笹の葉の季節に君を想う

 現世に戻ってきた瞬間、自分が死んだことを含むこの一年分の記憶が思い出せなくなった理由は全くわからないが、なんとなく覚えていたことを、生きている感覚がつなぎ合わせた結果、私の中では零が死んだことになっていた。

 全部思い出した私は、溢れ出る涙を止められなかった。零は生きててくれたのだ。それだけでも、今の私には僥倖だった。

 泣いてる場合ではない。私には目的があるのだから。

 涙をぬぐいとって、私は零に声をかける。

「ねぇ、零」

 反応がない。

「れ、零……?」

 私は思い出した。今の私の声は、零には届かないのだということを。

「そんな……、なんでよ!」

 私は零に駆け寄り、抱きつこうとする。しかし、私の身体は零をすり抜けてしまい、その先の地面に倒れこんだ。

「なんで、なんでよぉ……! ああぁぁぁっ……!」

 どうしようもなくなって、私は自分の体を抱きしめ、絶叫する。また涙が溢れてきた。せっかく現世に来たのに、これじゃ何の意味もない。

 神様、お願いだから私に、もう一つだけ奇跡をください。零と話がしたい。伝えたいことがあるの。

 その瞬間、一陣の風が吹いた。

「うわっ、あ、え……?」

 零が何か言うのが聞こえて、私が振り返ると、零と目が合った気がした。

「か、香澄……?」

 零が私の名前を呼んだ。私のことが、見えてる……?

「零……?」

「香澄……。なんで……」

 私の声も聞こえるようだ。私は零に飛びついた。

「おわっ」

 零は少しだけよろめいたが、私を受け止めてくれた。触れる。そんなことが、今の私にとっては大きな喜びだった。

 しかし、喜んでばかりはいられない。これがいつまで続くかわからないから、目的を果たさなくては……!

「零、私ね、あなたに伝えたいことがあって来たの」

「え?」

 零は戸惑とまどいの表情を浮かべる。死者が目の前に突然現れ、伝えたいことがあるなんて言い出したら、誰でもこうなるだろう。それでも私はかまわず続けた。

「天国で、私が死んでからの零のこと見てたの。そしたら零、私が死んだのは自分のせいだって思い込んでるみたいで、私もう見ていられなくなって、神様にお願いして少しだけ時間をもらったの。零と話をさせてって」

「そんな……っ!」

 零が息をのんだのがわかった。

「私が死んだのは、零のせいじゃないから。だからね、私のことは忘れて、自分のためにちゃんと生きてほしいの」

「…………」

 零は何も言わずに私を見つめたが、やがて口を開いた。

「わかった。でもごめん、無理だ……」

「え……?」

「香澄のことを忘れるなんて、たぶんできない。俺は人生の半分近くを、香澄と過ごしてきたから。それだけ長い時間を一緒に過ごしてきたのに、俺、ちゃんと自分の気持ちを伝えられなくて。明日言おう、明日言おうってズルズル後回しにしてたら、突然その明日が来なくなっちゃって……」

 零の、気持ち……?

「俺、ずっと香澄が好きだった」

 その言葉にまた溢れ出た涙が、零の顔をぼやけさせた。

「……私も、ずっと、好きだった」

「そっか。もっと、早く言えばよかった。そうすれば、香澄を失わずに済んだかもしれないのに……」

 零の目からも、涙がこぼれ落ちた。

「ありがとう、零。でも、私、もう、いなくなっちゃうから……」

「あぁ、わかってる。もう大丈夫だから。今度は、香澄に心配かけないように、ちゃんと生きていくから。天国から、見守っててくれ」

 零はそう言って、私をきつく抱きしめた。

「うん。約束だよ?」

 零の返事を聞く前に、私の身体が風に溶けていくのを感じた。

 意識が消失する寸前、私の視界に入ったのは、泣き崩れる零の姿と、風に揺れる生垣の笹の葉だけだった。

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笹の葉の季節に君を想う 小山空 @yukiakane

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