僕はまともな文章が書けない

安藤鮪人

僕はまともな文章が書けない

 僕はまともな文章が書けない。

 自分が考えていることをわかりやすく説明したいのに、要点を押さえた、脈絡のある文章が書けない。

 書いた文章だけじゃなくて、相手と直接話しているときもそうだ。

 プレゼン資料なんかでも、まともな図が書けない。


 相手は、ピンと来なかったり、僕が伝えたかったこととはまったく違う方向に話が行ってしまったりする。

 人によって考え方が異なるからそうなるのだろうか?

 それもあるけど、一番の理由はやっぱり、僕が上手く伝えられないからだ。


  ◆


 記憶にある中で一番古いのは、小学校の学級会だ。

 新学期が始まって、クラスの係決めがあったとき、「前学期と同じ人が同じ係になってもよいか」という議論になった。

 いいんじゃないという賛成派と、変えるべきだという反対派がいた。どちらでもいいという人や、決めかねている人もいたと思う。

 僕は内心、前学期と同じ係を続けたかった。

 それで挙手して、意見を述べた。

 これこれしかじかの理由で、続投ありにしてもいいのではないか、ということを言ったつもりだった。

 ところが、次に挙手したクラスメイトが、

「いま彼が言ったように、同じ人が同じ係をやるのは、なしにした方がいいと思います」

 と言ったので、びっくりした。

 さらに、周りのみんなが、

「そうだな、なしにした方がいいな」

 という雰囲気になっていることに気付いて、またびっくりした。

 僕は賛成派として話したつもりだったのに、反対派として効果的な説得をしてしまったのか。

 すぐに多数決がとられて、各自、前学期とは違う係とすることが、ほぼ満場一致で決まった。


  ◆


 社会人になって十年以上経ったけど、状況は小学生の頃と変わらない。

 部下に仕事の説明をしようとしても、上司にトラブルの報告をしようとしても、客先にメールを書いても、ポイントのズレた、理解しづらい文章になってしまう。


  ◆


 なんでこうなってしまうんだろう。


 推敲が足りないのか?

 ふだんの読書量が少ないからか?

 話の流れを組み立てきれないうちに、書いたり話したりし始めてしまうせいか?

 それ以前に、要点や根拠を自分の中で咀嚼しきれていないから、説明もおかしくなるのか?

 あるいは、伝えたい内容がそもそも論理的に間違っているのか?


  ◆


 過去に一度だけ、文章を褒められたことがある。


 あるニュースを読んだとき、僕の趣味に関わる内容だったので、掘り下げて調べて、ブログに記事を書いた。

 数日後、記事のアドレスが、ある匿名掲示板の、そのニュースについて話しているスレッドに貼られていることに気付いた。

 しかも、「こういうのが、読みたくなる文章だ。ニュースサイトもこういうのを書くべきだ」というようなことが、書き添えてあった。

 初めて文章を褒められて、僕は嬉しくなった。


 ただ、褒めてくれた人は知らなかったことがひとつある。

 僕は件のブログ記事を、ニュースサイトの文体を真似て書いた。

 自分の中では、ちょっとしたパロディのつもりだった。

 そうやって書いた文章が褒められたということは、褒めてくれた人は結局のところ、ニュースサイトの文章を褒めていたことになる。

 それは僕の手柄ではない。


  ◆


 世の中、ほとんどの人は僕よりまともな文章を書けるようだ。

 他の人の書いたブログやツイートや報告書や論文を見て、いつもそう思う。

 彼らはどうやってそれを身につけたのだろう。


 素晴らしい文章は書きたいなんて高望みはしない。

 せめて人並みの文章が書けるようになれたらいいんだけど。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕はまともな文章が書けない 安藤鮪人 @dokuropants

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る