第六章 終了の頃合
第六章 終了の頃合
ここからの出来事は、蛇足かも知れないが、一番の山場でもある。
あれから数時間が経過し、ヘリコプターで警察が到着した。どうやら会場の爆発事故にも一区切りついたようだったが、肝心の事件の方については、今度は宇田川悠と五条笑が失踪し、おまけに嵯峨野連の死体も燃え尽きてしまったため、捜査は有耶無耶なまま終わってしまった。それにしても犯人はあの宇田川悠だ。最終的には児嶋財閥がすべてをもみ消すことになるだろう。
事件から約三日が経過した、七月二十日。そろそろ夏休みも半分が過ぎ去ろうとしていたそのとき、僕は(負傷した包帯まみれの右手を抱えながら)ある人物の所を訪ねた。
『二時に駅前の綴木COFFEE喫茶で待ち合わせ』ということだったので、僕は少し早めな十分前に時間を設定し、家を出た。
しかしというか、案の定彼は三十分前にもう待ち合わせ場所でコーヒーを嗜んでいた。
窓際の二人席。まわりが彼を避けているのか彼がまわりを避けているのか、おそらく両方だろう。彼のいる場所の近くには誰も座ろうとしていなかった。
マントなのか着物なのかコートなのかよく判らない、とにかく真っ黒な薄地の布をなびかせ、右手首には数珠、左手首には女物の時計、細い首にはエメラルドのネックレス。あらわになった脛毛ひとつ生えていないその美脚には和風な下駄。まるでライトノベルのキャラクターか何かかと思うようなそのいでたちは、間違いなくあの推理屋のものだと一目見て分かった。
「お久しぶりです黒舘さん」
僕が声を掛けると、彼は琥珀色の瞳で僕の方を向いた。
黒舘豹助。
事務所を構えるいわゆる『名探偵』だが、探偵は推理をしないという理由から推理屋という職業を名乗っている。
「失礼します」
僕が向かい側の席に着くと、彼は即座に口を開いた。
「金を払え」
「……判りましたよ」
「百円でもいいんだ。これで食ってるんだ。頼む」
二十九でもう金欠なのか。
「早く年金をもらいたいものだよ」
と、彼は苦笑した。
僕は財布から三千円を取り出し差し出すと、目を輝かせて彼はそれを受け取った。
「……んで、何だっけ?事件の真相を知りたいんだったっけ?」
「はい」
「何が知りたいの?犯人?動機?それとも方法?」
「全部です」
「OK」
すると彼は立ち上がり、いつの間にか隣の席についていた二十代位の女性の背中に「こっちに来ていいよ」と声を掛けた。
それに反応したその女性は、テーブルの上のコーヒーを持ち、こちらへやって来た。
「誰なんですか」
僕が黒舘さんに小声で問うと、
「君も知ってる人だよ」
ということだった。
その女性は、黒髪に縁のない眼鏡姿だった。
「こんにちは」
その声は、魅力的なハスキーボイス。
「――――ああ」
それは――伊地知稜都さんだった。
ナース服で判りにくくはなっていたけれど、顔つきといい声といい、間違いなく彼女のものだった。
彼女が席に着いたところで、黒舘さんは「では」と切り出した。
「そろそろカツラと眼鏡を外していただけますかね?」
「……え?は?何言ってるんですか」
僕はそのとき何のことを言っているのか判らなかった。
しかし、伊地知さん――と思われる女性――は素直にその言葉に従った。
「――‼」
色白な肌。シャープな輪郭。暗闇の中に温もりを込めたような瞳――!
「やあ、久しぶり。いるか君」
「あ、ああ、あ……」
目の前の出来事が、理解できなかった。
いるはずのない、人物。
まるで天地がひっくり返ったような感覚だった。
「改めて相川君に自己紹介を――」
黒舘さんが言うと、彼女、否――『彼』は「はい」と、続けた。
「嵯峨野連だ。よろしく」
彼は、そう言って、右手を差し伸べてきた。
「この事件のミソは、あの島にはほとんど女性しかいなかったという点なんだよ」
「え……それがどうしてミソなんですか?」
僕は理解できずに訊いた。
嵯峨野蓮は、黙って頷くばかり。
「相川君。そんな日常にハーレムな状況なんかそうそうあるはずがないんだよ。君は勘違いしているようだが、現実はご都合主義な薄い本みたいにはいかないんだよ」
「それは……」
「まずさ、島に着いたときを思い出してみてごらん」
「え?あ、はい……」
僕は記憶を辿り時間を七月十三日まで巻き戻した。
「そのとき、簡単に島にいる人たちの紹介をされただろう?」
「ええ、はい」
「そのとき、何か違和感を感じなかったかい?」
「……違和感――例えば何ですか」
「人名だよ」
「人名……確かに変な名前の人はいましたけど」
西東北南や、皀葵だ。
間違いなく珍名の部類に入るだろう。
「『伊地知稜都って何だか男みたいな名前だな』……とは、思わなかったかい?」
「――⁉ まさか!」
僕が身を乗り出すと、
「あの人は、男だよ」
嵯峨野蓮が答えた。
「ちょっと待ってください……どういうことですか?」
「順を追って説明していくよ――まず、聞きたいことは?」
「……伊地知さんが男性だってことは、みんな知っていたんですか?」
