交わり始める多彩な糸の上で

待っている間ずっと、心ここにあらずと言った調子のクラウスだったが、隣のフィフラナがうまい具合に彼女を誤魔化していた。


「クラウス様、ちょっと不安そうな顔が隠せていないわよ」


「気になってしょうがないのだもの」


二人して小さな声で話し合っていた時。

演奏の最後の音が終わり、拍手喝采と人々が拍手をしたその時だ。

指揮者が観客席側を見て一礼し、そして目を丸くして微笑んだ。

それはどこから見てもハツカネズミの愛らしさであり、結構な中年の男性に思う発言ではない。

だが。

彼は胸に刺していた一輪の美しい花……どこか異国の花だろう、静かながら存在感のある花を投じた。

そして投じられた花が、クラウスの所に落ちたのだ。


「ではこれから、投じられた花の先にいる方に合わせた、即興曲を一つ演奏させていただきましょう! いやはやこれも我々の恒例の行事になって久しい!」


花をつまんだクラウスは仰天した。え、今何を言ったのだろう。

しかし驚いているのはクラウスばかりらしく、この最後の行事を大体のメンツは知っていたらしい。

ざわめきは好奇心によるものであり、指揮者が高らかな声をあげる。


「さあさあ運のよろしいお方、どうぞ立ち上がって我々の目の前に、姿を現していただけないでしょうか! あなたを見て、我々は即興で一つ演奏させていただきます!」


「クラウス、立って。あなた運がいいわね!」


フィフラナが楽しそうな声を上げ、せっついたためクラウスは立ち上がった。

立ち上がった少女を見て、周囲がわずかにざわめいた。

それは少女の平凡さのためだ。

こんな平凡な少女を見て楽団は、どんな曲を作るのか。

楽団の指揮者は手を叩き、自分に注目を集める。

そしておどけた声でこう言った。


「まあこれは可愛らしいお嬢さんだ、運がとてもよろしいようで。……さてどんな音がこの娘さんにふさわしいか」


「指揮者どの! ここは我らが!」


指揮者に手を挙げたのは、弦楽器の場にいた一人の女性だった。彼女の周りで同じような楽器の集団が頷いている。


「では我らの弦楽器の皆に、引き始めてもらいましょう! 皆、耳を澄ませ、心を合わせて!」


指揮者がひょいと指揮棒をふるう、そして止めると女性が初めに心を震わせるような音をつなげた。

それに合わせて、まるで示し合わせたように弦楽器の人々が音を奏でだす。

誰もがバラバラになるのでは、という予想は大きく覆され、音は可憐で可愛らしい、一輪の野の花を思わせる曲に変わる。

だが。

それを聞いたほかの楽器の奏者たちが、音を合わせた途端それが、変貌する。

野の花だと思ったら花の女神だった、と言わんばかりに音が変わったのだ。

とてもいきなりの事とは思えないのに、無茶苦茶に奏でられているはずの音たちは一つのイメージを作り上げる。

曲は短くしかし、彼女のイメージが可憐で強くたくましい野の花、と言わんばかりの調子で終わった。

一体何を聞かせられたのだ、と誰もが思う中、クラウスは感動して拍手した。

こんな地味な顔で、お忍びルックの自分にこんな曲を作ってくれるなんて、なんて心優しい集団なのだろう! 

