9.星との別れ

 時が経つのはあっという間で、とうとうクリスマスイブの夜が来てしまった。

 僕はバイト先のコンビニでショートケーキを二つ購入する。ケーキの上にサンタのチョコが乗った、いかにもクリスマス仕様のケーキだ。

 ケーキを崩してしまわないようにそっと自転車のかごに入れ、かばんは自身の肩にかける。



 そのまま自転車をこぎだして、一ヶ月前に琴音と出会った河川敷へと向かう。

 今日はイブであると同時に、この町では今年二度目の二色の流星が観測できる日でもある。

 僕は青と赤の流れ星を見られるわくわくと同時に、琴音と別れなければならない寂しさを心の内に秘めて、街路樹の下を潜り抜けた。

 国道を抜け、アスファルトの上に自転車を停める。


「琴音!」


 僕は橋の上の街頭に照らされる川沿いに向かって声を張り上げる。今の自分は、二週間会っていない少女を探すのに精一杯だった。

 できる事なら、あれから毎日琴音に会いたかったのだが、二週間前に彼女が河川敷に向かう際、イブの日まで会いに来るのはやめてほしいと言われている。僕と出会う事で、自身の決断が揺らいでしまう――との事だ。

 彼女の気持ちを優先するためとはいえ、二週間も琴音に出会えなかった僕は、歯がゆい気持ちでいっぱいになっていた。だから僕は、川に向かって精一杯大きな声を出した。


「琴音! いるんだろ!?」


 僕が張り上げた声が、大きな川にこだまする。


「誠っ!」


 河川敷の下の方から、僕を呼ぶ声がした。

 咄嗟に後方を振り返ってみると、赤い橋のある川原から琴音が走って来ていた。


「琴音!」


 僕は自転車を停めて階段を下りて、琴音の下へと駆け寄った。


「久しぶり……」

「本当に久しぶりだね……誠」


 僕たちはお互いに照れくさくなりながら、挨拶を交し合う。ほんの二週間しか会っていないというだけなのに、もう何年も顔を合わせていないような感覚に陥る。それは恐らく、琴音とは最後の関わりだという事にも起因しているのだろう。

 僕は、琴音の答えを聞かなければならないのに、なかなかそれが聞き出せない。


「ケーキ、あるから食べよう」


 僕はそう言うと、階段を登って二つのショートケーキを取りに行く。


「僕らの住む星ではね、イブになるとケーキを食べる習わしがあるんだよ」


 僕がビニール袋に入ったケーキを見せびらかすと、琴音は「そうなんだ」と言って優しく微笑んだ。



 階段に座ってケーキを食べる僕と琴音。


「これ美味しい!」


 チョコレートケーキをスプーンで口に運んだ琴音は、思わず驚嘆の声を漏らした。


「あたしの住んでた星はね、砂糖が不足してたから、甘いものってすごく貴重だったの。最後の最後でこんなにいいものが食べれるなんて……ありがとね、誠」


 僕に向かって満面の笑みで微笑む。これから自分に降りかかる定めなんて知ったことかと言わんばかりの表情だった。


「嬉しいよ……」


 琴音の笑顔に気圧された僕は、何も反論する事ができず、ただひたすらケーキを口に運ぶ事しかできなかった。美味しいはずなのに、なぜか琴音の幸せに同情する事ができない。

 別れが近づいているというのに、どうして彼女はこうも気丈に振舞っていられるのだろう?



 ケーキを食べ終わって、僕と琴音は夜空に浮かぶ星たちを眺めていた。

 どれくらいの時間が経過したのかは分からない。ただただ、無慈悲に流れる時間に身を任せていた。


「琴音……」


 僕は意を決して琴音に問いかけてみる。


「二週間前のあの選択……決まった?」


 僕の質問に、琴音は迷う事なく首を縦に振った。


「うん……あたし、やっぱり最後は誠と一緒にいる事にしたよ」

「琴音……本当にいいの?」

「だってあたしは本当に誠の事が好きだから、この気持ちを大切にするために、この星をあたしの墓場にする事に決めた。このまま宇宙を彷徨って生き続けたって、誠の事を思い続けて辛いだけだから……」

