恋愛ダイナマイト

夢太

恋愛ダイナマイト

 私は本当にいけない人間だ。


 どうしてか?


 教師という身分でありながら、生徒に恋心を抱いてしまったからだ。


 それも、人生はじめての恋。


 親の方針で女子中からエスカレーターで女子大まで進学したので、ほとんどといっていいほど男性との関わりがなかった。


 友達は他の大学に行ってサークルに入ったり、バイトで彼氏を見つけているらしいのだが、私自身そこまで行動力も無く、金銭面でも親から毎月お小遣いは貰っていたのでバイトの必要性もなく。

 何より恋愛をしたことがなかったので、恋愛について、そして男性について深く知ろうとも思わなかった。


 『好き』という感情が理解できないうえ、一人でも生きていける自信はなぜかあった。


 しかし、周りの友人が彼氏との2ショットの写真を見せてくるたびに、少しずつ思いが変わっていった。


 ――『恋』ってなんだろう。


 そんな私が教師になった理由は、女子高校生時代の男性教師の顔を思い出したからだ。

 というか、男性の顔を思い出せと言われてもお父さんかその先生しか思いつかなかったからである。


 そこから教師の道を進むことを決めた、というのが本音である。


 一度決めてしまえば後は簡単だった。幸いにも私が在籍していた学部は、資格を取るために必要な授業は整っており、それらを履修しつつ教員試験の勉強も進めていった。


 そして、半年前の4月に新任として、公立高校に赴任したのである。


 男性との関わりは同僚である先生や男子生徒くらいだが、割と話せることに気が付いた。

 でも、友達が言っていた恋愛感情とは遠い感情しか生まれていない気がしていた。


 しかし、それは赴任して少し経ったときに起こった。


 私はいつも通り授業をするつもりであったが、どうもクラスの調子がおかしい。

よく見てみると、男子2人で喧嘩しているようだった。


「ちょっと!! 今は授業中よ!!」


 私がそう呼びかけるもクラス中はヒートアップしていて誰も耳を貸してくれない。


 これは本当にヤバい……。


 教師としての経験値が足りない上に、喧嘩しているのが男性で、どう対応すればよいか分からなかったのだ。


 目の前が真っ白になった瞬間。


「おいおい、お前ら。先生困ってるしもうここらでやめとけよー、宿題増えたらお前らのせいだぞ」


 クラスでは決して目立つようなキャラでもないはずの男子生徒――玉井君が喧嘩の仲裁に入ったのだ。

 喧嘩をしていた生徒たちは、声の主が玉井君だと分かり、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


 いつもは穏やかで、仲裁に入るようなキャラではないからだからだと思う。

 そのおかげで頭が少し冷えたみたいで喧嘩はひとまず収まってくれたのだった。


「はい、じゃあ、授業を再開しますよ。あと少しで授業終わるからそれまで頑張ろう」


 そして、ちらりと玉井君の顔を見ると、私の方を見ながらにっこりとほほ笑んでいた。


 ――そこで私は恋に落ちたんだと思う。


 理論ではわかっていても感情は理解できなかった。

 でも、この瞬間、この胸にあふれる熱い気持ちは、間違いなく『恋』であることは分かった。


 それ以来、玉井君を目で追うことが多くなった。


 もちろん生徒と比べて贔屓などはしていないし、ほかの生徒のことも良い方向に導くため日々努力している。

 恋の進展の方は良しか悪しか分からないが全く進展していない。

 初恋が実ってほしいと自分ながら思うも、教師と生徒という関係上進展していなくてホッとする部分もある。

 もし成就したとしても、周りに隠しながら生きていくくらいならこの恋はなかったことにした方がよいのではないのか……。

 そう思っていたところ、一つの報告が耳に入る。


 玉井君が転校するそうだ。それも、近日に。


 いつまでも迷っている私に対して神様からの決断しろ、というお告げなのか。


「そんなの分からないよ……」


 いっそこのまま天国に連れて行ってよ、神様。


 そして、玉井君の転校日。

 私は、決断をした。


 ――玉井君に告白するんだ。


 話したいことがあるといい、放課後に屋上に呼び出した。

 人生初めての恋。人生初めての告白。

 それは、教師という職業上、間違った判断なのかもしれない。

 しかし、その前に私は恋をしている人間なのだ。

 この想いを伝えなければ私は一生恋をすることはないだろう。

 新しい一歩を踏み出すためにも。

 教師としての道を外すことになっても。

 この想いだけには嘘をつきたくない。


 フェンス越しに、誰もいないグラウンドをどれぐらい見ていただろう。

 もしかしたら1分だったかもしれないし、1時間だったかもしれない。


 時計を見ようと左腕に視線を移すと。


 ――玉井君がいた。


 彼の顔を見るだけで胸の奥から何か熱いものが溢れ、それは止まる気配を見せない。

 その状況から私は何度も再確認するのだ。


 (やっぱり好きなんだなぁ……)


