を駆け足で向かうと、そこで僕はこの世界の宝石を見つけたんだ。
茜空に伸びた虹を見上げる彼女の姿は、どんなダイヤモンドよりも美しかった。
そのときやっと僕は気付いたんだ、この感情のわけを。
でも僕は彼女を傷つけてしまった。
理由は分からないけど、僕の言葉に彼女の顔が凍り付く様に固まって、次の言葉を掛けるまもなく足早に去ってしまった。
また上手くいかなかった。彼女の前だけは僕はポンコツになる。
どうしたらいいか分からない。でもこのままじゃダメだ。
せっかくこの気持ちに気付けたのに。もう二度とあの瞳に見つめてもらえないなら、二度と世界を好きになれないかもしれない。
上手くなくてもいい、ちゃんと自分の気持ちを伝えよう。
今なら告げられる。
背中合わせの告白 雪兎 @yukiusagi1821
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