闇の中の駅

陽月

闇の中の駅

「それじゃ、私は帰るからっ!」

 荷物を詰めたキャリーバッグを持って、玄関の引き戸をピシャンと締めると、私は駅へ向かって歩き出した。


 あんなやつ、もう知らない。

 結婚して初めての、夫の実家への帰省。お盆に数日宿泊。結婚すれば、こういうオプションが付いてくるのは分かっていた。それはいい。

 お盆だから、夫の親族が集まってくる。夫の兄弟だけでなく、義父の兄弟も。事前に聞かされていたし、そういう風習の地域なら、そういうものなのだろう。気を張り詰めていなければならないが、仕方が無い。

 新婚ほやほやの私たちに注目が集まるのは、当然の流れだった。


 そこまではいい。

 問題は品のない言葉を浴びせられたこと。なんなのあれは、ずけずけと。にこにこしているからって、何でもかんでも聞いていいとか、思うなよ。こっちは不快だろうが何だろうが、にこにこしているしかない立場なんだよ。

 とは言っても、それだけならまだ我慢できた。たぶん。

 一番は、やっぱり夫の態度。夜になって、二人きりになった時に、私は不快に思っていることを伝えた。そこで「ごめん」とでも言ってもらえれば、私はまだ我慢できた。

 なのに、「お前のこと、気に掛けてくれてるって事だからさ」ですって。


 それからは、不毛な言い合い。

「こんな所に居たくない」

「気に掛けてくれてるのに、なんだよその言い方」

「あれのどこが、気に掛けてるっていうのよ」

「そんなに嫌なら、出て行けよ」

「わかった、帰る」

 どうせ、本当に帰るなんて思っていなかったのでしょうけど。

 私には文明の利器スマートフォンがあるんだから。

 調べれば、間に合いそうな電車があった。それに乗れば、今からでもきちんと家に帰れる。

 それで、私は急いで荷物をまとめて飛び出した。


 スマホの地図アプリを頼りに、駅へと向かう。

 けれども、本当にこの道であっているのだろうか。

 自動車がすれ違うのに苦労しそうな細い道。街灯は思い出したようにポツリ、ポツリ。街灯の明かりだけでは、不十分で、道の脇の家々の外灯が無ければ、私はこの道を歩くことを断念していただろう。

 当然のように誰もいない。歩行者がいないのはもちろんのこと、自転車や自動車とも出会わない。

 本当にこの道の先に、駅があるのだろうかと不安になってくる。けれど、スマホはこの道を進めという。

 戻るべき? いえいえ、誰があんな所に戻るものですか。


 この先を左。ここが交差点だと立っている街灯、近づいてようやく分かる家の切れ目の細い道へ曲がる。

 よかった、駅だ。

 50mほど先に、駅舎が蛍光灯の明かりで浮かんでいた。

 駅舎の前の駐車場や駐輪場の区間が、よりいっそう暗くなっているけれど、駅舎の明かりを目指していけばいい。大丈夫。


 ようやく辿り着いた駅舎には、やはりというか誰もいなかった。

 とりあえず、切符を買わなければと券売機を探してみるものの、どこにもない。

 駅舎の出入り口の反対には、誰もいないけど申し訳程度にある改札。狭い駅舎、グルッと見渡して券売機が見当たらないことなんてあるの?

 もしかして、外? そう思って一度出てみたものの、やはり券売機は見当たらない。

 えっと、来た時は。思い出してみてもダメだ。夫に任せっきりで、私はただ付いてきただけだったから、何も覚えていない。


 ここは、今も使われている駅、でいいのよね。

 蛍光灯が点いているのだから、大丈夫。使っていない駅なら、わざわざ電気を点けない。

 切符を持たずに改札を通るというのは、心苦しかったけれど、私は改札の向こうへと歩を進めた。

 だって、仕方ないじゃない。改札の向こうへ行かなければ、電車に乗れないし、券売機はないし、駅員さんもいないし。

 改札が、自動改札じゃなかったから、そこで止められることはなかった。


 ホームに出て、周りを確認する。

 正面にはもう一つホームが。一応、少しは屋根がついていて、蛍光灯が一本だけだけれどあったから、その存在を見つけることができた。

 右を見れば、ホームはすぐに切れている。左には向こうへ渡るための歩道橋。駅舎と向こうのホームからの明かりで、どうにかその存在を確認できる程度。

 さて、私はどちらのホームで待つべきなのか。

 少し前に出て、線路を確認すれば、こちら側には線路がなかった。つまり、あの暗い歩道橋を向こう側へ渡れと。


 当然エレベーターはなく、エスカレーターもない単なる歩道橋を、キャリーバッグを抱えて渡る。暗くて、きちんと見ていなければ、足を踏み外しそうだった。

 そういえば、来た時も歩道橋を渡ったような。その時は、夫が荷物を持ってくれて、私は苦労せず渡ったのだけれど。

 どうにか渡り終えて、一息。

 ここで待っていればいいのよね。次の電車の行き先や、時刻を知らせる電光掲示板はないけれど。


 改めて、乗換案内を確認すれば、あと5分。

 誰もいないし、電車の案内もないけれど、待っていればいいのよね。

 きょろきょろと見回して、あることに気付いた。電線がない。

 暗いから、黒い電線は闇に紛れているのかと思ったけれど、そういうわけでもなかった。もちろん、電柱もない。

 何度も何度も、スマホで時刻を確認する。早く来て、私を安心させてと思いながら。


 カンカンカン、離れたところから聞こえてきた踏切の警笛に、一瞬びっくりしたものの、ようやく電車が来たのだと安心した。

 ホームにアナウンス等はなかったけれど、ほどなく、小さな2両だけの電車が入ってきた。

 これに乗れば、私は帰れる。


 電車が停車する。私は近くのドアの前へ移動した。

 けれど、ドアが開かない。

 車内をのぞいてみれば、ガラガラで、私が確認できたのは、一人だけ。

 ドアが開かないことに混乱しているうちに、電車は発車してしまった。降りてきた人もいない。


 今の電車は、何だったんだろう?

 もうしばらく待ってみたけれど、電車は来なくて、やっぱりさっきのに乗らなければいけなかったのだと。

 次はと、検索してもさっきのが終電。かと言って、今更あの家に戻るのは癪に障る。

 近くのホテルを検索してみるものの、2kmくらい先。しかも、最終チェックインは過ぎている。

 その次に近いところは、5km以上。戻るしかないのか。


 仕方なく、暗い道を戻る。

 夫の実家は既に玄関の鍵がかけられていて、仕方なく、呼び鈴を鳴らす。出てきたのが、夫だったのが、まだちょっとだけ救いだった。

「戻ってきたのか?」

「電車のドアが開かなくて、乗れなかったの」

 私が靴を脱いでいる間、少し考えていた夫が尋ねてきた。

「もしかして、歩道橋を降りたところで待ってた?」

「そうだけど」

 どうして、そんなことが分かるのかと、訝しむ。

「やっぱり。あの駅、ワンマンで一両目しか開かないから。歩道橋降りたとこだと、二両目の後ろで、気付かないかと」

 私はとっさに夫を殴った。簡単に手のひらで受け止められたけど。

「なによそれ、先に言ってよ」

 私がどれだけ心細かったと思ってるの。馬鹿だなと、ヘラヘラ笑っているこいつが憎らしい。

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