青春アルバムと平成最後の夏

加藤博士

青春アルバムと平成最後の夏


 1 secret base 〜君がくれたもの〜

 

 

 なにか、大切なことを忘れている気がする。

 

 遠い昔、懐かしい日々の中で交わした、一夏の約束。

 

 眩しく照りつける太陽。澄んだ青空の下に広がる一面のひまわり畑。

 その中に、麦わら帽子をかぶった白いワンピースの女の子が立っている。

 

 彼女は麦わら帽子を風に飛ばされないよう片手で抑えながら、太陽を背にして僕の方を向いた。

 

 太陽より眩しくて、綺麗な笑顔に僕の胸が締め付けられる。

 

 そして、彼女が愛おしげに口を開く。

 

 「十年後の夏―――――――――」

 

 音が削られている。古びたレコードのように、その部分だけが聞き取れない。

 

 大切なものだった。

 

 大切な約束だった。

 

 どうして、君に、手が届かないのだろう。

 

 

 2 sign

 

 

 目が覚めるとベッドの中だった。

 

 勿論、昨夜はベッドに入って眠りに付いたので、何らおかしなところもない。

 目新しさのない、自分の部屋だ。

 

 しかし僕の呼吸は荒かった。瞳孔が開いているのが自分でも分かる。

 胸に手を当てると大きく上下している。心臓の音もうるさかった。

 

 「今……のは」

 

 夢の中からはっきりと意識を引き継いでいる。

 

 あれは、なんだった?

 

 「僕は……」

 

 じわりと涙が浮かぶ。懐かしく、喉から手が出るほど触れたいのに、どうしても思い出せない。

 

 手が、届かない。

 

 暴れる感情が心の中だけでは狭すぎて、声にならない声を漏らした。

 

 「君は……君は……!」

 

 なんだった?

 

 誰だった?

 

 あそこは何処だ?

 

 僕はいったい、彼女と何を約束した?

 

 あれから十年後の夏に、果たされるはずの約束を。

 

 何度、季節が巡っても、僕たちは待っている。ずっと待っている。

 

 子供のころ、始めて銀幕で見た映画のように、心が覚えている。

 

 それでも思うように思い出せないのは、フィルムが褪せてしまったから?それとも、初めから色なんて付いていなかったから?

 

 涙を拭いながらベッドを降り、カーテンを開ける。

 

 日射しが部屋の中に入ってくる。ガラス戸越しにも分かるくらい、熱い日射しだ。

 

 空は濃い青だ。

 まるで海のようだ。と、空に対して使うには正しいのかよく分からない感想を抱いた。

 

 この世界のどこかに、彼女がいる。僕と約束をした彼女も、同じように空を見上げているのだろう。

 

 ここではないどこかに、心から焦がれる。

 

 

 3 優しさの理由

 

 

 高校二年生。

 僕はクラスメイトから島崎と呼ばれている。それが僕の苗字であり、他に呼ばれるようなあだ名もない。

 

 この高校で、僕の下の名前を覚えている人間なんていないのだろう。

 

 君の人生は灰色か薔薇色か、なんて聞いてきた友人がいた。

 現実の青空とは裏腹に、心の中は今も曇り空で、それが答えなのだ。

 

 望んで灰色の青春を送る人だっているかもしれない。正直、想像だって難しいけれど。

 

 けれど、僕はそうではない。

 薔薇色の青春を送りたくて、でも、送れない人間だ。

 

 退屈な教室に、風が吹き込んだ。窓際に座る僕はその穏やかさを一身に受ける。

 

 夢見る景色と、何かが変わる予感。

 手を伸ばせば怪我をする棘付きの薔薇と、開けるまで中身の知れないブラックボックス。

 

 大切な宝箱のようで、危険なパンドラの匣のようにも見える。

 見分けられるとしたら、きっとそれは神様だけだ。

 

 だから僕は信じるだけだ。

 

 無味乾燥の授業も、遠い夏の約束を思い返せば、退屈ではない。

 

 

 4 灼け落ちない翼

 

 

 悲しまずに生きる方法を知らない。そして傷付きやすくて、それなのに傷付かなければ手に入らないようなものを追っている。

 

 致命的にちぐはぐで、おかしな人間。

 

 春らしい縒れ方を待っている。恋心に振り回される日を楽しみにしている。

 

 縒れずに歪んだだけでは、人の生ではない。

 

 まだ間に合うとは思っている。普通からは外れてしまったけれど、彼女との再会がすべて救ってくれる。

 

 すぐそばを青春が通りすぎた。

 

 タイムラインに幸せそうなクラスメイトが映る。

 妬みや羨みより大きいのは、虚しさだった。

 

 まだ、取り戻せる。手を伸ばせば、届く距離にある。

 

 

 5 crossing way

 

 

 胸が痛む。心因は憧れ。それも極端に妬みに近いものだ。

 

 綺麗な想い出とはまったく異なる、極めて現実の世界にある睦み事。

 考えるだけで頭がおかしくなりそうだ。

 

 高校生の男女がいた。

 日本で最も空と海が綺麗な列島に暮らしている、十七歳の少年少女だ。

 彼らは一緒に寝ていた。お互い独り暮らしなのをよいことに、少女は少年の家で半ば同棲し、同じベッドで寝ているのだ。

 しかも二人は裸だった。

 

 少年が少女の髪を撫で、少女は愛おしげに少年の頬に触れる。そうして、愛を確かめ合う。想ってくれる人がいるという喜びに満たされている 。

 

 

 猛烈に死にたいと思う。

 

 自分はいったいなんだ?なんで生きている?生きるほどの価値ある人生か?

