その25~現実~

 望は夏休みに渡瀬と出かける約束をしていた。ひょっとすると、キャンセルの連絡が来るのではないかと思ったが、渡瀬から連絡は来ないまま当日を迎えた。望の方からキャンセルする事も考えたが、渡瀬と会ってきちんと話がしたいと思った。

 待ち合わせ場所の駅の改札前に望は向かった。渡瀬は来ないかもしれないと思っていたが、改札の前に既に渡瀬が立っていた。望の姿を見つけると、渡瀬が「おはよう」と言ってほほ笑んだ。その様子はいつもと変わりなかった。

「あのさ、今日は出かけるのは止めて、話がしたいんだけど」

 望が言うと、渡瀬が笑った。

「やっと学習したんだね」

「え?」

「高宮くんは流されやすいからさ。じゃあ、そこのカフェでも行こうか」

 渡瀬はそう言って、先に歩き出した。

 二人は駅前のカフェに入り、窓際のカウンター席に横並びに座った。

「あれから、リーンハルトはどうしてた?」

 あの件以降、ユリウスはリーンハルトに会っていなかった。

「別にどうもしてないよ。普通に毎日過ごしてた」

「あの日、王様に叱られた?」

「ちょっとね」

「置いて帰っちゃったから、あの後どうしたか気になって」

「そういう優柔不断なのは良くないよ。ライムントが好きなら、リーンハルトの事は切って捨てないと」

「でも……」

「僕はユリウスの事も高宮くんの事もまだ諦めてないよ。寧ろ、あの日以来、余計に好きになった」

「え?」

「僕は君が好きだ。君が欲しくてたまらない」

 渡瀬はまっすぐに望を見つめた。そして、

「だから、これからも普通の友だちだと思わずに、僕の事を意識して欲しい」と言った。

「……渡瀬」

 望は顔を赤らめて俯いた。

「兄上でも斉木先生でも、どっちでもいいけど、もし、うまく行かないような事があったら、僕のところへ来て欲しい。僕はいつでも待ってるから」

「…………」

 望は渡瀬に申し訳なくて、何と答えればいいのか分からなかった。

「それで、兄上とはあの後どうしたの?」

「どうしたって……」

 望は馬上でのキスを思い出して顔が熱くなった。

 その様子を見た渡瀬がため息をついた。

「まあ、そうだよな。あの状況じゃ、いくらなんでも我慢できないよな」

 それを聞いた望は誤解されていると察し、慌てて首を振った。

「俺たち、その……。そういう事はしてないからな?」

 すると、渡瀬が目を見開いた。

「してないの?」

「ああ」

 渡瀬が呆れたような笑みを浮かべた。

「もしかして、卒業までは先生と生徒の関係でいようとか約束してる?」

「え?」

 望が動揺すると、渡瀬がフっと笑った。

「やっぱり、そうなんだ。まあいいけどね」

 望は恥ずかしさのあまり、渡瀬から目を逸らして、アイスカフェラテを一気に吸い込んだ。

 渡瀬が窓の外に目をやり、

「あ、噂をすれば、来た」と言った。

 渡瀬の視線の先に目をやると、駅の前に斉木先生がいた。

「なんで……!」

 思わず、望は立ち上がった。

「休み前に、高宮くんと夏休みに出かけるって話、しておいたから」と渡瀬が言った。

 斉木先生は駅に入って行こうとしていた。

「あ、行っちゃう」

 望は慌ててスマートフォンを手に取ると、斉木先生に電話を掛けた。斉木先生が気付いて、電話を取った。

「高宮、今どこだ?」

「駅前のカフェです」

「え?」

 斉木先生が振り返った。望はガラス越しに、斉木先生に向かって大きく手を振った。斉木先生が気付いて、店に入って来た。

 斉木先生が二人に歩み寄り、

「なんでこんなところにいるんだ?」と尋ねた。

「出掛けるのはやめたんです」と望が答えると、斉木先生は「そっか……」と言って、あからさまにほっとしたような表情を浮かべた。望は不謹慎ながら、そんな斉木先生を愛おしいと思ってしまった。

