夜を駆ける

@snow_pink

第1話 雨

 何処に居ても、何をしても、

 いつも心の中にぽっかりと

 埋まらない穴が開いていた。


 その修復作業を誰かに求めるのは

 仕方の無い事で、

 いつも日常をそれとなく過ごしては

 独りになったときに、

 どうしようも無い虚無感に襲われる。

 その度に。


 別に友達が居ない訳じゃない。

 家族が居ない訳でもない。


 でも時に心の穴が

 うまく呼吸が出来なくなるほど

 大きな暗闇に広がったとき、

 助けを求めたい相手はいつも居なかった。



 あの日まで。




 ***




 毎晩、仕事帰りに月を探すのが日課となっていた。

 

 特に意味は無いのだけど、つい雲間から見えるあの光を追い求めてしまう。

 ホッとする、と言うには何か違う気もするがそれ以外に言葉が見つからない。


 遠山 いずみ。28歳。

 短大を卒業後、一度は就職に失敗したが中途採用で東京都内の中小企業に勤めている。受付事務と言ったところだ。 9時から18時、ほぼ定時で帰れるがこれといった予定も無いので、いつも多少の寄り道程度で帰路につく。


 職場と実家は電車で乗り継ぎもなく約40分。あえて一人暮らしして浪費するまでも無いだろうと、この歳になるまで実家暮らし。


 家族構成は父、母、そして姉の美咲。美咲は正に才色兼備で、大学の外国語学部を卒業後は海外でインテリア系の仕事をしていた。その後イギリスで出会った日本人男性と結婚し、今はアメリカに住んでいる。


 いずみと美咲が比較されるのは言うまでもなく、幼い頃から両親の愛情の差を感じていた。それでも、出来が違うのだから仕方ない、といつも自分に言い聞かせていた。

 美咲が実家を離れてかれこれ8年経つが、1人居なくなった遠山家は太陽を無くしたようにいつも静かだった。


「結構雨降ってるなぁ...」

 最寄り駅に着いて折り畳み傘を広げながら空を見つめた。真っ暗で悲しく泣いているような10月の夜空。街中はもうすぐハロウィンだ過ぎればクリスマスだと忙しなく派手な装飾に身を纏っているが、この雨空が全てを黒く埋め尽くしてしまいそうだ。怖いような、そうでないような。

 霧雨に近い小雨。少し涼しくちょうど良い気温。雨に濡れた街を1人歩く。


 昔から雨は好きだ。


 月が見えないのは少し寂しいけれど。


 恋人と呼べる人はいない。けれど、結ばれない恋をしていた。現代ではまるで流行りのようにそれを呼ぶが、決して正当化する事は出来ない。相手には妻子がいるのだから。


 瀬川敬。10歳上の会社の上司。2年前に他の部署から移動してきた。とりわけイケメンという訳では無いが、いつも穏やかでそれでいて少しお茶目で、誰にでも優しい雰囲気は女性陣から人気がある理由として充分だった。


 最初の頃はほぼ会話する事が無かったが、飲み会の席で隣になり、お互いに映画を観るのが好きなことが分かった。それから少しずつ距離が縮まり、会社で顔を合わせた時に好きな映画の話をする事が増えた。


「今度2人でご飯でも行かない?」

 誘ってきたのは敬だった。

 初めから既婚者だと知っていたから、少しの戸惑いはあったが、逆にそれ以上何かある訳が無いという安心感もあり、誘いにのってしまった。2人でもっと話がしてみたい、という想いが勝ってしまった。


 その頃は恋人と別れてかれこれ2年が経っていた。浮いた話もなく、出会いも無く、寂しさが無かったといえば嘘になる。


 敬の言葉にときめいてしまった。


 それから2人が親密になるまでそう時間は掛からなかった。


いつも同じ待ち合わせ場所。会社の近くではまずいので会社と自分の最寄りのちょうど中間地点の駅の居酒屋。勿論個室。


 君がその覚悟を持ってくれるなら、別れるつもりだと言ってくれた。でもどこまで本気なのか分からない。

敬の子供はまだ5歳。まだまだパパと遊びたい盛りの可愛い女の子だ。携帯の写真を1度見せて貰ったが、小さな口元が父親そっくりだった。その無邪気な笑顔が心にガラスの破片の如く突き刺さった。

そんな可愛い娘を悲しませて、一緒になろうなんて思える訳が無い。

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