己の不完全さを知りながら

王子はそのまま己の馬車に乗る事になっていたが、クラウス達も同じように用意していた馬車に乗り、別れる事になった。


「それでは殿下、失礼いたします」


クラウスがゆるりと頭を下げる。動作の滑らかさは折り紙付きであり、その動きに王子は見惚れた。何て綺麗に動くのだろう。

そう言えばこの少女は一度も、彼が眉を顰めそうな動きを見せなかった。

どこまでも軽く優雅に動く。

そしてそれを感じさせないほど、なめらかなのだ。

まるで妖精、とらしくない事を考えた王子は、自分の妃候補の事を思い出す。

誰も彼女に並ぶほど、動きが美しい女性はいない。

その点だけで言えば、クラウスほど完璧な振る舞いは出来ないのだろう。

会話が残念だが。

そして彼は思い出す。確か彼女と同じ家から出た少女が、まだ妃候補として残っていたはずだと。

ならばその女性も、同じだけ見惚れるほど、きれいにお辞儀をしてくれるのではないか。

彼はそんな期待をし、残っているのならば自分に対して何かしらの思いを抱いてくれているのだろう、そして美しいのだろうとさらに期待した。

そして御者に行先を告げ、彼はこれから会いに行く令嬢の事を思って期待に胸を膨らませた。

たしか、その少女の名前はキララと言ったはずだった。



一方のクラウスは、馬車の中で大きく息を吐きだし、ハンカチで汗をぬぐった。冷や汗だ。


「大丈夫かしら」


「大丈夫に見えているの」


「いいえ全然。でも外でぼろが出なかっただけよかったわ」


フィフラナの厳しい採点だったが、現実なので言い返せない。

そして演奏会の間に戻ってこなかった、彼の事が気になる。


「プロ―ポスはうまくいったかな」


「あれがうまく動けない事があってたまるものですか。たぶんドルヴォルザードで当主様たちと待っているわよ」


「だといいんだけれど」


「大丈夫ですよ、ポス坊ちゃんがしくじるなんて、天地がひっくり返ってもあり得ません、こんなささやかな事で」


貴婦人に警護をつける程度は、ささやかになるらしい。

クラウスも信用していないわけではないのだが……やっぱりどこかで不安なのだ。

そんな少女を見て、フィフラナが言う。


「あなたね、どんだけ人間不信なわけ」


「えっ?」


「確かにあなたの過去を色々調べて、心のどこかで他人を信じられないって思うのは仕方がないわ、でもあなたの大事な友人の事も、ちゃんと信じてあげられないの」


言われて訳が分からなかった少女だったが、その言葉はぐっさりと突き刺さった。

信じていない、そうだ、確かに、信じていないと言われても仕方がない。

任せろといった彼を信じられないでいるから、こんなにも不安な思いを抱え続けているのだ。

ぐっと手を握り締めた彼女に、友人が言う。


「まあ今すぐ、信じなさいなんて言えないけれど、今まで坊ちゃんがあなたを裏切った事があった?」


「ない」


「だったらもう、大丈夫でしょう?」


にこりと笑った友人の笑顔を見て、クラウスは腑に落ちた。

そうだ、彼は自分を裏切った事なんて一回もないのだ。

助けてくれた事だって数知れず。

だったら……私は、彼をちゃんと信じることが一番なのだ。

大事な事にいまさら気付かされたクラウスは、ちょっと笑って涙が目に浮かんだ。


「フィフラナさん」


「なによ」


「いつもありがとう、大事な事をいつも気付かせてくれて」


「虐げられてきて色々すっぽ抜けてる年下の友人だからね、世話を焼きたくなるのよ」


フィフラナは満足げに唇を吊り上げた。本当にきれいな形の唇だった。

一度納得し、きちんと呑み込めて、腑に落ちれば、先ほどまで感じてしまっていた不安はどこにもいなくなってしまった。

そうか、これが信じる事なのか。

今までずっと、屋敷の使用人たちが信頼できる勤務態度ではなかったせいと、何もかもの責任を押し付けるギースウェンダル当主のために、自分は人を信じる事がどこかうまくできないでいたらしい。

