モンスターへ乾杯!
善吉_B
火曜日の怪獣当番
その集団の中から、
「昨日、マルがやられた」
「えっ」
教室の前の方で友達としゃべっている丸山の方を思わず見そうになる。慌てたサワコに両手で肩をつかまれて、何とかあちらには気が付かれずに済んだ。ほっと息を吐いた皆がいっせいに、亘の方をじろりと睨む。
「ごめん、つい」
四方向からのじろりを受け止めきれなかった亘は、思わず床板と床板のすき間の方に目を落とした。そのまま顔をすぐに上げる気にもなれないので、とりあえずと黒板の方に目を向ける。
黒板の右はしには、大きな文字で今日の日付が書かれ、そのすぐ下に曜日と、今日の日直当番の二人、佐々木とサワコの名前が続いている。
その日直のすぐ左横にもう一つ、いつも通り、誰が書いたのか誰も知らない下手くそな字で、別の係の名前が書き足されていた。
怪じゅう 田井中
「今日の当番、田井中なのか」
教室を見渡してみたけれど、田井中はまだ来ていないようだった。
「な、あいつも多いよな」
うなずく祥平は、確か今年の六月に初めて当番になってから、まだ三回程度しかなっていないはずだ。今のところ一番当番の回数が一番多いのは、田井中と章、それから昨日が当番だった丸山。
「まさか、慣れているはずのマルまで負けちゃうなんて」
一番背が低いのに大人みたいな溜め息を吐くサワコは、当番の回数はそこまで多くないけれども、係になった時には色々なことを調べてくれる。
「それで、『アポロ』は無事なんだよな?」
「一応、そのはず」
「じゃなきゃ今日も当番があるのはおかしいもんね」
それもそうかとうなずく後ろから、ガラリと扉がひらく音がして、亘はそちらに顔を向けた。
そこには、うすい青と緑を混ぜたような色に、紫のぶち模様とぎざぎざした背中を持つ、おもちゃみたいな怪獣が立っていた。
大人と同じ位の背丈の怪獣は、着ぐるみみたいなぽってりした手足を動かして、そのまま教室の中へと入っていく。
それに合わせてあちらこちらからおはよう、という声が飛ぶけれど、当然怪獣は返事を返さない。ただ相手の方を向いて、ちょいと手を振ってみせるだけだ。
それにああ、とうなずくクラスメイトも何人かはいたけれど、ほとんどは喋らない怪獣を見て、不思議そうな顔をしていた。
その不思議そうな人たちの中に、丸山がいるのを眺めながら、今までずっと黙っていたキヨが、ぽつんと小声でつぶやいた。
「とうとう、丸山さんも怪獣のこと忘れちゃったね」
昨日までは、丸山だって怪獣が何も喋らないことなんか、当たり前だと思っていたのに。
怪獣が窓際の一番前にある田井中の席に座るのと同時にチャイムが鳴って、あわてて亘たちはそれぞれ自分の席に着いた。
「…それでは、ここのページの五行目の文からひと段落を、田井…」
三時間目の国語の時間、担任の春川先生は窓際の一番前の席をちらりと見ると、呼び掛けた名前を途中で止めた。
「………木村君、読んでくれますか」
そのまま席を一つ飛ばして、後ろの席の木村を当てる先生に、教室のほとんどの生徒がやっぱり不思議そうな顔をした。けれどその十秒後には、いつも通り何もなかったみたいにそのまま授業中の顔に戻っていく。
ほおづえをついて木村の音読を聞きながら、亘はこっそりと飛ばされた田井中の席の方に目を向けた。
怪獣は他の生徒と同じように、机の上に教科書とノートを広げておとなしく座っている。子供用の机と椅子が、大きな体にはきゅうくつそうだ。田井中と同じ列の章は前に、「あいつが一番前の席だと、怪獣の時もそうじゃない時も黒板がよく見えないんだ」と言っていた。
春川先生はいつも、日直の横に書き足された怪獣係の名前にも、当番の人の席に座っている怪獣の姿にも、何も言わない。
けれども、授業中に怪獣をあてることはないし、怪獣が話せなくて困っている時にはちゃんと助けてくれる。
それが先生の役割なのだと、亘たちは一番はじめに言われていた。
春川先生には、僕らみたいに怪獣当番の人がちゃんと怪獣に見えているんですか。
前にそう聞いていたのは、確かカズキだった気がする。
あれは確か三年生の九月の、怪獣当番が始まったばかりのことだった。だからまだクラスの皆が怪獣のことを知っていて、カズキは授業中に手をあげてわざわざ聞いたのだ。
けれど、そのせいで春川先生の答えは「授業と関係のある質問にしましょうね」になってしまった。
質問をしたカズキは、四年生になる前に負けて、怪獣当番のことを忘れた。
だから亘たちは今になっても、春川先生が怪獣のことを知っているということしか分からない。
放課後、亘は廊下を走っていた。
途中すれ違った他のクラスの先生に「廊下は走らない」と注意されたけど、先生が角を曲がって見えなくなったところでもう一度走り出した。
