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天に昇ったかがりの炎、むかしに消えた、お星のお歌のことへの応援コメント
鉱石性と童話・童歌性、それらを実験皿の上で自在に融合させ、プラスアルファの輝きをすら与えてみせる手腕にいつも舌を巻いています。
この一作は「~危ないんだったら」の辺りに宮沢賢治「オツベルと象」の語り手を幻視したり、鉱物たちのかち合う火花に「インドラの網」を感じたり、何より私の大好きな「楢ノ木大学士の野宿」を思い出すようで、楽しんで読みました。
勿論、それらの親和性を感ずるより先に、まず御作ならではのリズムと表現が在って、無二無垢の唄になっているのが、何よりも素晴らしく感じる事です。
(上記、長いことハートをのみ投じて、書き留めていたコメントを投稿し忘れていたようです)
作者からの返信
安良巻祐介さん
仰るとおり、この話(うた)は宮沢賢治のさまざまな作品から着想を得ています。
足がかりは『春と修羅』の『東岩手火山』だったのですが、たしかに『楢ノ木大学士の野宿』の気もありますね(この話はわたしも大好きです。)
童話と詩の流れを持った、みじかい話(うた)をつくろうと試みたのですが、まだまだ磨き足りないところも多く…。ですが楽しんでいただけたなら甲斐があり、また励みになりました。
薬草花壇の四季のいろ、石の畳が踊りだす裏々庭の秘密やなんかへの応援コメント
またたびをよく舐めたようなとの形容をおもしろく思った。にゃわあは癖になりそう。
魔法使いのおつかいの歌のきれいに頭韻を踏んでいるのをすごいと思った。
作者からの返信
青丹よしおさん
ありがとうございます。
ムーニールは魔法ねこなので、(にゃわあ、を含めて)特徴のある形容をしたいと思ったのでした。
おつかいの歌、どうしても韻を踏みたかった結果、あのようなかたちになりました。
すこし時間がかかった箇所なので、目をとめていただいて嬉しいです。
虹の生えてる湖畔に棲まう、番いの鹿のことへの応援コメント
何という悲しく美しい御伽の話。「悲しさ」と「美しさ」とが合わされたところに生まれるのが「尊さ」であるのだなとしみじみ…。浮き世に現れた夢であり触れられる幻である虹の欠片が、湖畔の静けさ、夜の残酷さに融けて、ひどく透明感のある色彩を作り出していて素晴らしい。
こうやって言葉に出すだけならば簡単ですが、それらをほんとうに描き形作ることの難しさを思いながら感嘆しました。
作者からの返信
安良巻祐介さん
いつも、丁寧かつ励みになるお言葉をありがとうございます。
悲劇のようであり、愛の成就であるような物語はまだまだ手探りなのですが、ご感想をいただけると新たな発見があります。
「悲しさ」と「美しさ」の持つ妙には、まったく同感です…。
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月と呼ばれる石ころが、南の海に落ちたときへの応援コメント
ラブル・リベル・クライムの語感から既にやられてしまい、精霊書のページがめくられゆくのにわくわくしております。
まずは水精の繙く開闢の御伽噺、堪能致しました。「大きなもの」のイメージは矢張りあれでしょうか…
作者からの返信
安良巻祐介さん
ありがとうございます。
いろいろと語りかたも試したく、奔放な妖精の力を借りることと相なりました。
しばしお付き合いいただければ幸いです。
古く果てしない海には夢を見てしまいます。「大きなもの」は、おそらくお察しの通りかと…。
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お宮の龍がご子息つれて、夢にぬくもるときのことへの応援コメント
嗅いだことのない「龍の花」の薫香、その広がりと薄曇りの向こうに滲み見えてくる、道駆く龍童と浅林と月――幻景というにふさわしい、伽語りの世界。御作の「始まり」の鐘の鳴らし方、とばりの掲げ方にも、いつも感嘆しつつ学ばされています。
ナーシアの回想と共に、幻燈芝居のように流れゆく言葉と風景、そして小さな龍の子の胸中の切々とした思い、それらが、花の薫りの中に滲みながら、祠の奥へと魂ごと吸い込まれてゆくようで、陶然としてしまいました。
作者からの返信
安良巻祐介さん
ありがとうございます。龍の花の咲く村の話は、ずっと書いてみたいと思っており、その気持ちがあらわれた冒頭、そしておしまいの風景だったなあと、いただいたコメントを読みながら思いました。
回想を紡いで物語を進めていく方法はとても新鮮で、仰るようなひとつの流れを作れていたなら幸いです。
(たくさんお読みいただいたうえ、丁寧なコメントまで…重ねてありがとうございます。)