「さあ。そこら辺はちょっと微妙だね。――明楽さんは気づいてなかったかもしれないね」
「いやでも、流石に気づくでしょう。僕だって」
「ハスキーボイスだから声は誤魔化せる」
「それにしたって……北南さんや皀さんともコンタクトがあったわけでしょう?女性特有のものである月経とかの話題になったらどうするんですか……演技し続けるのは難しいでしょう」
「君は童貞だから判らないと思うけど――」
――おい。
「生理には重い軽いがあるんだよ。個人差だね。――あのふたりは、伊地知は軽い方なんだと思っていたのかもね――そこの所は僕には正直判断しかねない」
「はあ……でも、それが事件に何の関わりがあるっていうんですか」
「はぁ」
黒舘さんはさも億劫だというようにため息をついた。
「はい、ここに嵯峨野さんがいますね」
僕は頷く。
「じゃああのハサミの刺さった死体は誰ですか」
「……あれは……伊地知さんだっていうんですか⁉」
黒舘さんは頷く。
「順を追って説明するね。
まず、嵯峨野連と伊地知稜都は恋愛関係にあった。――おいおい、もうここで突っかかるのかい?海外じゃあ同性愛はいたって普通な考えだよ――医者と患者というのは恋に落ちやすいんだ。これは医学的にも証明されている事実だよ。
それであるとき、看護のふりをして密会していたふたりは、明楽なお子にドッキリを仕掛けることを思いついたんだ。
ドッキリはいたってシンプル。嵯峨野蓮が病死したという設定だ。きっと明楽さんを少し懲らしめようという狙いがあったんだと思うよ。それで嵯峨野連の幽霊も出るという内容にしたんじゃないのかな。
しかしここで問題が起きた。死んだことにすると布が掛けられ部屋には鍵が閉められてしまうため自由に動けなくなり、幽霊として活動できなくなってしまうんだ。
そこで彼らは思いついたのさ。入れ替わればいいのだと。そうすれば、みんな死体は嵯峨野連だと思ってくれるし、枕もとに彼がいればそれは生身の人間ではないと考えるだろう。
だから、(明楽なお子が嵯峨野蓮だと思っている)伊地知稜都を死んだと思わせるため、検死して裏付けを取ってもらうための仕掛人が必要となった。そこで、皀葵と西東北南をオファーしたんだ。もちろん彼女たちは話に乗ってくれた。――もしかしたら、伊地知稜都は嵯峨野連に顔を似せるため、ひそかに整形していたのかもしれないな。
いざ本番となり、嵯峨野連に扮した伊地知稜都が別館に入ったところで、事件が起きた。いくら時間が経っても、部屋の中の彼から連絡がないんだ。異変を察知した仕掛人の彼女らは、急いで扉を開けようとした。――が、開かなかったわけだ。なぜかは判るね?
そう、伊地知稜都が内側から釘で板を留めたからだ。あの密室を創った理由は、相川君と西東北南を犯人に仕立て上げる以外に、邪魔が入らないようにしたからというのもあったんだね」
「え、じゃあ伊地知さんは……」
思わず声を漏らしてしまった。
「あれは自殺だよ」
――じ、自殺だって⁉
背中と腹と喉まで突き刺すことが、すべて自分で行えることとは到底思えない。
「可能だよ――肺に穴をあけられて三十分間苦しみ続けるっていうことは、裏を返せば三十分は息があるって事だろ?その間に彼は腹を開いて口に凶器を刺した」
「なぜ……そこまでして」
「この場合死体を派手にする必要があったんだ。なるべく猟奇的でグロテスクで残忍な手口を使う必要があったんだ」
意味が判らない。
それをしてどうなるというのだろうか。
いったん間を置き、僕は店員さんにアイスコーヒーを注文した。
ストローを口に咥え、液体を喉に流し込む。すこし冷頭痛がした。
「なんで、死体を派手にしなきゃいけなかったんですか」
すると黒舘さんは不気味に微笑むと――
「あああっっ‼」
といきなりでかい声を出して窓の外を指さす。僕や嵯峨野さん、周りの客たちも思わず同じ方向を向いてしまった。
「あ――――やっぱ何でもなかったわ」
黒舘さんは指を下ろした。
「さて、これで判ったろう?」
「いや何がですか!」
意味不明であった。
「目の前のグラスを見てみなさい」
「え……あ」
さきほどまで冷コーヒーが入っていたグラスの中身は、空っぽだったのだ。
――いつの間に⁉
「ね、言ったでしょ?」
黒舘さんは誰かの真似をしたようだが、誰かは判らなかった。
「君の意識を窓の外に向けることにより、アイスコーヒーを一瞬で俺が飲んだわけさ」
「……何してくれてるんですか」
「まあまあ――これが事件の肝なんだ」
「え……?」
「あの死体、直視できないくらいに惨殺――自殺だが――されていただろう?」
「ええ、まあはい」
「思わず目を背けただろう?目を背けて見たものは何だ」
「めを……そむけて……」
すると黒舘さんは人差し指を上に突き立て、得意げに言った。
「床の文字と写真だろ?」
「あ、ああ!」
そうか。初めにあの現場に居合わせた人々の意識は、死体ではなく――床の血文字と明楽さんの写真に向いたはずだ!