 

 青春にあるべき高校生が、独りきりでなにをしている?

 

 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。

 

 いいや!幻想だ!

 

 どうだ?幻想か?

 

 八割幻想だろう。流石に。

 

 高校生で睦み事は早すぎる。いるにはいるだろうが、少数派のはずだ。

 

 幻想に嫉妬はまずい。心が現実に耐えられなくなっている。

 

 「…………………………幻想?」

 

 『これ』が幻想なのは理解した。しかし『あれ』は?


 遠い夏の日、ひまわり畑で約束した女の子の存在は、どっちなのか。

 

 「…………夢だ」

 

 夢を見ていた。そして目が覚めた。あれも幻想だ。

 

 僕と約束した女の子なんていない。この世のどこにも、僕を想ってくれる人なんていない。

 

 「あ……頭がおかしい」

 

 どうしてそれを真実だと思っていた?真実だと信じて疑わなかった?

 

 いや、夢の中で夢を見ていたのか?夢の中だから普通の意識がなかったのか?

 

 疲れている。現実にも人生にも疲れているが、単純に頭と体も疲れている。

 

 一度眠ろう。起きたところで回復はしていないだろうが、夢の中でなら、あるいは。

  

 

 6 ステラブリーズ

 

 

 目が覚めるとベッドの中だった。

 

 勿論、昨夜はベッドに入って眠りに付いたので、何らおかしなところもない。

 目新しさのない、自分の部屋だ。

 

 「……幸せな夢だったな」

 

 最後はほぼ悪夢だったが、前半はかなり幸福だったように思う。あの瞬間だけは、誰かに想われる存在だったのだ。

 その支柱は今や失われた。独りで立たなくてはならない。独りで歩かなくてはならない。

 

 あと、冷静になって考えれば僕は高校三年生だ。二年生ではない。もっと受験に迫られている。

 

 呼吸は落ち着いている。

 なにも焦ることはない。怖がることもない。

 夢や理想に救われないのなら、現実に救いを求めればいい。

 

 現実に心を開く。

 

 大丈夫だ。最近は幸せになれる自分のビジョンが、明確に描けている。

 

 気になる女の子がいる。同じクラスの花岡さんだ。頑張り次第では無理でもない相手だと思う。

 

 一緒にこたつに入って、僕の肩に頭を乗せてほしい。それだけで僕は十分幸せだ。

 

 こんな世界でも生きられるくらいに。こんな人生でも辞めないくらいに。

 

 

 7 ヒトリゴト

 

 

 運が悪くて諦めた。

 そして更に間違えた。

 いや元よりこの結末以外を想像もできなかったけれど、やはり自分は首を吊るしかない。

 

 愛されるのは難しいな。

 

 いや素直にそう思うよ。

 

 「なあ?*********」

 

 *********は答えた。

 

 「前提が違うんだ。前提が。まあそれを抜きにしたってそうなった可能性は大いにあるだろう。スタートが悪かったとか関係なく、人間は人生に失敗すれば例外なくそこに行き着く。年齢=恋人いない歴で顔も不細工でコミュ障なら、もう詰みだろうよ」

 

 「それでも」

 

 「それでもとか言うなよ。努力した末にそうなったお前に反論の余地はない。頑張っても幸せにはなれませんでした。おしまい」

 

 「じゃあ仮に、どこからやり直せば幸せになれた?」

 

 「可能性の話をすれば、割りとどこからでもいけた。そういう分岐もあったはずだ。流石に自殺する宿命なんてない。でも可能性の話だな。どうあれお前は、少なからず未来の自分が幸せになれないことを理解していた」

 

 「いや心のどこかで思ってるくらいならまだしも理解まではしてない。そこまで物わかりがよくはない。『詰む』瞬間まで、自分は幸せになろうと思って動けば幸せになれるって、割りと本気で思ってた」

 

 「ブハハハハハハハハハハハッ!笑わせろ!お前に反駁の元気がないことにつけこんでもう少し笑わせろ!ハハハハハハハハハハ!」

 

 「………………………………」

 

 「それでだ、可能性なら幸せになれる未来もあった。でもそうなれなかったのは、やっぱりそれが可能性の話でしかないからだ。宝くじに当たって億万長者に、くらいのな。そうなれる可能性を否定する根拠ってのは誰も持ってこれないが、普通に考えて、ないんだよ」

 

 *********はそう結論付けると、僕の胸腔を開き、心臓に吸い込まれた。

 重くて、一部が空っぽの、心臓に。

 

 

 8 野良猫ハート

 

 

 結局死なずに生きている。

 死なないだけで、生きてはいない。

 

