マリー王女の尽きない尽くせない悩み

英知ケイ

これで……よかったの?

「明日の式典の事、よろしくお願い申し上げますぞ。マリー王女」


 大臣のロナルドは、念を押すように私にそれだけ言うと、扉の向こうに消えた。


 わかっている、明日の式典は友好国であるレングア王国の王子が、同盟10周年を記念して、特使としてこのピエルナ王国にやってくるのだ。

 とても重要な式典であることはわかっている。


 だが、受け入れがたいこともあるのだ。


 ……


 レングア王国は、友好の証として……足を舐める。


 公衆の前であろうが関係なく、舐める。


 我が国を舐めているのではない、それはかの国にとって、神聖な行為、最上の礼を表す行為、であるからだ。


 いや……、私も我慢できないことはない。


 やってくるレングア王国の王子アベラルドは、私の好みな小柄で可愛いらしく、もう愛い愛いしい! といった風な理想とは、正反対ではあるものの、身長は高く細身で、束ねられた長い髪は美しく流れ、その眼鏡から覗く目は澄んでおり、過去の来訪時に、彼を間近で見た私の侍女が、両手以上卒倒しているレベルの美形ではあるのだし。


 しかし……。

 しかし……。

 しかし……。


 まずいのだ……。

 まずいのだ……。

 まずいのだ……。


 わがピエルナ王国では、異性に足を舐められることは、即婚約を意味するのである。誰が決めたんだそんなこと、といってもどうしようもない。

 因習とはそういうものであるのだから。


 これは……婚約せよということか……大臣め!


 まだ私はそんなつもりはない。

 ないのであるぞっ!


 それは、その……、王女として、いつかそれなりの王家の子息に嫁ぐという運命は仕方ないとは思ってはいる。思ってはいるが、まだ私は16歳だ。あまりにも……早すぎるではないか。

 

 私がそんなことを考えて、一人頭を悩ませていると、扉をコツコツと叩く音がした。この音は……。


「いいわよ、ハリー、入っておいで」


 入った来たのは案の定、私の弟、ハリーだった。

 ハリーは弟とは言っても、私とは母様が違う。しかし、年が15歳と私と近いこともあって、とても仲良くしているのだ。


 何といっても、私好みの小柄で可愛いらしく、もう愛い愛いしい! というタイプど真ん中であるから、というのは、ハリーには内緒なのである。


「姉さん……あのね、明日の式典なんだけど……」



――――――――――――――――――――



 アベラルドは一礼すると、落ち着いた動作で腰を落とした。

 そして、眼鏡を取り、胸ポケットのケースにそれをしまう。


 侍女たちから、ハーッというため息のさかまく渦のようなものがきこえる。

 私も、思わず、ごくり、と唾を読み込んだ……はしたなくも。でも、これは仕方ないだろう。


 幾分大きく、聞こえないわけはないのだが、それを気にせず、彼は、恭しく、まるで大事なものに触るように、両手で、目の前にある足を軽く少し持ち上げ、顔を下げて正面に構えると、舌を出して、先端をすくい上げるかのようにして、優しく……。


「あ……」


 ……

 これは、私の声ではない。

 いや、私も声をあげかけたのは事実ではあるのだけれど。

 ……

 そう、アベラルドの優美な舌が今繰り返し繰り返しなぞっているのは、私の足ではないのだ。

 ……



――――――――――――――――――――



「姉さん、僕が、明日の式典でアベラルド様のお相手を勤めてもいいかな?」


 このハリーの申し出には、幾分救われたような気がしつつも、しかし私は素直に首肯することができなかった。


「ハリー、今回の式典は国家行事。遊びでは無いのよ。変更するのであれば、レングア王国側の了承も必要なのよ」


「……」


「ごめんね、折角……私の事を思って言ってくれたのでしょう、ハリー」


「……必要ないんだ」


「えっ?」


「必要ないんだよ、姉さん。もう、アベラルド様も了承済だから……」


「ど、どういうこと?」


「こういうことなんだ……姉さん」


 そう言うと、ハリーは私の部屋の扉を開いた。


「え……」


 そこには、長身痩躯、束ねられた長い髪は美しく流れ、その眼鏡から覗く目は澄んでいる人物、そう、アベラルド王子が困ったような顔をして佇んでいたのだ。



――――――――――――――――――――



 なおも、アベラルド王子の舌の動きは続いていた。

 執拗に続いていた。

 ハリーの顔は、なぜか……紅潮している。

 いや、ここまでいったらもう、なぜかも、何も、無いわね。



 昨日話を聞いた時には愕然とした。

 裏切られたような気持ちにもなった。



 だって、二人は、この二年ほどずっと思いあっていたというのだもの。

 ……

 そうね、私には最初から出番なんて無かった。

 悩んでいたこと自体がバカみたい、というかバカそのものだったなんて。

 私の、ちょっとだけ、というかかなり惹かれていた、ハリーへの思いはどこにしまえばいいのよ~?


 あ~、もう、こうなったら、楽しんでやるわよ、二人のこの何とも形容しがたい幸せ空間を!


 覚悟を決めた私の目の前で、神聖な儀式はなおも続いていた。

 傍に侍る侍女12名のうち、すでに6名が倒れている。

 様子を見ると、他の6名も危うそうだ。


 私も……もうダメかもしれない……。

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