暇を持て余した××のお茶会

雛河和文

暇を持て余した××のお茶会

 裡に虚無を溜め込むようになったのは、一体いつからだっただろう。


 あらゆる義務が、娯楽が、行使することを許されたあらゆる権利が。

 ただそれを行うにあたって要する時間リソースを、無為に消費するだけのものに思えて仕方がない。


 結局人間なんて、いや人間に限らず生命なんて、最後には何一つ残さず消え去るだけの、消費するだけの装置に思えて仕方がない。


 そこに意味はなく、思想もなく、あるのは無駄と無意味だけ。どんな偉人も凡人も、最後には死んで全てを亡くすのに、その過程に何の意味があるだろう。

 むしろ生きているだけで資源を食い荒らすのだから、いっそ生まれてこない方がマシですらある。


 ……なんて、非出生主義に傾倒してみたところで、この虚無感は消えやしない。

 自分は自分のこれまでの過程じんせいを、生まれてきたことすら後悔しているけれど、こうして生を受けて活動してしまっている以上、今更「生まれない」ことなんて出来る訳がない。


 だけど、だからと言って死ぬ気はない。

 これは別に未練があるとか、死ぬのが怖いとか、そんなセンチメンタルな話ではなく。少し賢くなってみれば、自殺とはどう足掻こうと他者に迷惑を掛けるだけの行為だと分かるから。


 死ぬ本人にとってみれば楽になれていいのかも知れないけれど、その周囲では騒ぎが起こる。それを解決しようとする動きが起こる。――つまり、「無駄」が起こる。無駄であるから生きることを否定しているのに、無駄を生む死を選べるはずがない。


 死が生み出すのはゼロではなくマイナスだ。


 だからこそ、生命は死すら赦されるべきではない。


 だからこそ、生命ははじめから生まれるべきではない。


 結局のところ、これに行きつく。この思想こそが何も生まない「無駄」であるからこそ、自分というものの無駄さ加減が際立って、苛立たしい。


 何もかもが無駄だ。生きることも、死ぬことも。

 マイナスをプラスに、あるいはゼロにしようとする過程すら。


「ははは。どうやらキミは、余程つまらない物語を引き当ててしまったみたいだねぇ」


 声がした。それにつられて顔を上げてみると、そこは図書館のような場所だった。……それまでどこにいたのかは、知らない。そんな認識は無意味だ。

 その中央にはクロスを掛けられた背の高いテーブルとイスが。そして色とりどりの菓子類を摘み、華やかなティーセットで紅茶を嗜む、白髪白瞳の女がいた。


「ほら、ぼーっと突っ立てないで。今日のお茶会はキミの為に用意したのだから、キミが席に着かないと始められないじゃないか」


 女は困ったような笑みで、彼女の向かいの席へ促してくる。


「……せっかく用意してくれたようで悪いのだけれど。自分は無駄が嫌いだ。貴女が何処の誰であれ、無駄に付き合う趣味はない」

「そう言わずに。キミにとってはどうせ何もかもが無駄なんだ、私の気紛れという”無駄”に付き合ったところで、無駄が別の無駄に差し変わるだけだろう?」

「…………」


 彼女の言い分に納得したのではなく、ここで問答をすることこそが無駄に思えたので、大人しく席に座る。香りと共に湯気を立ち昇らせる紅茶に口をつけると、僅かな苦みが口内に染み込んでくる。


「紅茶の味ですらそうとしか認識できない辺り、キミは筋金入りの”外れ”を引いたみたいだ。非干渉主義も、こういうツマラナイものを生むのなら改めるべきかもね」

「何を言っているんだ」

「キミがそれを知ってどうするんだい? それこそ無駄というものだ」

「それもそうだ。けど、どうして自分をここに招いたくらいは聴かせるのが筋だろう。他人に無駄を強要するのなら、せめて納得のいく理由を説明するべきだ」

「何って、さっきも言っただろう? 気紛れだよ、気紛れ。気紛れに”内側”を覗いたら、軍を抜いてツマラナイものが居たものだから、気紛れに私のお茶会に招いただけさ」

「なんだ、つまりは無駄の極みじゃないか。自分がこれに付き合う責務はない」

「その通りだ。けれどキミに、私の誘いを断るほどの理由はない。そうだろう?」


 彼女はさっきと同じことを言っている。それを言わせたのは自分であるのだから、このやりとりという無駄を生んだのは自分だ。あぁ、苛立たしい。


「それで、キミのそのからっぽなパーソナリティだけど。実のところ、どうしてそうなっているんだい? ……あぁいい、キミのことだ。どうせそれも”無駄”と切り捨てて、覚えていないに違いなかった。少し待って、今キミの物語を読むから」


