モンスターへ乾杯!

白地トオル

モンスターへ乾杯!

 

 今年もこの日がやってきた。


 真由子まゆこが朝から騒がしく、家の中を駆け回る。あれでもない、これでもない、と姿見の前に立って、衣装を当ててはまたクローゼットに戻る。慌ただしく取り出してきた衣装は、先ほどとさして変わらないような気がする。どの衣装も、ラメの入った煌びやかな装飾が施され、原色豊かな生地はまったく目に優しくない。原宿の竹下通りならいざ知らず、こんなどこにでもある小さな一軒家では、どれをとっても似合わない。


「ちょっと、翔。そこどいて」


 彼女が俺を「そこのけそこのけ」と足蹴にする。リビングで昼寝をしていた俺は、体をひねりながら体中の膿を押し出すように唸り声を上げた。


「もうっ、アンタは気楽でいいよね…。服とか気にしないんだから」


 知るか。服なんてただの布だ。そんなの、なんでもいいだろ…。


「ねえ、これどっちがいいと思う?」


 彼女はそう言って二着のワンピースを両手に、俺に迫る。

 片方は臙脂えんじ色で、ざっくりと空いた胸元に、ウエストから伸びる大きめのフレアー。一方は鮮紅色の生地に、リボンベルトで細く締まったウエスト、流れるようなフレアラインが特徴的だ。


「いや、俺は…服のことはよく分からんし」

「ってそっか、アンタに言っても分からんか」


 なんだよ、じゃあ最初から聞くなよ…。俺は再びふて寝を決め込んだ。


 それからどれくらいの時間が経っただろう。俺は寝ぼけ眼をこすって、体を起こした。お腹が空いてきたので、そろそろお昼になるだろうか。適当に食って、またひと眠りしようかな。どうせ今日は天気が悪そうだし、家の中でゴロ寝をするには絶好の機会だろう。


「翔、また寝てたでしょ」


 なんだ。真由子、まだいたのか。

 親の代から使っている古いドレッサーの前に座り、何やら真剣に自分の顔と『にらめっこ』をしている。


「ねえ、これどう?」


 そう言って、彼女が振り返る。

 俺はその瞬間、心臓が跳ねて、一緒に体も飛び上がった。


「おいっ!!その顔どうしたっ!」

「もう、なに……、そんなビックリしなくてもいいじゃん。毎年やってるでしょ」

「いや、その傷…」

「なによ、でしょ。ゾンビメイク」


 彼女の肌は赤く焼けただれ、額から唇まで伸びる切り傷は化膿している。こめかみの辺りにヘドロみたいな色になってしまった青あざがあり、首には糸を縫った手術痕のようなものがあり、そこだけ不自然に盛り上がっている。彼女の大きな瞳は赤く充血し、右目に至っては黒目が白濁に染まっていた。


「ちょっと…、リアルすぎやしないか」

「いやあ、今年も気合いれすぎちゃって…、どう?すごいリアルでしょ」


 俺は後ずさりをして、彼女から離れた。


「ちょっとお!そんな反応ないでしょ」

「いや、近くで見ると怖いんだよ」

「別にいいでしょ?一年に一回しかない、特別な日なんだから」


 そう、今日は彼女にとって特別な日だ。10月31日―――――彼女がこの世に生を受けた日である。俺は昔から彼女の誕生日が好きだった。友人や家族が一同に揃って、彼女の誕生を祝うこの日が。それぞれみんな彼女の好きなプレゼントを持ち寄って、暗い部屋のケーキに明かりを灯すと、彼女は笑った。興奮のあまり涙を流して、相手に抱き着く様子を何度も見てきた。こんな楽しい日がいつまでも続けばいいのに。みんなが帰った後にせっせと片づけを始める彼女を見て、いつもそう感じていた。


 ただいつの日からか、10月31日は―――町中を怪物が闊歩する日となった。


 ハッピーハロウィン、それがこの日の、みんなの挨拶だ。


 そもそもハロウィンは、古代ケルト人が秋の収穫を祝うために行った『サウィン祭』を起源とする。アメリカ人によってその祭りから宗教的な要素が消えると、こんどは仮装をした子供たちがお菓子を求めて町中を練り歩くイベントとなった。やがて海を越え日本に上陸すると、それはただの仮装パーティーと化した。元々日本に根付いていた「コスプレ文化」と融合する形で、ハロウィンは普段コスプレをしない人々も参加しやすい、お手頃なコスプレパーティーとなったのだ。


「このメイクならやっぱりこの衣装よね」


 真由子は結局、モスグリーンの生地に、ラメを散りばめた、比較的安価な方のワンピースを選んで着ていた。そのワンピースは裾にざっくりと切り込みがあり、その陰に作り物の生傷が見え隠れしていた。


「もうこのワンピースいらないから、いいよね」


 そのワンピース、わざわざ自分で切ったのか。

 ……昔はデートの日に好んで着てた、お気に入りだったのにな。


「うんっ、ちょっとテンション上がって来たわっ!やっぱりメイクまでやると、全然違う!マジ楽しみなんだけど!ハッピーハロウィン!……ほら、翔もっ!ハッピィィィ……ハロウィィィン!!」


 彼女は両手を上げて、小さく飛び跳ねた。

 彼女が笑う。今年も笑っている。

 …でも違う。俺が見たいのはそんな笑顔じゃない。そんな醜い怪物の笑顔なんか見たくないんだよ。


「―――――ってなに、拗ねてんのよ」


 俺はそっぽを向いて、ソファに体を預けた。


「なに、翔もやる?アンタに合うサイズあるかなあ」


 あるわけないだろ。俺はふてくされた顔で、頭をもたげる。

 妙な異物感。どうやら、テレビのリモコンが頭の下にあったようだ。


『続いて、気になる台風情報ですが―――――、気象予報士の峯田さん。台風21号の様子はいかがでしょうか』

『昨夜未明、九州南部に上陸した大型の台風21号は、依然として勢力を伸ばしながら、日本列島を北上しています。西日本を中心に、激しい暴風雨の恐れがあり、現在125の市町村で避難勧告が発令されています。都市部には、本日18時ごろ最接近すると見られ、鉄道各社は計画運休を検討しています』