 カツ、カツ、と彼の革靴の音が少しずつ私の方に近づく。

 一歩近づくたびに、私の心拍数もまた一段と上がる。

 夕日で頬の赤さをごまかせているだろうか。


「先生、どうしたんですか? わざわざ屋上なんか呼び出して。職員室でよかったのに」


 職員室で生徒に告白する先生がどこにいる。

 心の中でツッコミをいれるも、彼は呼び出された要件を知らないためそう言うのも無理はない。


「貴重な時間貰っちゃってごめんね。玉井君が今日転校するから少し二人で話したいなと思って」


「ああ、そういうことですか。それは職員室じゃ話せないですね」


 クシャッ、と笑いながら彼は理解を示してくれる。


「私が新任に就いたばかりの授業で、玉井君が助けてくれたこと覚えてる?」


 しばしの沈黙の後、


「うーん。あんま覚えてないです。そんなことありましたっけ?」


 ガクッ。

 膝から崩れ落ちそうになる。

 私が恋に落ちたエピソードなのに。


「あったよ! クラスの男子同士が喧嘩になったときに仲裁に入ってくれたじゃないの。玉井君がまさか仲裁をすると思わなかったから驚きだったのよ」


「あー、そういえばありましたね」


 ようやく思い出してくれたみたいだ。


「あの時なんで仲裁してくれたの?」


 純粋に疑問だったのだ。なぜクラスで決して目立っているとは言えない子が私なんかを助けたのだろうか、と。


「んー。先生が困っていたから、かな」


「そう、なんだ。ありがとうね。そんなに私の授業が聞きたかったの?」


 冗談半分で少しジャブを入れてみる。


「いやー、先生も知ってると思いますけど、どの教科もテストの点数良くないんですよね。今だから言えますが、どの教科の授業も好きじゃなかったのでいつも聞いてなかったです。」


 でも、と続き、


「それ以上に誰かが困っていたり争っている姿を見るのが好きじゃないんです。僕の幼少期は親同士が喧嘩していたのをいつも見て育ってきたので。そして、勝手に離婚して。当時の僕にはかなり心が抉られましたよ。父親に引き取られて、お互い家ではあまり笑うこともなくなって。もっとも母親の笑顔も覚えてないですが」


 ハハッ、と笑いながら言うものの、心が笑っていないのはなんとなくわかった。


「今回僕が転校するのは東の都会ですが、それは親が再婚したからなんですよ。なんて自分勝手な親なんだろうと何度も思いました」


 私は頷くことしかできない。こういう時何かを言える人間であれば、とふと思った。


「ですが、親の笑顔がはじめて見られると思ったら、いいんじゃないのかな、と思ってみたりして。それで僕はついていくことにしたんです」


 淡々と話しながらも先ほどとは打って変わった心からの笑顔が見える。


「うん。その判断は君自身が選んだことなら私は応援したいと思う」


 ちっぽけな回答かもしれないが、少しでも彼のことを想い、そう発言する。


「ありがとう先生。きっと昔の良い親子関係に戻るには時間はかかると思うけど、自分にできることをしてみようと思うよ」


 そう言った後、少し強めの風が私たちの間を駆け抜けた。


 キーンコーンカーンコーン、とどこかからチャイムが聞こえる。


「もうこんな時間じゃん!! ごめん先生、今晩引っ越すから早く家に帰ってこい、って言われてたんだ!! なんだか話を聞いてくれてスッキリしました。では、今までお世話になりました!!」


 玉井君は、丁寧にお辞儀をして踵を返す。


「待って!!」


 ドアに手をかけようとした彼を私は呼び止めてしまう。


「……、どうしたの先生?」


 私は何を言うべきなんだろうか。


 彼の話を聞いた後、教師として、人間として。


「…………、あのね玉井君」


「うん」


ギュッと握った拳の中に汗がたまる。


「…………、新しい環境でも頑張ってね!! 先生はいつまでも応援してるから!!」


…………。


「ありがとう先生!! さようなら!!」


 バタン、と軽快に扉が閉まる音が響き、私は独り屋上に取り残される。


 私のはじめての恋をした相手が一番欲しかったものは、多分恋ではなく、純粋な親の愛情だと気づいた。

 彼の中に私という恋愛感情の要素を入れることは、教師としても人としても多分違っていたのだと思う。

 それに気づいた時、私のこの恋は実らないことが何となくわかってしまった。


「うっ、うっ……」


 叶わない恋を夢に見た結果がどのみちこうなることは予想していたはずなのに涙が止まらない。

 本気で愛していた彼に幸せになってほしいと思った私が、この決断を選んだこと。

 それは私の気持ちは実らなかったかもしれない。

 でもそれで彼が幸せになるんだったらそれでいいんじゃないのか。


 はじめての恋。

 それは私の心のキャンパスを色づかせてくれた。

 もし、次に恋をすることがあれば、どんな色が増えるのだろう。

 私は、はじめての色がいつか増えることを、誰もいなくなった屋上で一人祈るのだった。

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