第二章 4 進む事を止めたりなどはしないまま

一行はそうして、いちのくるわの中でもとりわけ有名な、他国にもその美しさが広まっている庭園に到着した。

ここで、諸外国を渡り歩いている音楽家の集団が、演奏をするのだ。

この演奏会は、チケットが取れない事でも知られている。

チケットがとれたならば、他国であっても聴きに来る……といった愛好家も多い集団なのだ。

クラウスはそれが興味深かった物の、心の一部は遠くに行っていた。

プロ―ポスが行動を起こしてくれるのだから。気にならないわけがない。

彼は任せておけと言ってくれた。

それを信じるのだ、とクラウスは自分に言い聞かせる。

この例えようのない不安が、どこから来るのかわからないせいで、余計に不安だったのだが。

手紙は彼に渡した。彼がこの手紙をドルヴォルザード公爵に渡してくれるのは事実でしかない。

手紙がどこかで余所に行くとは考えられない。

事実を知ればお父様たちは、動いてくれる。プロ―ポスたちも動くのだから、万全だ。

自分はこれを知られていると気付かれないように、顔をあげて普通通りにしなければ。

クラウスは言い聞かせ、顔をあげている。

隣のフィフラナも平素通りだ。

対象者の親しい友人が、挙動不審では怪しまれるのだから。

プロ―ポスも、演奏のさなかに、火急の事態という様子で部下が来るように手配をしていた。

だから大丈夫、と思い、彼女は演奏会を待っていた。

庭園の美しさを眺めている余裕はなく、フィフラナの隣を歩いているだけの状態のせいか。隣の彼女が忠告してくる。


「心ここにあらずって感じよ、大丈夫」


「大丈夫じゃないけど大丈夫な振りしてる」


「その心が大事よ。そのうち出来るようになるから。夜の君を甘く見ちゃいけないわ。あれで結構すごいから」


「プロ―ポスがすごいのはよくわかってるよ」


「でしょうね! いったいどこの誰が、雲隠れして久しかった伝説の花冠職人探してくると思うのよ」


「え、伝説?」


「デビュタントの時の花冠の制作者は、行方知れず、どころか消息不明の方で知られた花冠職人。これが凄腕で、失敗しない事でも有名だったの。でも貴族に利用される事を嫌ってどこかに旅立って、それからどこにいるのか知れなかったんだけど。……あとであいつに聞いてみる? あたしも花冠で頭を飾ってみたいもの」