 相変わらず、彼女の言っていることが分からない。が、別にどうでもいい。知ったところで何が変わる訳でもない。もしかすると、何か世界の真実とか、そういった壮大なものに触れているのかもしれないけれど、自分にとってはどうでもいいことだ。


 彼女はこの部屋をぐるっと取り囲む本棚から、一冊の本を取り出すと、席に戻って読み進める。


「あぁ、なるほど。確かに特異と言えば特異だけど、凡庸と言えば凡庸だ。喜劇でも悲劇でもない。というか、物語性がない。

 人間の物語は少なからずどちらかに寄るものだけれど、キミの物語はそれ以前の問題として、欠陥がある。これじゃあからっぽになる訳だ」


 そう言って、テーブルクロスの上を器用に滑らせて本を渡される。開いてみると、そこには自分の人生らしき物語が綴られていた。自分がこうなった切っ掛けらしきエピソードもあるけれど、そんなことは思い出す価値のないことを他者の言葉で思い出したようなもので、どうでもいいことだ。本を閉じて、テーブルに置く。


 彼女はそれを見届けると、ティーカップを左手に持ったソーサーに置き、問いかけてくる。


「で、分かったかな? キミの物語の欠陥が」

「……さぁ」

「じゃあ教えてあげよう。キミの物語は”ありふれている”。少なくとも客観的に見るなら、何か特別なことがあった訳でも、逆に極めて平坦だった訳でもない。波乱万丈ではないけれど、かと言って完全に何もない訳じゃない。”普通”なんだよ、キミは」

「普通」

「そう、普通。それがキミの抱える虚無の正体であり根源だ。他者と比較したとき、キミの人生には何一つとして、特別なものが無いのさ。

 欠けていない代わりに、満たされていない。奪われていない代わりに、与えられていない。どちらにも寄らない”普通”だから、キミの視点では無駄なのさ」


 普通。際立ったものがない。アベレージ。


 言い換えようと思えば出来るけれど、それにさしたる意味はない。ただ、そうかという認識があるだけ。


「それを自分に教えて、貴女はどうしたい?」

「さぁ? 言った通り、このお茶会は気紛れさ。

 でも、無駄が嫌いなキミの為に、一つ何か理由を作るなら。

 それは、無駄であることを開き直る選択肢を与えるためさ」

「開き直る?」

「キミの言う通り、生命の過程は無駄ばかりだ。最終的に死ぬ。皆死ぬ。偉人も、その偉業を享受し語り継ぐ凡人も、最後には皆死んでいなくなる。

 キミたちが暮らす世界すら例外じゃない。跡形もなく消えてなくなるのに、そんな舞台で何かをしようなんて間違いなのさ。けどね」


 そこで彼女はティーカップとソーサーを置き、まっすぐにこちらを見る。


「”間違える”ことは、別に間違いじゃないのさ。たとえその間違いが何も生まないとしても、損害しか生まないとしても。

 誰に疎まれても、否定されても。キミがキミの、あるいは何かの為に為した間違いであるのなら、それは間違いじゃない。キミの間違いを否定することが、間違いではないように」

「それは違う。間違いは間違いだ。間違いは糾されるべきで、はじめから為されるべきじゃない。……間違いは、赦されてはいけない」

「思いあがるなよ、人間キミごときが。言っただろう、全てが無駄だって。無駄は間違いだって。

 けど、無駄から生まれたものが無駄を為して何が悪い。後に残らないからと、誰に否定されるからと、間違いを侵すことの何が悪いんだ。間違いが悪であるというなら、その悪の申し子であるキミたちが、悪を否定することこそが悪なのさ」


 何を言っているか分からない。彼女の視点はあまりにも違っている。何より、笑顔で、声も荒げることなく、変わらぬ調子で、人間を、世界というものを上から見ている彼女と、同じ視点に立つことは難しい。


「……何度でも言おう。キミたちの為すことはすべて無駄だ。間違いから始まり無駄に終わる、その過程に存在するキミたちの為すことは、無駄以外の何物でもない。

 けど、そんな無駄そのものであるキミたちが、無駄であることを否定する。それは滑稽そのものだ。そんなに無駄が嫌であるなら、はじめから生まれてくるな。

 そして生まれた以上、自分たちが無駄であることを受け入れろ。そうすれば、無駄であることも楽しめる。はじめから、意味のあることなんて一つもないんだから」

「…………」


 彼女の言うことは分からない。自分が彼女の言から何を得たのかも、得るべきなのかも。


「そうか。ならまたここに来るといい。キミが何度ここを訪れようと、同じことの繰り返しになるけれど。キミの世界がある限り、この場所は開けておく。だから、キミがまた無駄と間違いを赦せなくなったときは――」


 彼女は微笑む。


「――また、一緒にお茶をしよう」


 ~了~

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