彼なら大丈夫、だからお母様も大丈夫。

今ならきちんと、そう思えた。

馬車は彼女の屋敷に到着し、ここでフィフラナ達とは別れる。


「今日はありがとう、とても楽しかったです」


「私もよ。また遊びましょう? タンガも普段面白そうじゃないのに、今日は楽しそうだったし」


「姉さんにちゃんと友達がいるっていう事実に、安心したんだよ」


「あなたはまたそんな事言って!」


ぺしっと軽く頭を叩かれたタンガが、笑ってさようならという。

そこで馬車は出発し、クラウスは屋敷の中に入った。

屋敷はどこか慌ただしく、空気がとがっている。

おそらく、ギースウェンダル当主の行った事が知らされたからだろう。

早くお母様や義姉様たちに会いたい、と思いながら階段を上っていけば、使用人の一人が柔らかく歩いてやってくる。


「お嬢様、旦那様たちがお待ちです」


「はい」


手紙の事を聞かれるのだろうな、と思いながら、一人蚊帳の外にしないでいてくれる家族を、ありがたいと思うクラウスだった。

執務室では、フィフラナの予想通りにプロ―ポスが立っており、厳しい顔の当主や前当主が座っている。

夜の君が立っているのはどうしてだろう、と思いながらも、クラウスは勧められるままに椅子に座った。


「手紙はクラウスにあてられたものだったのだろう? この手紙は間違いなく姉さんの物だ。あの当主、何という愚かしい真似を」


眉間にしわが寄る当主。よほど腹に据えかねたらしい。

確かに、一族自慢の誇り高く美しく、クラウスの眼から見ても完ぺきな女性に言いがかりをつけ、修道院に追いやって殺そうとするなど、信じられない事だろう。

苦々しい顔のおじい様とおばあ様だ。


「うちの手の者たちが、先ほど連絡を入れてきた、無事に彼女を保護し、このままこちらの屋敷に向かっているらしい。こんな事で失敗するやつらは選ばなかったから、明日のうちにここに戻ってきてくれるだろう」


茶器を片手に立ったまま言うプロ―ポス。周囲のとげとげとした空気など意にもかさないらしい。

その言葉を聞き、クラウスははっとして父を見る。


「父様、では明日帰ってくる、あーおかあ、いや、えーっと」


「シャリア母様でいいのではないかしら。クラウスはお母様がたくさんいていいわね」


呼び名に迷った少女を助けたのは、義母マッリーアだ。彼女が言いたい事をきちんと理解してくれたのだろう。

呼び方が決まったため、クラウスは続ける。


「シャリア母様をお出迎えする準備もしましょうよ、きっと旅で疲れていらっしゃるし、色々な心労があったと思いますし、義姉様たちも同じですよ、私準備したいです!」


この言葉で、当主たちはギースウェンダル当主を怒るよりも先に、優先するものがあった事に気付いたようだ。


「確かに、あんな男に怒りを覚える前に、疲れて帰ってくるだろう姉さんたちを温かく出迎える準備が先だな! よし、セバスチャン!」


当主の呼び声で一礼した執事に、当主は言う。


「明日姉さんが帰ってくるから、祝いの準備を、それから姉さんたちの好きな入浴剤など、旅の疲れを癒せるものを用意させなさい。食事は何がいいだろう、コックたちとも相談だ」


「はい!」


執事は目を輝かせ、さっそく準備のために部屋を出て行った。

その喜びようは大変な物で、ああ、シャリア母様や義姉様たちは愛されていたんだとしみじみ思う物だった。


「事情はシャリアからもきっちりと聞いて、それからあの男への対応を決めましょう。その方が齟齬が発生しないわ」


にこやかに笑ったおばあ様の眼は笑っておらず、かなり怒っているのが伝わってきた。

まあそうだろうな、と思うクラウスだったが、ここでプロ―ポスが言った事で我に返る。


「では色々知らせたわけだし、ここで部外者は失礼する事にする」


「ああ、夜の君。一つうかがっても?」


「何を?」


「明日の姉さんの帰宅を祝う晩餐に、来てはいただけないだろうか」


夜の君ほどの人間が参加すれば、ドルヴォルザードもシャリア自身にも、疚しい事が無いと証明できるからだろう。恥だと思っていれば、夜の君ほどの人物を呼ぶなんて事は出来ない。

そこをきっちりわかっているのだろう。

プロ―ポスが頷いた。


「私も、あの美しいかたに再会できるのは楽しみだ。喜んで招待されよう」


忙しくなるな。自分にできる事は何だろう。

クラウスは彼らの言葉を聞きながら、自分にできそうなことを考え始めた。

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ガラスの靴は履けたけど 家具付 @kagutuki

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