「そんな人を探す手間をかけてくれたの……?」


あまりにもやりすぎではないだろうか。唖然としたクラウスは、仕事の話で一度離れたその男が戻ってきたため、なんとも言い難い顔になった。


「どうしたんだ、クラウス、変な顔だ」


「あなたのやったことを知らされて驚きすぎてるのよ」


「大した事はやってないんだが」


「妖精の冠屋を探し出してきて、何を言うのやら」


「ああ、あいつは夜の方で細々と営業をしていてな、何かあったら頼んでいい事になっていたんだ」


男の言葉に、クラウスは納得した。

そうか、探したんじゃなくて、部下だったのか。

部下なら居場所位知っているよね、と頷けば。


「妖精の冠屋を囲ってたのが夜の君……そりゃあ見つけられないわけよね」


フィフラナが舌打ちした。これだから権力者は! と言いたそうな声だったが。それで怒る人間はここにはいなかった。


「姉さん、きれいな顔が台無しだから、そういう顔をしないでくれないか、そういう顔のせいで姉さん、縁談が破談になるんだ」


「はっ、この程度の顔で破談にする根性なしは、我が家の女相応しくないでしょ」


「まあそうだけど」


タンガのたしなめに言い返す彼女。弟は溜息をついた後に同意する。

こんな兄妹の形もあるのか。

クラウスはいまさらながら、友人の不思議な家族の絆を思った。

兄弟の序列が決まっているマチェドニアで、姉にこうして物を申す弟は珍しい。

下町ならいるだろうが、やっぱり貴族の方になると表面上はそう言った事を隠すのだ。

見せても家に不都合な事が無いのだろうか。

あ、フィフラナさんが養女だから大丈夫なのかな。

クラウスは勝手に納得した。養女の方が、直系の血よりも少し立場が弱くなるのは定説だった。

その家の正当性がない分、立場は少し弱くなるものなのである。


「この庭園は今は盛りではないのに、どうしてあの演奏集団が公演にきたのか」


周囲を見回したプロ―ポスが、かすかな疑問を口にした。


「あなたは表向きの理由を知らないの、ポス坊ちゃん」


「街道の事情で到着が遅れたという話だが。何事も最高の状態を目指す集団だからな、庭園の花が見ごろではないという理由で、場所を変えそうなのだがそれが今回はなかった」


「あなたでも把握できない物があるのね」


「聞いたが忘れた方だと思うな」


茶化したフィフラナに答えた彼は、すっと前を示した。


「演奏会場はここだ」


ひしめく人々から、彼等の装束の豊かさから、この演奏会がいかに色々な人に待たれていた物かがよくわかる。

王侯貴族のような身なりから、豪商から、パトロンになるのに申し分ない人々が集まっていると思えば、どこにでもいそうな庶民の身なりの人もいる。

観客に貴賎を問わないという性格の集団なのか。


「いろいろな人が集まっているんだね」


「この集団は、自分の音楽が分かる奴なら、どんな身分でも受け入れる。中にはただでチケットを渡されたという、幸運な庶民もいるそうだ」


「本当に、自分たちの音楽を聴いてほしいんだね」


「聞かれてこその音楽、という立ち方らしいからな」


位置としては中間のあたり、彼女たちと似たような身なりの人が集まる区域に座った彼等は、そのまま演奏を待っていた。

プロ―ポスとタンガが大体似たような瞬間に、懐中時計を取り出す。


「そろそろですね」


「楽しみだ」


ぱたん、とどちらも見事な装飾の時計を閉じたとき。

まばらな拍手の中、一人の小男が現れた。ネズミのような顔をした男だが、なんとなく愛嬌がある。

それでいて隙が無いその男は、一礼をした後声を張り上げた。


「この度は、我らの演奏に来ていただき誠にありがとうございます。機材の調整も終わりましたので、そろそろ始めさせていただきたく思います。……我らが運命の姫君を探してもう十年、演奏家集団としても皆様に知れ渡っているのですが、肝心の姫様にはお会いできず、誠に残念至極。まあ我々の愚痴などこの辺にしておきまして……開始」


開始、と言ったその瞬間に幕が上がる。小男は指揮者だったらしい。観客に背を向けて台座に上がり、両手を伸ばした。

いつの間に持っていたのか、上部に煙水晶のあしらわれた指揮棒を持っている。

いや、あれは杖だと心の中で突っ込みつつ、クラウスは始まった音楽に耳を浸した。

各国を飛び回るのも納得、そのすべての公演を成功させるのも納得、という信じられない技量の演奏が、今ここに始まった。


演奏の幅は広く、激しい音楽からゆったりとした物、軽快な響き、重厚な曲調。

あらゆるものを、全く統合性ない順番に演奏しているかに思われるのに、その順番はとても当たり前のように響く。

誰も選曲がおかしいと言わないのだ。

クラウスも、すごいな、すごいな、と思いながら聞いていた。さっと、隣の男の所に、小さな子供が現れるまでは。


「大将、火急の用事です」


その声で、いよいよ彼が動くのだと知れる。

彼が、目立たないように立ち上がる。目立つ振る舞いも得意なのに、目立たない振る舞いはもっと得意なようだった。


「行ってくる」


小さな声で彼女に告げた男は、そのまま歩き出した。

音楽に集中しているふりをして、クラウスは手の動きだけで、幸運を祈る印を描いた。

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