「琴音……!」


 琴音の決意を聞いた僕は、途端に目の前の視界が揺らぎ始める。そして気がついたら、瞳から大粒の涙が流れ出す。


「んもう! 誠は泣き虫だね! ここで泣くと男が廃るぞ?」

「……ごめん……」


 背中を丸めて泣きじゃくる僕の背中を、琴音は優しく擦ってくれる。


「琴音は……もう決めたんだね……」

「まあ……消えるのはちょっと怖いけどね……」

「すごいよ……琴音は……」

「そんな事ないよ。あたしだって誠と同じく泣き虫だし!」


 琴音はもう涙を見せたりはしなかった。

 この瞬間、僕を悲しい気持ちにさせまいと、必死で笑ってくれている事に気がついた。


「それに、ここで消えたとしても、終わりとは限らないし」

「えっ?」


 琴音の言葉に、僕は目に涙を残したまま、首を傾げる。


「誠、この間、言ってたよね。生まれてくる星もあれば死んでいく星もあるって」

「うん……」

「あたしね……生まれ変わりっていうのを信じてるんだ」

「生まれ変わり……」


 琴音は悟ったように、顔を夜空に向けた。僕は想定外の言葉に驚きつつ、琴音の話に耳を傾ける。


「たとえば、この世に存在する命あるもの――人も、虫も、魚も、鳥も、何かの要因で死んじゃった時、必ず再びこの世に生まれてくるんだってさ。それが死ぬ前と同じ生き物かは分からないけど、とにかくこの世の全ての生き物には必ず前世っていうものがあるんだって。不思議だよね。神様の魔法みたい」


 琴音が夜空から僕に視線を移すと、口角を上げてニッコリと微笑む。それにつられて、僕も自然と笑顔になる。


「でもね、それって命あるものに限られた話じゃないと思うんだ?」

「どういう事?」

「例えばね、宇宙に存在する星は必ずいつかは死を迎える。それと同じように、宇宙では星が新しく誕生する……宇宙の星だって、死ぬのと同時にまたどこかで別の星として――いや、もしかしたら命あるものとして、生まれ変わっているんじゃないかな?」


 すると琴音は、この先の言葉が出てこないかのように口ごもってしまう。

 そこで僕は、琴音の思考回路を先回りし、彼女が言おうとしていた結論にたどり着く。


「流星の力を得た琴音でも、ここで消えて人間に生まれ変われるかもしれない……って事?」


 少しうつむいたまま、琴音は静かに首を縦に振る。


「確証はないし……単なる言い伝えに過ぎないけどね……」


 不安そうに呟いた琴音を見て、僕は腕を組んで考える。



 琴音は人間に生まれ変わりたいがために、この地球で消える事を選んだ。自らの生命と引き換えに……

 命を無駄にするなとか、もがいても生きろとか、そんな陳腐な台詞はここではいくらでも言う事はできる。琴音はそれを理解した上でここに来ているのではないか。だったらそういった綺麗事なんかよりも、僕も笑顔でここで琴音を見送るべきではないのか……


「そうか……だったら僕も、琴音の最後を見届けるよ。もう泣いたりはしない……辛いけどね」


 僕がそう言うと、琴音は笑顔で「ありがとう」とお礼の言葉を述べた。



 ポケットからスマホを取り出し、現時刻を確認してみる。午後十一時四十五分だった。


「あと十五分か……」


 二色の流星が観測できるまで十五分。そして、上条琴音と共に過ごせる時間、十五分。

 こうして待っている間も、タイムリミットは刻一刻と迫ってきている。そんな中、僕と琴音は意外にも冷静でいられた。それは琴音の覚悟と決心が生み出したものだという事が、彼女の顔を見ていると伝わってくる。


