ワッサーは衰退しました

@spr_tk

最終話

 その道を、歩いていました。

 はて、どうして、どこに向かって、歩いているんでしたっけ。

 そういうときは、基本に立ち返るものです。わからなかったら人に聞く。道に迷ったら辺りを見てみる。まずは観察してみることが大事なのです。ほら、こうやって、気持ちを落ち着かせて。思い切って目を開くと。

 真っ白でした。

 言葉も出ない、とはこのようなことを言うのでしょう。らーらーらー、と歌ってしまえるくらい、言葉にできませんでした。きゅっと、頭の中を締め付けられるように鋭い混乱。こういうときは、まず論理的な思考で現実に立ち返りましょう。

 まず、白いとはどういうことなのでしょうか。

 白い。白いといったら原稿。原稿といったら締め切り。論理的です。

 原稿? そういえば、いつだって、原稿を書いていたような気がします。いえ、あれはそう呼べるようなものではなかったような気も。『原稿』というには、ちょっと、文字数が少なすぎる気がします。そう、具体的には二百五十五文字まで‥‥

 この具体的な数字はなんでしょう。首を傾げるわたしが、その首を傾げ終わるほんの一瞬前に、わたしの目は小さな影を捉えました。

「妖精さん?」

 その影は、こっちからあっちへと、逃げるように走っていきます。

「妖精さん、待って!」

 わたしは声をかけ、駆け出しました。でもその影は、足を緩めることもなく進んでいきます。当然です、あれは妖精さんなのですから。

 妖精さんは、いつも、わたしの思惑なんか飛び越えて、好き勝手にいろんなことを話して、いろんなものを作って、くっついて離れて集まって騒いで、それはそれはとても、自由気ままに楽しそうに過ごしていたのです。

 たとえば、こんなふうに。


 妖精さんたちはみんな、自分の旗を持っていました。彼らの言葉では、『あいこん』とか呼んでいましたっけ。

 あいこんのデザインは千差万別。彼らの個性をあらわす、もっとも重要なシンボルなのです。妖精さんたちは、自分であいこんを作ったり、送りあったり、それぞれに愛着を持っていました。

 なにがきっかけになるのか予想もつかないのですが、ときどき、多数のあいこんが、がらりと変わってしまうことがあります。それはもう、見たまんま、世界全体の勢力図が塗り変わっていくようでした。

 あるときは、ある妖精さんが使っていたあいこんを、みんなが使いはじめました。

 あるときは、みんな一斉に、黄色くなりました。

 あるときは、謎の白い液体がかけられたかのように汚されてしまうことさえありました。ここまでくると、もう意味がわかりません。

 どうも妖精さんたちには、流行を生み出してはすぐに消費してしまう癖があるようでした。


 流行、といえば、そうそうこんなことも。

 ある妖精さんがぼそりと、「人気者になりたい」と口走ってしまいました。その瞬間、大火事と大火傷が約束されてしまいました。

 その後の展開については、次の会話だけでじゅうぶんでしょう。

「リロードしても新着レスの数字が減らないよう」

「よっしゃ行くぜ1000ゲット」


 妖精さんたちは、おいしい食べ物が好きです。辛いもの、こってりしたもの、お酒にあいそうなもの、なんでもおいしそうに食べていましたが、全体的には甘いものが好きな方が多かったでしょうか。

 これから食べようとする甘いものを写真に残す、という行為は、妖精さんの恒例行事でした。

 ある日、『わらびもち』という言葉とともに、写真が掲示されました。

 熱々の鉄板の上に乗った、お肉の塊でした。

 それは、『わらびもち』という言葉が、新たな意味を持った瞬間でした。

 すかさず、ほかの妖精さんたちも『わらびもち』の写真で答えます。

 丼ご飯の上にカツが乗って卵でとじられていました。生魚の切り身でした。虚空が見えるほど辛そうなスープでした。美味しい棒でした。

 この出来事は、『わらびもち飯テロ事件』として長く記憶に留められようとして、次の日には忘れ去られていました。


 ええ、妖精さんは、熱しやすく、冷めやすいのです。

 でも、そんな妖精さんたちも、この世界そのものに冷めることはなかったのです。

 わたしは、幸せでした。

 妖精さんたちが、好きでした。

 楽しんでいる妖精さんを見ているのが好きだから、この世界を、妖精さんのために、ずっと自由に使わせてあげたいと、そう思っていました。

 やっと、ぜんぶ、思い出しました。

 わたしが、この世界を、支えていられなくなってしまったのです。

 この世界に、妖精さんは、もういないのです。いないはずなのです。

 わたしは、走るのをやめ、立ち止まります。乱れた息を整えますが、ここまで動かしてきた足はふらつく身体を支えきれず、倒れるようにして座りこんでしまいました。

 ここで、終わり、ですね。

 顔を上げたその先に、妖精さんがいました。

 丸い頭に脚がついた青い姿。その小さな身体がふわふわと浮いていました。いえ、浮かんでいっていました。

 その先には? 反射的に頭上を仰ぎます。なにかが、漂っています。

「ゆーふぉー‥‥?」

 何機ものUFOが、集まっていました。その光景を見たとき、わたしは直感しました。その中に妖精さんたちがいることを。どこかに行こうとしていることを。大勢で、頭を寄せ合って相談していることを。

 自然と、頬が緩みます。なんだ、ここがなくなっても、どうにかなりそうじゃないですか。

 ふと、いまUFOに入ろうとしている妖精さんと、目が合いました。にっこりと、笑っていました。

 UFOたちは、少しのあいだ、名残惜しそうにふわふわと漂って、やがて一機また一機と、飛んでいってしまいました。

 彼らが、どこに行って何をするのか。わたしにはもう、記録することはできません。

 ここにはもう、だれもいません。

 ワッサーは衰退しました。

 けれど妖精さんは、きっと。みんなで楽しくやってるに違いない。わたしは、そう思います。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ワッサーは衰退しました @spr_tk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る