第5話 謳う巫女

ジィンは行く所がないというのでしばらく神殿で暮らすことになった。

神殿の細々とした手伝いをしながら暮らしに慣れていこうと数日過ごし、全治診断が出たその日の夕方。

「そろそろ泉に行きますかー」

エヴァのその言葉にジィンは薪割りの手を止めて、頷いた。

「じゃあ、明日の朝一緒に行きましょー」

エヴァにとっては毎朝行く所。

「わかった」

やっと、と手を握り締めて思いつめる少年に

「奇跡とか期待しないでくださいねー」

冷ややかに声をかけた。この巫女はほんわかしているくせに酷く冷たい声を出す。

「うるせえ」


泉は森の奥にある神殿の、更に奥。自然作った迷路の先にある。

神殿生まれ神殿育ちのエヴァには馴染みある道。入り組んだ道を適切に最短で歩いて行ける。

だが、ジィンはそうではなかった。

大人しくついてくればいいのに、何かと口をはさんであっちの方がいいだの、この道は危ないだのとうるさい。

10歳の男の子にしては口が達者でよくしゃべる。

「うるさいですねー」

「ああ?」

呟いていたらしい。

「何でもないです」

ジィンはエヴァがにぱーと笑うと癇に障ったかのように唇を突き出してそっぽを向いてしまった。

一人で生きてきたと言っていた。

体中の傷、今まで楽しい暮らしではなかったと思う。

ひねくれてもおかしくなさそうだったが、この数日神殿での彼の働きぶりは、真摯さがあった。

「良い子よ」

と巫女長も言っていた。エヴァもそう思う。


根っこはいい子。でも口うるさい。

それがエヴァのジィンへの評価だった。


「着きましたよー。この泉のことですかねえ」

この国の御伽噺。妖精と騎士が出会ったと言われている泉。森の魔力が集積する場。

精霊の加護があるだけの泉。

ジィンが期待するような奇跡は起きないと繰り返しエヴァが説明していた場所。


隣にいる少年を見下ろすと、茫然と泉とその周囲を見渡している。

(やっぱり落胆ですよねー。うーん。かわいそう。)

「まあまあ。そう落ち込まないで」

「うるせえ。そんなんじゃねえ」

口で強がり言っていてもーとエヴァは意に介していない。そして上着を脱いだ。

「なんで脱ぐんだよ」

「身を清めますから」

「恥じらいは」

「ありますよー。あー」

ジィンは完全なる恥じらい意識の外。だってこんなに小さい子だし。ねえ。

「じゃあちょっと向こう向いていてください。清めたら着替えて、ええと、色々するんで」

修行の内容を説明するのが面倒くさいと省略した。

「おう」

「はい。遠くにはいかないでくださいねー」


エヴァが池に入っている間、ジィンは愕然としていた。

ジィンは気落ちしていたのではなかった。

「おい。おいおいおいおい」

これの何処がただの泉だよ。

ジィンは精霊を感じたり、魔力を扱う事は出来ない。魔力に関して素養がない。

なのにジィンにも分かる。

つまり、精霊の力、魔力が桁違いの場所なのだ。

エヴァはそれを知らないのだろうか。


「ここなら、何でも叶いそうな気持ちになるぜ」

葉擦れの音に紛れて声が聞こえる。精霊の声というやつか。

ここはエヴァの言うとおり、奇跡は起きないのだろう。

しかし、この場所は。

「すげえ」

森の緑と魔力。何よりも光に満ちた清廉な土地。


大の字になって寝転んで、木々と空を見上げ、全身で感じ取ろうとする。

ここにいるだけで満ち足りてくるような気がする。

(なあ、俺の人生が大勝利になるような札を、くれよ)

全部かなえろなんて言わない。その切欠をくれれば自分で掴んでみせる。

神様でもなんでもない。何かに向かって願った。


どれだけそうしていただろうか。


《いちまい》《だいしょうり》《ふふ》《たのしい》《たのしみ》

鈴の音。さざめく少女達の声。

《あげようかしら》

「え?」

はっきりと聞こえて、揶揄いの気配。不機嫌な声で威嚇。


「---ぁあああ---」

エヴァの歌声が聞こえた。

言葉はなく、ただ旋律を謡う。

寝転んだまま首をひねって見れば、泉の中央で胸まで浸かって手を組み、目を瞑り謡うエヴァが精霊と魔力の中心にいた。


起き上がり、地面に胡坐を組んで姿勢を直す。

姿勢を正さないといけないような気がした。


「-----ぁぁぁぁ--ああ-あああぁ-------」

高く低く。その声に応じるように精霊達が動き、それに押されるように魔力が風の様に動くのが見えた。

「嘘だろ」

魔力が動くのを見れる。有り得ない。

才能あって初めて魔力を感じることができる。

そして感じる事が出来ても目視が可能な人は更に少ない。魔力の目視は稀有な才能。もしくは魔力のが見えぬ者にすら見せる、強大な魔力であるという証。

魔力に見させられている。


それらはエヴァの声と共鳴し踊っているのが見える。

彼女は人であって人でなかった。エヴァであるとわかるのに、精霊と魔力が取り巻いて、その中心にいるエヴァは人間の気配がしなかった。


きらきらと光を従えて謡う彼女は

「………」

ジィンが見惚れる程に美しかった。



「ジィン?」

「うわあああ、なんだよ急に」

「何度も声かけましたよー」

ぼうっとしていたらしい。くやしい。頬が熱くなる。なんでだくやしい。

「おまえ!上着着ろ」

「上着が濡れるじゃないですか。拭いてからですよー」

「うるせえ。早く拭け」

もういつのもエヴァだ。なのに、さっきの顔がちらついて仕方がない。

「変なの。桶に水汲んでください。それで帰りますよー」

「わかった」

金切り声で桶を奪い取って走り出した。

もう泉は幻想的なものはない。エヴァもない。ないない。なのに。


《いちまい》


「うるせえ!!なにが一枚なんだよふざけんな!」

幻覚だ。なかったことにしよう。

心臓もうるさい。熱い、熱い体中が燃えるように熱い。

泉に顔を突っ込んで冷やして落ち着いた。

いやまて、俺は何も変わってない。

水を汲んで戻れば、身を整えたエヴァがいて、彼女を見てもおかしくない。

ちょっと動揺しただけだ。よしいける。俺は俺だ。

「おまたせですよー行きましょー。あれ、顔濡れてるー」

近づいて拭かれたら、顔が近くてまた熱くなった。なんだ。なんだこれ。

「どうしました。熱ですかー」

「ちが、う」

振り払う事ができない。

「でも顔真っ赤ですよー。精霊にあてられて体調崩す人いますから。早く帰りましょー」

問答無用で手を握られる。

「あ、お、おう」

そうだ、精霊にあてられたんだと自分に言い聞かせて、神殿に帰るまでずっと手をつないでいた。


手は思ったよりも柔らかくて、まめがあって、働き者の手だった。

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深緑の泉 水浅葱 @Feenqueene

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