うっかりしていた。そうじ当番の祥平たちと話していたら、いつの間にか怪獣の姿が教室から見えなくなっていたのだ。
大急ぎで上履きを脱いで、そのままげた箱に放り込む。スニーカーをつっかけてそのまま急ごうとしたけれど、走りにくいのでちゃんと履くことにした。
校庭をそのまま走り抜けようとしたところで、他のクラスの子たちと混ざってサッカーをしている安田を見つけた。
「やすだぁ」大声で呼ぶと、「お前も入るかぁ?」と倍以上の大声を返しながら、亘のいる方へ歩いてきた。
「田井中、見なかった?」
「田井中? さっき校門の方に歩いて行った」
「わかった、ありがとう」
お礼だけを言ってさっさと走り去る亘の後ろから、「あいつに用か? 珍しいな」という不思議そうな安田の声が追いかけてくる。
走ったまま、転ばないように気を付けてちらりとふり返ると、いつも大人しい亘の急ぎようにぽかんとした顔をした安田の顔が目に入った。
つい一ヶ月前までは、安田はもっといやな奴だった。
こうやって放課後、怪獣の後を追いかけて走る亘を見かけては、「またあこがれの怪獣を追っかけているんだな」と、ニヤニヤ笑いを浮かべて得意そうに、意地悪な言葉をいつもかけてきたのだ。
その安田も、一か月前の当番でやられた。
怪獣のことを全部忘れてしまってからの安田の方が、亘にとっては話しやすかった。
校門を抜け、商店街に入ったところで、ようやく怪獣の姿が目に入った。
亘のいる商店街の入り口からずっと先の方を、ぽてぽてと体の割に短い二本の足で青い怪獣が歩いている。呼びかけるには少し遠そうだ。ここまでずっと走っていたから、息も切れていて大声も出したくない。少しだけ休んでから、亘はまた走り出した。
怪獣はゆっくりと歩いている。商店街を抜けた通学路の途中で、せまい裏道へと曲がっていった。それを追いかけて亘も、裏道の方へ曲がっていく。
裏道には、怪獣の姿はどこにも見当たらない。代わりに両脇に立つ家の塀に挟まれて、狭い道の真ん中に赤い古びた郵便ポストがぽつんと立っていた。
右のズボンのポケットから、木の板に「わた
誰にも気が付かれなさそうな場所に立つ郵便ポストにその名札を入れた瞬間、ぐるりと目の前の景色がコーヒーカップのように回り始めた。
そのままぐるぐる回る風景をじっとながめていると、少しずつ回るスピードが遅くなっていく。だんだんとハッキリしていく景色の中に【 み ぎ 】と書かれた道路標識が見えた瞬間、亘はくるりと右を向いて走り出した。
走った先には、今度は斜めの矢印が描かれた道路標識が飛び出してくる。言われた通りに斜めに走ると、次は【 と べ 】と書かれた黄色い看板が見えるので、そのまま勢いをつけてジャンプをする。
次は【 そのまま 】。ジャンプして着地したままじっと立って次の標識を待つ。
【しゃがめ】の赤いマークが見えた。出来るだけうんと小さくしゃがむ。
【 ひだり 】、しゃがんだ状態から勢いよく立ち上がって、左に向かって走り始める。
ようやく【まっすぐ】の文字が見えて、ほっとしながら前ヘ進むと、突然目の前にひらけた草むらが広がった。
いつの間にか回転をとめた風景を見渡すと、あの裏道の塀はどこにも見当たらなかった。ところどころにガラクタが積み上げられた草むらは、いつ来ても静かで、うすい雲だけを残して晴れている。
草むらの真ん中に、一番高く積まれたガラクタの山がある。その手前に腰かけた怪獣をようやく見つけた亘は、息を切らせながら怪獣に向かって叫んだ。
「田井中」
それまでぼんやりと右手の猫じゃらしを回していた怪獣が顔を上げた。教室に入ってきた時みたいに、ちょいと小さく亘に向かって手を振って見せる。
「そっちに行っていい?」
だめだと言われたこともないけれど、亘は怪獣の近くに行く時はいつも訊くことにしていた。
思った通り、静かにうなずいた怪獣が、すぐ横の瓦が積みあがって出来た場所をぽんぽんと叩いてこちらに手招きをする。亘はそこに座ると、ようやくランドセルを下ろした。
こげ茶色のランドセルは、留め具の部分が外れていた。あわてて教室を出てきたから、閉めるのを忘れてしまったのだ。走っている途中で何か飛び出していないといいな、と思いながら、自由帳と鉛筆を取り出す。
じっと隣から見られているのを感じて顔を上げると、怪獣がビーズみたいな目で自由帳の中を覗き込もうとしていた。見てもいい? 無言でそう聞かれているみたいだ。
「田井中なら、別にいいよ」
怪獣の手だとページがめくりにくそうなので、目の前でノートを開いて見せる。
ページのほとんどは、亘たちが今いる風景の絵だ。ここに来るまでの道路標識の絵と、怪獣たちの絵もたくさん描いている。
