タイトル通りだと身構えてしまうので、
「思いつく人にしか思いつかない話」と捉えて読むと面白い。
内容自体はこういうサイトなら10人読めば10人はまず分かると思う。その後に十人十色の感想が出るので、自分のそれを吟味して愉しむのが良い。
一千人とか万人単位になると単純に語学力か向き不向きで分からない人が出るのかもしれないが、それはおそらく著者の意図している「分かる人に伝わってほしい」想いには沿わない。
まず、「自分はこの思考の端緒に至るか」、と思いつくか部分を考えてみる。これは単純に10人のうち10人思いつくものではないからだ。
さらに「思いついた、考えたことがあっても文にしたか」「深掘りをしたか」と進めてみるとそうでもないトピックが有りそうで、ボリュームも魅力的。
読んでいて共感します。その共感とは「自分も持っている感性」なのですが、それを「自分には持っていない語彙力」で表現されているので、心地よく読み進めてしまいます。本当に良く分かります。分かりすぎて読んでいてニヤニヤしました。作者の表現したいことにシンパシーを感じます。たしかに人によっては勘違いされてしまう場合もありそうですね。学術的な視点を持ち出して、矛盾を指摘しようとすればできてしまいますからね。しかし、そういうことでは無い「理性的ユーモア作品」のような観点で共感笑いした方がイイように僕は思いました。一部の読者が思うほど、作者はムキな主張をしたい訳ではなく、むしろ矛盾を思考し表現すること自体を楽しんでいるのだと僕は勝手な予想をしています。
挑戦的なタイトルとなってしまったが、このタイトルこそが読了した上での率直な感想である。
難しい表現や専門用語は用いられていないし、文章の意味を理解するのも容易い。ただ、内容を受容することが出来るか否かは、人によって分かれそうな作品だと感じた。
語弊を恐れず表現するなら、思考の大海原を一人用のぼろ舟で漕ぎ回っているような、そんな感覚だ。
人が何らかの考えを持つ時、必ず根拠がある。それが自分の経験か、他者からの受け売りか、大衆の常識なのかはこの際問わないが、この人の話はそれらを一旦否定する。イカロスから翼を取り上げ、大地に縛られていた頃に堕とすーーその上でもう一度、独力で飛ぶようにけしかけている。
なんと厳しい話だろうか。読んでいると拠り所を失った不安、苛立ち、もどかしさのようなものを感じるかもしれない。
それを越えた時に、私は大いに心を揺さぶられ、気付きと心地よさを得ることが出来た。当たり前、普通、常識といった固定概念に「そもそも」を投げられる衝撃を味わった。
答えや結果の類が書かれている訳ではない。よって、一読してみて「これが真実だ、正解だ」と決めつけてしまっては読んだ意味がない。
各話に対して自分の意見を持っておくことが重要なのだと思った。
書いてある内容に全て賛同できたかと言われれば違う。例えば人生理論の構築についての話で「型にはまった人生では不思議を見逃してしまうのでは」と説明されていたが、型にはまり、視野が狭窄したからこその発見、不思議は存在すると考えている。
当たり前なのだ。私と著者は違うのだから。
答えではなく、問いかけなのだから。