「なんだか懐かしくない?」


 河川敷に向かって、琴音は小さく呟いた。


「あたしがこの河川敷に来てから一ヶ月しか経っていないのに、なんだかすっごく昔の出来事みたいに感じるもん」

「あんまり会う機会はなかったけど、僕にとってはものすごく濃い時間だったと思うよ。二人でデートもできたし、琴音の秘密を知る事もできたし」


 僕にとってこの一ヶ月間、他では絶対にできない体験をする事ができたと思う。

 琴音との出会いは、運命的なものを感じずにはいられなかった。


「琴音……ちょっと待ってて……」


 僕はかばんの中に忍ばせておいた、星型の宝石のついたネックレスを取りに行った。

 かばんの中から取り出した途端、宝石の光が溢れだし、僕の顔を照らし出す。そのままネックレスを首にかけて再び琴音の隣に座った。


「琴音。このネックレスは君の形見だと思って、一生大切にする――いや……生まれ変わるとしたら、形見っていうのもおかしいかな……?」


 僕がネックレスを琴音に見せると、彼女は右手を黄色の宝石にあてがった。すると宝石から放たれる黄色の光が強まっていく。


「その宝石の光は、あたしが誠を思う気持ちの強さを表しているよ。あたしが消えちゃっても、この宝石がある限り、あたしと誠に結ばれた強き思いと願いは途絶えないの。誠も、この石にあたしを忘れないって誓ってほしいの……」


 琴音の言葉に、僕も星形の宝石に両手を包み込む。


「……もちろんだよ……」


 僕が呟くと、琴音は瞳に黄色い涙を浮かべてそっと微笑む。感謝の思いが、僕の心に伝わってくる……

 琴音といられる時間はもう僅かしかない。焦りを覚えた僕は、そのまま琴音の身体に覆い被さった。

 僕の重い体を、琴音は拒む事もなく優しく包み込んでくれる。


「琴音……好きだよ」

「ありがとう……本当にありがとう」


 体内時計では、どれくらいの時間抱きついたかなんて測定できなかった。一分にも感じられたし一時間にも感じられた。

 やがて琴音の体は淡い光の粒を放ち始め、一つ一つ冬の夜空へと消えていく。とうとうお別れの時が来てしまったようだ。


「いよいよだね……」


 僕が首から吊るされた宝石をぎゅっと握りしめると、琴音は僕の顔を目に焼き付ける。彼女の身体がどんどん透明になっていく。そして目から星の涙を溢れさせ、静かに口を開いた。


「誠、あっという間だったけど楽しかったよ。こんなあたしと関わってくれてありがとう。星になったあたしを受け入れてくれてありがとう。そして、このあたしを好きになってくれて……ありがとう……」


 最後のありがとうを言い終えた瞬間、琴音の体は完全に消え失せてしまった。同時に黄色の宝石の輝きも消失する。

 彼女の居なくなった空間を見ながら、僕は魂が抜かれたかのように、その場に項垂れる。

 気配を感じて不意に頭を上げる。僕の視界に飛び込んで来たものは、青と赤の尾を引く、二色の流星の大群だった。


「綺麗……」


 僕が口から漏らした言の葉は、琴音と出会ったあの夜に見た流星の時と同じ感想だった。



 ●



 上条琴音と出会ってから約一年が経過した、十一月の終わりのある夜の事――



 バイト代で購入した望遠鏡が入ったアタッシュケースを手にして、僕は玄関先でスニーカーに履き替える。

 胸元には一年前、琴音から貰い受けた星型の宝石の付いたネックレス。琴音のいなくなった今、光輝いてはいないが、あの日以来自分の命と同じように大事に保管していた。このネックレスを外に持ち出すのは一年ぶり。首から吊り下げていると、何だか琴音が僕の心の中で優しく微笑んでいるような感覚に陥る。



 今日は二色の流星がこの町で観測される日。

 ポケットから取り出したスマホの時刻を見ると、午後十一時を過ぎていた。


「お兄?」


 外に出ようと玄関のドアノブに手をかけると、明かりの消えた廊下の向こうから歩美が現れた。パジャマに着替えて、濡れたボブの前髪をカチューシャで持ち上げている。どうやらお風呂から出てきたばかりのようだ。


「どこかに行くの?」 


 歩美が質問すると、そのまま視線をアタッシュケースに移す。


「星を見に行くの?」

「うん」

「……そっか、たしか今日、赤と青の流星が見られる日だもんね」

「……うん」


 歩美は僕をおちょくる事なく、静かに口角を上げて微笑む。しかし僕は、二色の流星という単語を耳にするだけで、琴音の姿が頭の中に思い起こされてしまう。フラッシュバックする度に浮かない顔をする僕。にも関わらず、あえて流星を見に行こうとする自分自身に葛藤している……