一ページだけ、字しか書いていないページもある。
四年一組の皆の名前と、名前の横に当番になった回数が正の字で書かれた表を作ったのだ。
皆が一度は怪獣になっている中で、亘の名前の横にだけは、正の字の最初の一の字も書かれていなかった。
怪獣がじっとこちらと文字だけのページを見比べているのを感じる。表情はこれっぽっちも変わらないけれど心配そうな怪獣を見上げて、亘は安心させたくてにっこり笑った。
「別に、気にしていないんだ」
もちろん前の安田みたいに、そのことを馬鹿にしてくる奴らもいたけれど。
そういう奴らは皆、自分が当番の時にやられてしまって、怪獣のことなんか今は何一つだって覚えていないのだ。
「最近のハカアラシ、強いやつが多いんだってね」
だから怪獣当番で残っているのは、今ではクラスの半分よりももっと少ない。
「きっとそのうち、おれの番も回って来るよ」
その時は、ちゃんと戦えるといいのだけれど。そう続ける亘の頭の上に、黙って怪獣の大きな分厚い手が乗せられた。
田井中は、クラスの中でも背が高い。三年生の時から、背の順はいつだって一番後ろだった。
けれど普段の田井中は、どちらかというと細長くてひょろひょろしている。だからこうして横幅も大きな怪獣の姿の田井中の横にいると、何だか田井中ではない誰かと一緒にいるみたいな気分にもなった。
自由帳には、他にもいろいろなものの絵を描いている。
ガラクタの中で面白い形をしていたもの。その脇で見つけた小さい花。
時々やってきては、怪獣たちと戦うハカアラシの絵は、あまり無い。危ないからと、近くでは見せてもらえないからだ。
それから―――『怪人アポロ』の絵も。
「アポロ、いつになったら起きるんだろうね」
亘と怪獣の後ろに積み上げられたガラクタ山を見上げながら、亘は怪獣に問いかけた。怪獣はだまって首をかしげたまま、亘と同じように山を見上げる。
草むらの中で一番高いガラクタ山は、怪人アポロの墓なのだそうだ。
去年の夏の終わり、社会科見学の帰りのバスに乗った亘たちの前に現れたのは、つなぎ姿にマントを羽織った、ぼろぼろの怪人だった。
海底を冒険する話に出てくるようなヘルメットを被ったその人は、当時三年生だった亘たちと、担任の春川先生の前に突然現れると、ばったりと倒れてこう言ったのだ。
―――― 私は怪人アポロ。このままでは正義が負けてしまう。君たちに頼みがあるんだ。
敵の罠にかかって負けてしまったのだという怪人と、亘たち一組の皆は、一つの約束事をした。
負けた怪人は、傷を治すために、しばらくの間眠っている必要がある。
その間の見張りの番を、一組の皆にはしてほしい。そのための力も与えよう。
毎日一時間、怪人が眠る墓を狙いに来る悪の魔物・ハカアラシの手から、守ってくれ。
もしも守り抜いてくれたその時は―――――
「アポロが復活したら、どうなるんだったっけ」
なぜか肝心のところを思い出せなくてたずねれば、横の怪獣も、さぁ? とでも言いたげに首をかしげてみせた。
「ああ、そうだ。君たちがピンチの時にはきっと助ける。とか、そういう話だったよね」
どうだったかなぁ、そんな気もするなぁ。
首をひねりひねり、そんな田井中の声が聞こえてきそうな怪獣の動きを横で眺めながら、亘は思わず笑ってしまった。
「おれさ、別に助けてほしいとか、そういうことはあんまり思っていないんだよね」
草むらに吹くそよ風が気持ちいい。
はたはたと、めくれそうなページを左手で押さえながら、亘は鉛筆で線を描き始めた。
そう、別にそんな約束事を守ってもらうために、当番になりたいわけじゃないのだ。
機嫌が悪くて冷たい母親の声も、酒を飲む度暴れる父親の握りこぶしも、別にアポロに助けてもらいたいわけじゃない。
ただ、亘は見てみたいのだ。
このガラクタ山から目覚めて、格好良く戻ってくるヒーローの姿を。
―――――― ありがとう君たち、よくぞ今まで私を守ってくれていた!
そういって、負けてしまったクラスの皆の分も、残って最後まで戦っていた田井中や章や祥平やキヨやサワコたちの分も、全部まとめてヒーローが讃えてくれるのを。
怪獣たちへの、ヒーローからの喝采を、見届けたいのだ。
なのに、亘は今日も当番にはなれない。
毎朝アポロの助手だという、見えない誰かが決める当番に、今日も亘の名前は無い。きっと明日だって、ない。
「アポロ、早く目が覚めないかなぁ」
だからせめてもと、亘は今日も怪獣の絵を描いている。
モンスターへ乾杯! 善吉_B @zenkichi_b
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