「部屋を内側から密室にした工具は、あの死体の中にあったんだ」
「……伊地知さんが自ら内臓の中にハンマーをねじ込んだっていうことですか」
「そういうこと」
黒舘さんはうんうんと頷いた。
「――それで、患者が死んで、一番に駆け付けるのは……誰だと思う?」
「え……えっと」
僕が悩んであたりをきょろきょろしていると、嵯峨野さんがこっそり手を上げた。
「……嵯峨野さんですか?」
「――伊地知稜都に扮した嵯峨野蓮だ」
「ということは、あなたがそのハンマーを回収した?」
『あなたが』の所は嵯峨野さんの方を向いて言った。
「そうだよ」
なるほど……だいぶ話が見えてきたぞ。
ドッキリで嵯峨野さんと入れ替わることになった伊地知さんが、部屋に内側から鍵を掛け、本当に自殺してしまったというわけだ。
「……しかし、なぜ伊地知さんは自ら死を選んだんですか?」
「嵯峨野君をあの島から逃がすためだよ」
「…………」
「明楽なお子も、研究対象が亡くなればもうあの研究所も、人員も、すべて要らなくなるだろう。伊地知は、嵯峨野君が伊地知稜都としてあそこから脱することを望んだんだ。――その強い遺志が伝わったんだろうね。五条笑や宇田川悠が犯人役を請け負ったというわけさ。――おそらく腹部を刺されたとき、犯人の顔を見てしまったんだろうね。それですべてを彼女は察したわけだ」
「じゃあ、彼女たちはあの日僕を殺す気なんてさらさらなかったわけですね」
僕がなあんだと安堵していると、黒舘さんは
「いや、宇田川悠はのめり込みが激しいことで有名だからね。あのまま君が無抵抗だったら、本当に殺されていたかもしれないぜ」
「…………」
「命拾いしたな」
黒舘さんはとんとん、と僕の肩を叩くと、席から立ち上がる。
「んじゃ、一通り話したから、俺もう帰るわ――お会計宜しく」
黒舘さんがさっさと身支度をし始めたとき、僕は
「……黒舘さん」
「ん?――詳しくは彼に聞いて欲しんだけど」
彼とは嵯峨野蓮のことだ。
「いや、そうじゃなくって……サガノ病って、結局何なんでしょうね」
「絶望すると発症する病――かな」
意味深な事を言う。
「ほら、死体の病原菌が減ってたって言っただろ。あれは嵯峨野連じゃなく伊地知稜都なんだから、減ってたんじゃなくて、新たにウイルスが別の人間に入り込んだってだけなんだ」
「…………」
「なのに伊地知稜都は生前ぴんぴんしてたらしいじゃないか」
「…………」
「話を聞いていると皀葵もいきなり苦しみだしたそうだし……嵯峨野君も家出した際に病状が出た。――けれど今君は生きている」
嵯峨野連に向かって、彼は言った。
「それはまだ君が希望を捨てていない証だよ」
「……はい」
嵯峨野連は、尊敬の念を込めて、言った。
「それじゃあ、アディオス!」
彼は僕らにウィンクをし、鼻歌を歌いながら、この場を立ち去った。
――まったく……。
どいつもこいつも、みんな病気まみれだったな……。
絶望すると発症する病。
現代人らしい病気だろう。
それ本当かどうかは判らない。そもそも、この事件自体がすべて真っ赤な嘘みたいなものだ。
西東北南も、皀葵も、宇田川悠も。全員嘘つき。
騙されていたのは、案外僕だけかもしれないな、と思ったり思わなかったり。
「それじゃあ、僕ももう行くね」
「え、もう?」
嵯峨野蓮が椅子を引き、立ち上がる。
「お迎えが来ちゃったみたいだから」
「……ああ」
僕は瞬時に理解した。
彼が指で示した、窓の外。
西東北南、皀葵――それに、明楽なお子。
三人が私服姿で誰かを待っていた。
――今度は、ちゃんと治療してくれることだろう。
「それじゃあ、また」
「うん。また今度」
嵯峨野連は、テーブルの上に千円札を置くと、手を振りながらカフェの扉を開け、外へと消え去った。
僕はその日、キャンヴァスに油彩で絵を描いた。
綺麗な青色の色調。
そこに描かれているのはもちろん、あの島の海の風景と、病と闘うひとりの勇敢な少年の姿。
完成したら彼にプレゼントしよう。そう思った。
『人生とは病院のようなものだ。そこにいる患者はみな、 自分のベッドの位置を変えたい願望に取りつかれている』
――シャルル=ピエール・ボードレール
END
病気奇譚 ウキルタス島/情景 自己満足(みずみ・みちたり) @kvn0210
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