「じゃあさ……あたしも行っていい?」


 表情に影を落としていると、歩美が僕の顔を覗き込むようにして体を乗り出してきた。

 一年前は天体には一切興味を示さなかった歩美からの予想外の発言に、僕は目を大きく見開く。しかし断る理由も見当たらないので、十五分以内に支度をするように歩美に言う。歩美は首を縦に振った後、少しはしゃいだ足取りで階段を上がっていった。

 十分くらい経つと、支度をし終えた歩美が降りてきた。上はタートルネックにトレンチコート。下は冬だというのに黒のストッキングにショートパンツといった格好だ。


「寒くない? その格好」

「いいの! 女の子のオシャレは我慢から始まるんだから!」


 歩美は開き直ったかのように答えて、玄関先にあるブーツを履く。相変わらずませた妹だと心の中で呟きながら、僕は玄関の扉を開く。

 開いた扉の隙間から、冬の初めを告げる冷たい風が入り込んでくる。


「うわっ……さっむーい」

「ほーら言わんこっちゃない、そんな薄着してるから」


 歩美は僕に向かって、うっさいと歯を出して威嚇しながら玄関の扉を閉める。

 僕はコートのポケットに両手を突っ込みながら、頭上に広がる夜空を仰いでみる。黒ずんだ雲がまばらにあるものの、全体的に空は晴れており、星の群れもしっかりと肉眼で観測する事ができた。

 僕は歩美を先導する形で歩き、あの河川敷へと足を向かわせる。

 十二月に差しかかろうとするこの時期の風は冷たく、冷気が耳を伝って顔全体を冷やそうとしている。

 歩けば歩くほどに勢いを増していく北風。僕はコートを力強く体に密着させて、寒さを凌ごうとする。



 ふと後ろを見ると、歩美が僕と同じようにコートを自分に強く覆いかぶせて、寒そうに震えていた。

 少し呆れたようにため息をついた僕はコートを脱いで、歩美の後ろに回りこみ、そっとかぶせてあげる。


「お兄……」


 僕の行動に驚いていた歩美だったが、そのままかぶせたコートを体にまとわりつかせる。寒さも和らいだのか、表情も安心したものへと変化した。


「ありがとう……」


 照れくささを醸し出したまま、歩美は僕に向かってお礼を述べた。


「でもどうして僕に付いて来る気になったの?」


 せっかくなので、僕は歩美に尋ねてみる。


「別に……特に理由なんてない。お兄のやってる事にほんのちょっぴり興味を抱いただけ」


 歩美の返答は素っ気ないながらも、僕に気を遣ったようなニュアンスが含まれている。


「それに……また琴音ちゃんに会えるかもしれない……」


 歩美は歩きながら表情を曇らせる。

 僕は琴音が異星人で、一年前に消えたという事は歩美には伝えていない。頼まれた訳ではないが、無闇に琴音の最期を伝えたくないし、何しろ琴音自身に示しがつかない気がしたからだ。

 だから歩美には、僕の家に来て以来会っていないと伝えておいた。


「元気にしてるのかな……琴音ちゃん……」


 歩美は寂しそうに呟いて、白い息を夜空に向かって吐き出す。

 歩美と琴音が顔を合わせた時は、お互いに距離を置こうとしているようにも感じられたが、それは僕の単なる思い過ごしだったようだ。

 歩美は琴音の事を、しっかりと友人と認めていてくれたのだ。


「元気でやってるさ。琴音はちょっとやそっとの事でへこたれるような人じゃないさ」


 僕が言うと歩美は優しく「うん」と返事をした。



 不意にスマホの画面を見ると、現時刻は午後十一時四十分だった。


「歩美、ちょっと急ぐよ」


 後ろを歩く歩美を少し煽るように、僕は河川敷に向かう足を速めた。それに追いつく形で歩美も僕の後ろを走ってくる。

 僕の心の内は、二色の流星を見られるワクワクと、もしかしたら琴音に会えるかもしれないという微かな期待でいっぱいだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ステラ マムシ @mamushi-lost-lost

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