自分の顔の平凡さをよく知っている彼女が手を叩き、ちょっと涙すると、周囲も思い出したように拍手する。

これに心から満足したらしい集団が、一斉に頭を下げて幕が卸された。


「あんな少女にこれだけの音を奏でるのだから、公爵家令嬢のような大輪の薔薇のためなら、あの集団はどんな曲を作り出すのだろうな」


クラウスには聞こえない前方の客たちが、貴族の客たちが、そんな事を小声で話し合っていた。

やはり前方で演奏を聞いていた公爵家令嬢は、にこりと微笑み余裕の顔である。

彼女は後ろのクラウスを見ていたが、お忍びルックに気を取られ、少女が夜の君と踊ったあの少女だと最後まで気付かなかったわけである。

衣装の効果が絶大だという証明だった。

幕が卸された事で、人々は口々に演奏の感想を言いながら立ち上がる。

その流れに合わせたクラウスは、そこで意外な人物を見つけて足を止めた。


「ねえフィフラナさん、あそこにいるのは殿下じゃない?」


「え……? あ、本当だわ。お忍びのつもりなのでしょうけれども、結構不審者の身なりね。ポス坊ちゃんのお忍び姿を見習ってほしいものだわ」


フィフラナは衣装の事に一家言あるので、酷評である。

事実王子ウィリアムは、ちぐはぐな衣装を身にまとっていたのだから。

上着は上流階級の物っぽいのに、下半身は下町の簡素な衣類。靴は履き慣れているのだろう最高級の物だ。

それにちょっと東方風のしゃれた帽子となれば、かなりちぐはぐ感が否めない。

実はクラウスも、その衣類の変わり方から、どんな人だろうと顔を確認して、王子だと気付いた口だった。


「あれはないわ、さすがにないわ、ダメな男のファッションね」


庇ったりする事も何もなく、フィフラナが断じた時だった。

相手がこちらに気付いたらしい。視線を投じすぎたからか。

ウィリアムは目を丸くした後に、にこりと人のいい笑みを浮かべて近付いてきた。

人々が入口の方に向かう流れに合わせるような動きで、なるほど人の波に合わせるのに慣れていらっしゃるご様子だ。


「こんばんは、珍しい方々がいると思ったら」


にこやかで友好的な笑みを浮かべたウィリアムが、クラウス、フィフラナ、タンガと顔を見て言う。


「殿下もこのような所に来るとは珍しいですわね」


名家の養女という風格ではなく、豪商の娘と言った雰囲気をまとったフィフラナが答える。

先ほどまでの、段位の低い貴族の令嬢と言った雰囲気はなく、そのため誰もが王子とフィフラナの身分にも会話にも注意を向けない。


「長年チケットをとるように、侍従に頼み込んでいたのですよ、ですから念願の演奏でした。いやはやとても素晴らしい。今宵は興奮で眠れなくなりそうです。……ところでドルヴォルザードのご令嬢はこのような所が初めてでしょうに、演奏の最後のあれに選ばれるとは運がいい。知っている娘たちは、自分を演奏してほしいと熱望するのですよ、あれ」


「そうなんですか? 確かに私のような普通の見た目でも、あれだけ素晴らしくしてくれるのですから、皆さまがそう思うのも無理はないですね」


自分で言いながら納得しているクラウスである。自分のイメージを素晴らしく作ってくれるなんて、それも即興曲を作ってくれるなんて、少女たちの夢だろう。


「彼らは結構辛辣な事でも知られていますがね、あなたは一輪の野に咲く花と思ってもらったようです」


「言い方を変えればしぶとい雑草ですけれどね、事実ですけれど」


クラウスのあっけらかんとした言葉に、王子は吹き出してしまった。

仮にも他国に知られた名家の養女とは、思えない言動だったからだ。

だが少女の発言は裏で言われている事でもあり、王子もその評価を事実だと知っていた。

しかし……普通の令嬢ならばその育ちに、劣等感を抱いてしまわないだろうか。

ウィリアムの内心の疑問など露知らず、少女は友人に注意されている。


「あなたの十五年間を否定するわけじゃないけれど、言い方という物があるわ、クラウス様。およそであまりそんな発言をしちゃだめよ、ドルヴォルザードが舐められるから」


「わかった、ありがとう」


「姉さん、クラウスさん、殿下、そろそろ皆さん出て行ってしまいますから、僕たちもそれに合わせないと目立ちますよ」


今まで会話に割って入らなかったタンガが、周囲の状況を見てそんな事を言う。

それもまた事実なので、少女たちは頷き、王子もその助言に従う事にした。

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