 受験が終わって、少し晴れやかな気持ちになったりもしない。終わらない生を引きずるだけだ。

 

 空想は良い。妄想はなお良い。

 

 自分が誰かに無条件に愛される世界。なんと心地が良いのだろう。

 

 これで良いではないか。幸せになれずとも、幻想を真実だと思い込んでしばらく生きればそれでいい。

 

 それで、幸せだ。

 

 自分のセカイを自分の頭の中だけで終わらせるのだ。

 これで、まあ、なんだ。

 

 人生とは呼べない何かが、まだ続く。楽しもう。

 

 

 9 トナリアウ

 

 

 夕日が燃えている。

 たなびく雲が、鮮烈な橙と黄金に染め上げられる。

 

 『ここではないどこか』を連想させる景色に、胸が締め付けられる。

 

 夕焼けと朝焼け。世界の終わりは、どっちの景色だと思う?

 

 そんなことを、誰かに聞かれたような気がする。不思議な女の子だったような気がすれば、影のある男の子だったような気もする。

 

 質問の答えははっきりと僕の中にある。

 夕焼けだ。と即答する。

 

 その後に、きっと彼女は朝焼けと答えるのだろう。と思った。

 

 けれど僕の中で、朝焼けは始まりで、夕焼けは終わりなのだ。

 

 胸腔の中に、心臓を絞めるような感覚が走る。

 次に襲ったのは、脳への激流。堰を切ったように、違和感と記憶が溢れだして止まらない。

 

 少女が佇んでいる。それが夕景なのか夜景なのか、海辺なのか山頂なのかすら分からない。

 ただ、彼女のために坂を駆ける自分が、脳裏に浮かぶ。不思議なことに、自分自身を横から眺めていた。

 

 過去?違う。これは未来だ。

 

 閉じ込めた心を、閉じきった扉を、力任せに開け放って駆け出す。

 

 向かう先は『ここではないどこか』。

 

 夕焼けを半身に受け、川沿いを駆ける。

 

 風を切り、息が苦しくなって、頭がぼうっとする。

 

 必死さが、遠くなっていく意識が、かえって日常世界からの脱却へと繋がる。

 

 自分は今、美しい物語の中に生きている。そんな気がした。

 

 徐々に、叙情的に、地平線の向こう側へと夕陽が消えていく。

 独りで見るには、美しくも狂おしい薄暮。哀愁の大気に異界の風を交ぜ混んだような紺青が世界となる。

 

 走る。羽根のない身を引きずるように。

 

 駆ける。夏祭りの人込みを通り抜ける。

 

 そうして境内に辿り着いた。瞬間、眩しいくらいに大きく鮮やかな打ち上げ花火が夜空に咲いた。

 

 その光を受けながら、彼女は振り返った。

 

 彼女より綺麗なものなんてこの世にはない。だから、この世界すべての言葉を知っていても、彼女の美しさを表すことはできない。

 

 「僕は――!」

 


 10 平行線

 

 

 という夢を見た。

 

 三十歳の夏。夢も希望もなく、小学生が夢見ず希望もしない職に僕は就いていた。

 

 ここまでどん底に落ちるともう、『空から運命の女の子が降ってくる』とかそういう、途方もない奇蹟でしか救われない。

  

 それでも、生きることを止めようとは思い切れなかった。

 

 いや、『生きている』というのでは間違いだ。『死んでいない』とするのが正しい。

 

 ときおり、たまの休みで遠出をすることがある。憧れの五島列島に行ってみたりもした。

 

 けれど憧れは憧れのまま、僕のものとはならなかった。

  

 独り虚しく、ベッドのなかで生を憂う。何かを求めるように、天井へと手を伸ばした。

 

 空を切った手は、力なくベッドに落ちた。

 

 *

 

 死のうと思い立つと早かった。

 

 遺書などいらない。伝えたいことは溢れるくらいあるけれど、伝える相手がいないのだから。

 

 だから、あくまでも事務的な後始末を付けて、それから飛び降りをすればいいのだ。

 といっても、何も積み上げない者に片付けるべきものも少なく、あっという間にこの世を去る準備は整った。

 

 せめて会社に迷惑を掛けてやろうと、会社の屋上から身を投げることにした。

 

 高いフェンスが屋上の縁を守っている。もしかしたら、そこを越えれば違う世界なのかもしれない。

 

 最後までそんな奇蹟を願う自分が滑稽だった。

 

 金網を掴んで、思いきって上る。あっさりと越えることができてしまった。

 

 青空を仰ぐ。

 

 胸を締め付ける強烈な濃さはない。薄い空色がどこまでも広がっているだけ。

 とても自殺に向く日和ではない。

 

 「……」

 

 生きていたって仕方のない人生だけど、やっぱり今日は止めよう。と思い直した。

 

 ドンっと背を押される。

 

 「えっ」

 

 上体が傾いて、あえなく宙へ投げ出される。

 

 最後の一歩を手助けしたのは、自分自身の感傷か、それとも理性か。

 

 いずれにしても、人を死に導く*********が僕の背中を押したのだ。

 

 〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青春アルバムと平成最後の夏 加藤博士 @katouhakase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