『画面にご覧の交通機関はすでに運休を発表しております。不要不急のお出掛けはお控えください』


 ニュースキャスターは時間ピッタリに、淡々と話し終えた。


 真由子―――もとい真由子だった怪物は、口をぱっくりと開けたまま、放心していた。楽しみにしていたハロウィンパーティーに行けなくて、残念だったな。



 *



 その日の夜。

 彼女が忙しなくキッチンとテーブルを往復している。テーブルの上には、から揚げやらピザやらポテトやら、美味しそうな料理が並んでいて、その芳しい匂いが俺の鼻腔をくすぐった。俺はよだれが垂れるのを必死に我慢して、彼女の側にかけ寄った。


「ちょっと、邪魔。いま忙しいの」

「急にどうした?そんな美味しそうなの準備して…、まだそんな時間じゃないだろ」

「アンタまた寝てたでしょ。よだれ、顔に付いてんじゃない」

「いや、違う。これは…、料理が美味しそうで」

「全く…、食い意地だけは立派なんだから」


 そう言って、皿いっぱいに盛り付けられたサラダの上に、サーモンのカルパッチョをせっせと乗せていく。


「それ、美味しそうだ。一切れくれ」


 俺はその皿に、なんとか手を伸ばそうとする。


「コラっ!つまみ食いしない!」


 彼女は大きな声と、その怖すぎる顔で俺を制止させた。まだメイクとってないんだなあ、それ。怖すぎるんだよ。何かこう…、得体の知れない怖さがあるんだよなあ。


「リサとユリの分なんだから、勝手に食べたら怒るかんね」


 なに……、リサとユリだと?

 アイツらが来るのか。なんで、また…。アイツらが…。


「はあ~あ、ホントだったら今頃、三人でクラブにいる頃だったのになあ」


 理沙と由梨は、彼女の大学の友人だ。ただ俺はあまりあの二人が好きじゃない。彼女もあの二人と一緒でなければ、こんな派手で悪趣味な女にはなっていなかったはずだ。全てはあの危険な匂いのする二人のせいなのだ。俺には分かる。オスとしての種の本能が、あんな低俗なメスと付き合わぬが吉であると、言っている。


「あ、言っとくけど、翔は向こうの部屋に行っててよ。。アンタだって夜はゆっくり寝たいでしょ」


 ふんっ。好きにしろ。

 分かったぞ。どうせ、ハロウィンパーティーとやらを家でする気なんだろ。せっかく用意した衣装が勿体ないもんな。そんで、三人で写真を撮って『#イツメンでハロパ』『#ゾンビメイクマジ上げ』とか言ってSNSに上げるんだろう。


 ……勝手にしろよ。


 俺はとぼとぼとゆっくりとした足取りで、寝室に向かう。


「翔……、どうしたの。元気ないじゃん」


 俺は彼女の言葉を無視した。

 すると彼女の声は少しか細くなった。


「こんな日くらいアンタといたいって、私も思うよ。昔は、そうしてたんだし。でもしょうがないじゃん、付き合いがあるんだし。この際だから言うけど、私、別にあの二人と好きでつるんでるわけじゃないんだよ。アンタには分からないかもしれないけど、女には女の社会があって、その中で生きていくためにはああいう子と仲良くする必要があんのよ。特に今日みたいな大事な日はね……」


 大事な日だって…?大事な日って思うなら、俺といろよ。俺はまたお前の笑顔がみたいだけなんだよ。一番近くで見たいとまでは、もう言わない。でも、お前の笑顔が、嘘の笑顔に塗り固められるっていうんなら話は違う。もう今日は俺といろ。昔みたいに、お前の誕生日を祝ってやる。


「ごめんね、翔…、こればっかりはさあ、どうにもなんないのよ」


「ふざけんなっ!!」


 俺は感情の高ぶりそのままに、吠えた。


「翔…………」


 彼女はうっすらと涙を浮かべ、それを拭った。血糊が横一線に伸びる。


「分かった―――――ちょっと待ってて」


 彼女の声に英気が戻る。

 冷蔵庫の前に立つと、一本のビンを取り出した。


「それは……」

「あはは、ビックリした?これ…?これね、赤ワイン」

「真由子、もしかして…」

「フランスの何だかって地方の有名なワインなんだって。お母さんが前に買ってた、高いやつ。今日はこれを開けようと思ってたんだ…、だって私、今日で二十歳はたちになるから」


 蓋を回して開けると、プシュッという音がした。どうやら中身はスパークリングワインだったようだ。真由子は「なんか炭酸みたい」と言いながら、それをワイングラスに注いだ。


「リサたちと記念に飲むつもりだったけど、いいや。翔、付き合ってくれる?」


 そして彼女は身を屈めると、頬ずりをする。

 俺のに口づけをすると、ニッと笑ってこう言った。


「乾杯っ……!」


 ごくりと彼女の喉仏が垂下する。

 

「うん…、なんか思ってた味と違うなあ」

 

 俺は物欲しそうに、グラスを眺めた。

 その様子を見ていた彼女は意地悪な笑みを浮かべて、ひょいと離した。


「いつか一緒に飲めるといいね、翔」


『ワンッ!!』


 俺は元気よく鳴いて、彼女の顔を嘗め回した。


 今年も、彼女は笑顔だ。




(モンスターへ乾杯! おわり)






 

 


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