 斉木先生が渡瀬に「渡瀬は元気か?」と尋ねた。すると渡瀬が「無理に先生ぶらなくていいです」と冷ややかに言ったので、望は驚いた。いつも優等生な渡瀬が先生に対してそんな口をきくとは思ってもみなかった。

「こっちの世界では先生と生徒なんだから、ちゃんと渡瀬の事も自分の生徒として大事にしたいんだ」

 そう言いながら、斉木先生は渡瀬の隣の席に座った。

「高宮くんの方に座ったらいいじゃないですか」

「別にいいじゃないか。ここで」

「今日は、僕が高宮くんと出かけるって言ったから、心配で来ました?」

「ああ」

「夢と同じ事をするかもと思って?」

 望は、リーンハルトにされた事を思い出して思わず赤面し、二人に気付かれないように顔をそむけた。

「そこまで思ってないが、渡瀬と高宮が二人で出掛けるのは正直おもしろくない」

「嫉妬ですか」

「そうだ」

 堂々と言う斉木先生に、望は胸が高鳴るのを抑えられなかった。

 渡瀬が斉木先生に、

「僕は高宮くんを諦めてません」と宣言した。

「そうか……」

「少しでも隙があったら、高宮くんを奪います」

「隙なんか見せるつもりはない」

「そうですね……。先生には隙なんてないですね」

 渡瀬と斉木先生が同時に望を見た。二人とも何か言いたげな顔だ。

「何?」

 渡瀬がため息交じりに斉木先生に言った。

「前よりは分かってきたと思うんですけど、まだまだ隙だらけなんで気を付けた方がいいですよ」

「そうだな」

 二人が妙に共感している様子だったので、望は「なんなんだよ?」と言った。

「でも、そういうところが何か放っておけないっていうか、かわいいんですけどね」

「確かに」

 二人が笑い出した。自分がダシにされているのは明らかだ。

「なんだよ。二人とも俺の事、隙だらけとか、鈍感とか。二人して言う事ないだろ?」

「『鈍感』は、今日はまだ言ってない」と渡瀬が笑った。

「いや、二人ともそれぞれに俺のこと鈍感って言ってるからな」

 望は二人に文句を言ったが、内心は二人が普通に話をしてくれてほっとしていた。自分のせいで二人がいがみ合うような事になるのは嫌だったからだ。

 店を出ると、渡瀬が望に「それじゃ、僕は帰るから」と言った。

「ああ、またな」

 望は渡瀬に手を振った。

 望は斉木先生を振り返り、

「それじゃ、俺も帰ります」と言った。すると、斉木先生が「家まで送る」と言って駐車場に向かって歩き出した。

 歩きながら斉木先生が望に、

「明日はまた図書館で待ち合わせよう」と言った。

「はい。分かりました」

「この夏休みは結構勝負だからな」

「そんなに俺を国立に入れたいですか?」

 望は斉木先生に尋ねた。

「当たり前だ。高宮は俺と離れても平気なのか?」

「それは、嫌ですけど……」

 望の答えを聞いて、斉木先生がほほ笑んだ。

「高宮」

「はい」

「もし、地元の国立に受かったら、一緒に住まないか?」

「はいい?」

 斉木先生の突然の、思いがけない申し出に望は素っ頓狂な声を上げてしまった。

「もしも、の話だ。まだ先の事だし、決めるのは後で構わない。嫌か?」

 望は首を振った。

「嫌じゃないです。寧ろうれしいです」

「そうか」

 斉木先生がほっとしたような、幸せそうな笑みを浮かべた。こんな顔が見られるなら、どんな事でもがんばれるようなそんな気持ちになった。望に初めて「目標」ができた。それはとても幸せな事なのだと、望は心から思った。

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夢幻記 色葉ひたち @h-iroha

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