冷酷な不等式?
人類が入植を開始した惑星で、開拓班が毒を浴びた。もちろん、解毒剤は用意されていた。けれども、想定以上に被害が大きく、解毒剤が足りない。
浴びた毒の程度によっては即死だが、3ヶ月程度なら生き延びることもできる。
最も近いコロニーまでは、高速船でおよそ2ヶ月。患者は4組に分けられた。
解毒剤の到着を惑星で待つ軽傷組、2ヶ月は待てないが中間地点の宇宙ステーションまでの1ヶ月なら待てる治療のために移動する組、現地の解毒剤で対応できる者と、どうしようもなく安楽死となる者。
中間地点を目指す患者15名と医療スタッフ2名、操縦士の合計18名を乗せた宇宙船が、惑星を出発して2時間。まだ加速を続ける宇宙船の操舵室の扉を、ノックする音が聞こえた。
本来なら、加速が終わり慣性航行に入るまでは操縦士との接触は行わない。患者は全員動けるような状態ではないから、ノックをしたのはそのことを充分に理解している医療スタッフだ。
ならば、その上でなお、接触を図らねばならない理由があるということだ。操舵室の扉を開けた。
「密航者です」
医療スタッフは、少女を伴って入ってきた。
操縦士は、反射的に映像通信の申請を管制に向けて送っていた。今ならまだ、タイムラグはほとんどなく通信ができる。
管制が応答し、宇宙船の識別名を伝えた。
「何か不具合でもありましたか?」
「密航者がいる。このまま進むには、水と食料が足りない」
計算するまでもなかった。患者は点滴の為、3人分の用意しかない。わずかに余裕は持たせてあるとはいえ、1ヶ月の航路を4人で分けるのは無理がある。
「航行緊急度は高に設定されています。確認しますので、しばらくお待ちください」
「待ってください。毒事故の患者を搬送しています。余裕を見て、本当にギリギリの患者は乗せていません」
医療スタッフが、たまらず声を上げていた。映像通信にしたのは、操縦士の後ろにいる二人が、管制にも見えるようにとの思惑だった。
「確認しますので、予定通りの航行を続けてください」
管制の事務的な返答の後、保留画面へと切り替わる。
◇
予定通りに、加速を続ける。
少女は自分の置かれた状況を飲み込めていないようだったが、医療スタッフのイライラは操縦士にも伝わってきていた。
宇宙船への密航者に対しては、乗員乗客の安全な生存が確保できない場合、裁判なしに宇宙空間へ出す私刑が許されていた。
けれども、助けられる命ならば、全て助けたい。今引き返せば、ロスはロスは半日程度に収まるだろう。もともと、1日は余裕があった行程だ。厳しくはなるが、不可能ではない。
加速を続けながらも、操縦士はすぐにでも減速して方向転換したかった。
加速すればするだけ、遠ざかる。減速に必要な時間が長くなる。減速して、方向転換して、再び加速、減速。今の加速は何倍にもなって、首を絞めてくる。
しかし、勝手な判断で、行程を変えるわけにはいかない。
宇宙は広いが、一定の航路があり、そこを多くの宇宙船が高速で飛び交っている。一艘の勝手な行動が、悲惨な事故を起こしかねない。
特に宇宙港の近くは、飛び立つ船、入港する船、通り過ぎる船、様々な船が入り乱れ、緊張を強いられる環境なのだ。
ここは入植を開始して日が浅く、飛び交う宇宙船も少ない。だからといって、操縦士が勝手に判断をして良いわけではなかった。
どれだけ時間が経っただろうか。実際には、それほどでもないだろうが、早くと願う者にとっては、とても長く感じた。
ようやく保留画面消え、管制官が表示される。
「新しい行程をお送りします。そちらに従ってください」
すぐに行程データを受け取る。大きくカーブして、惑星に戻っていた。
「了解した。そちらに帰投する」
「こちらでも、できる限りの準備はしておきます。安全な航行を」
通信を終了する。医療スタッフも安心したようだった。
「これから転回し、惑星に戻ります。患者さんは不安になることでしょう。もう一人と協力して、そちらのケアをお願いします。密航者は、ここでおとなしくしていてください」
カーブ開始前に指示を出す。
「はい、了解しました」
明るい声で応え、操舵室を出て行こうとする医療スタッフに、もう一つ指示を追加する。
「間もなく曲がり始めます。注意してください」
医療スタッフが出て行き、扉にロックをかけた。
密航者の少女に、船内を動き回られてはたまらない。
少女を助けられることが決定し、改めて思えば、管制もこの短時間に最大限の努力をしてくれたのだろう。
患者を助けられる行程は組めるのか。
他の宇宙船の航行に影響を与えず、かつ、可能な限り最短で帰投させる。
伝えてから充分に対応できることを前提に、予測して組み上げなければならない。
大きくカーブしている行程は、一旦減速するよりも、大回りになるが速度を維持した方が良いという判断だろう。
「キミも座っていなさい」
曲がれば慣性の法則に従い、外側に向けて力を受ける。掴まれるものもない場所で、座席もあるわけではないが、安全の為にもしゃがんでいた方がいい。
「今から戻るの?」
初めて、少女の声を聞いた。
「ああ。キミを連れて行けるだけの、水も食料も無いからね」
「お父さんが死んじゃう」
なるほど、運んでいる患者の一人が、彼女の父親なのか。
「大丈夫、お父さんは生きられるからこそ、戻るんだ」
◇
指示されたドックに停泊させ、密航者の少女を連れて宇宙船を出ると、宇宙港の職員が待っていた。
「お疲れ様です」
少女を、職員へと引き渡す。
「密航者の身柄は、お預かりします。それと、すみません。代わりの操縦士の手配ができませんでした」
ここは、発展した惑星ではない。それはとっくに覚悟をしていた。
宇宙船を見れば、既に船体の点検も、使用した分の燃料の補給も始まっていた。またすぐに飛び立てるようにと、密航者発見の連絡から到着までに、できる限りの調整をしてくれていた証拠だ。
「仮眠を取りたい。出発の予定は?」
「2時間後です」
礼を言い、仮眠室へと向かう。
少女は、職員に父親に会いたいと訴えていた。
それはできないと返される。
患者達は、解毒薬がなければ、リミットまでに宇宙ステーションに着けなければ、死ぬことを知っている。
そんな中、希望の宇宙船が出発早々に、何らかのトラブルで引き返した。
医療スタッフにいくら大丈夫だと説かれたところで、不安だろう。いざという時の為の余裕を、こんなに早く使ってしまっても良いのかと。
そんな中に、帰投の原因を連れて行くわけにはいかない。
この騒ぎの原因が自分の娘だったと、さらに心労を負わせるわけにはいかない。
それに、家族に会えないのは他の患者の家族も同じだ。ルールに従わなかった者の為に、優遇措置を設けるなどできない。収拾がつかなくなってしまう。
◇
アラームに目を覚ます。間もなく、出発の時刻になる。
宇宙船へ向かえば、医療スタッフと職員が既に待っていた。
操縦士に、船体の点検記録と、新たな行程が渡される。
そして、現状確認が行われる。時間の余裕はほとんどない。
宇宙船が再び、飛び立つ。
次に操縦士が一息付けるのは、加速が終わり、慣性航行への切り替え時の点検を終えた後、およそ6時間後だ。
仮眠を挟んだとはいえ、厳しい行程。その上、わずかなミスで時間を消費すれば、患者の命に関わるという負荷が乗ってくる。
分かっていたことだ。自分で選択した結果だ。
やれることは、全部する。
冷酷な不等式 陽月 @luceri
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