第15話 掘

【ダリウス・エヴァネの日記】

【被験者番号・Einsアインス 受け入れ前の様子】

                        


 我々はとあるスラム街で無敗のボードゲーマーがいるとの噂を耳にした。何でもそのゲーマー、まだ10歳にも満たない少年だというのだ。大人達に勝負を仕掛け、自分が勝ったら賞金として現金を貰っているらしい。スラム街というと、麻薬中毒者で溢れかえっている街である。そんな物騒な街で、ただお遊びのために一人で何をしているのだろうか。我々が追い求める、『未来有望な落とし子』発掘のため、覆面調査をすることを決定した。



「この街も随分と腐ってしまったな」



 調査に同行している仲間が口元を抑えて咳をする。あちらこちらで薬の匂いがするのだ。低所得層での生活を強いられている者、年金生活者。そりゃあ、麻薬に溺れるのも無理がない。1989年の統一来、仕事を失い、世界規模の経済不況。国の支えとなっていた自動車製造業の大幅な人員削減、あるいは工場の閉鎖・・・・・・聞くと耳が痛くなる話ばかり。4人家族で月収手取400ユーロなんてザラだ。このご時世、誰でも現実逃避したくなる。



「俺らの仕事は、その腐った街で見つけたんだがな。」



 オルブルク国立研究所では、人体実験を行うための被験者を探していた。それも、戸籍のない少年少女を。戸籍があれば後々厄介なのだろう。

 白衣を着た研究員が話していたことを盗み聞きしたのだが、なんでも動物の因子を人間に組み込むらしい。それを汚れない子供を使って実験しようというのだ。この研究所は本当に国が認めて建設した施設なのかと問いたくなるくらいだ。その中で我々は好条件の被験者を探し、研究所へ引き渡すのが仕事であった。かなり手間取る仕事だが、これで金が貰えるのだ。俺の身分で仕事に対する文句は言えない。



「いたぞ。彼だ」



 相棒が指を指す方向に目をやると、そこには青紫色の髪をした少年がバケツを椅子に腰掛けていて、胡座をかいて地べたに座り込んでいる大人と例のボードゲームをしている様子が窺えた。悟られないよう、車道を挟んで反対側の歩道で壁にもたれ、様子を見ることに。どうやら2人はチェスをしているようだった。



「おじさん、もう諦めなよ。」

「まだだ。まだ打開策が・・・・・・!」



 どうやら、無敗という噂は本当らしい。もう既に勝敗は決しているようだ。少年の相手をしている男性は頭をポリポリとかいて、貧乏ゆすりをしている。焦っているのだ。子供に自分が負ける訳がないと。人間は時に、自分より弱い者をいじめたくなる傾向がある。今がそのときなのだろう。しかし、結果はどうだ?男性には大きな劣等感が襲うことだろう。



「・・・・・・こんなに打つ手がないのは初めてだ・・・・・・何か、何かイカサマを使ったに違いない!」

「へぇ。証拠はあるの?」

「卑怯だぞ!」

「証拠がないならイカサマを使っただなんて言わないでよ。それとも何、負け犬の遠吠え?」

「貴様・・・・・・!」



 男性が胸のポケットから隠し持っていたナイフを手にし、襲いかかろうとした。それを見て、我々は一歩踏み出し、少年の元へ駆け出そうとしていた。もし、彼が優秀な人材であるならば、ここで見殺しにするのは我々の昇進に響くだろうと。

 しかし男性の動きはピタリと止まった。まるで、金縛りにあったかのように。これは後から少年が言っていたのだが、少年は上着の内側に隠していた拳銃の銃口を向けたそうだ。少年は勝利条件として多少の賞金を受け取り、男性は素早く走り去っていった。

 我々は顔を見合わせた。覆面調査とは言え、もっとあの少年の情報を仕入れたいと考えた。マニュアル通り、ため、直ちに接触に移る。



「……おや。年嵩の紳士方、やっとこちらにいらしたのですね。」

「どうやら、お前を観察していたことがバレていたようだな。」

「このスラム街で生きていくには、全身の神経を張り巡らせて注意を払わねば……今頃塵となっていますよ。」



 少年はここに来て日が長いのだろうか。もう、ここで生き抜くための術を身に着け、攻略している様子。これは期待できる。



「君、どうしてこんなところで金稼ぎを?」

「馬鹿な大人は麻薬だとかいうものに金を払うでしょう?それじゃあ、金の価値が下がる一方だ。僕の食費のために手元にあるべきだと、僕はそう判断したんだ。」

「あくまでも、ボードゲームを介して金をいただくってか?」

「金をくすねてもいいんだけどね。……ただの時間ヒマ潰しだよ。」



 少年の瞳の色が少し暗くなったのが気になるが、次の質問に移る。



「家族はどうした」

「母が一人。父は物心ついたころこから居なかった。浮気性の母のことだから、捨てられたんだと思ってる。」

「……なるほど。」



 ボードの上にあるクイーンとキングの駒を手のひらで躍らせる少年は笑顔でそう答えた。孤児とまでは行かないかもしれないが、これは逸材だと我々は目くばせを通じてお互いが認めた。




「少年。三食保証付き、勉学にも励める施設に入ることができると言ったら……君はどうする?」



 『ん』と、初めて少年が顔をあげて我々の目を見た。少しキラキラした目をして、『それ、どういうこと。』と即答。食いついた。いい調子だ。



「ただ……少しばかり薬の投与が必要になる。こちらの指示に従ってくれれば殺しはしない。観察させてもらうだけだ。それ以外の空き時間には何をしてもいい。」

「ギブアンドテイクね。なるほど……賢い施設だ。ねぇ、その施設には、本がたくさんあったりするのかな」

「本?……書斎のことを言っているのか?君達の教育のため、そのような設備はあると聞いているが……」

「へぇ!興味が湧いてきたね!本がたくさん読めるなら、死んでもいいよ。」



 少年から、まさか『死んでもいい』という言葉が出てくるとは思わなかった。この年で死ぬことを覚悟できるか?戯言にしては物騒だ。それに、冗談というわけでもなさそうだ。母親が浮気性、と先ほどこの少年は言っていた。ということは、家庭も然程恵まれた環境ではないのだろう。愛の与えられない場所に居場所を作る子供がいるとは考えにくい。



「死んでもらっては困るな。こちらもやることがある。」

「ぜひ、詳しく説明が聞きたいな。」

「であれば、早速だが施設見学と行こうか。」



 マニュアルには、賛成してくれそうな被験者候補には直ちに施設へ向かわせるよう書いてある。しかし、実際ここまで好条件の候補者はおらず、皆『薬』と聞くと痛いものだというイメージがわくのか去ってしまう。はたしてこんなにうまくいっていいのだろうか?心配になってしまうくらいだ。



「少年よ、名前を聞こう。」

「僕の名前はクローネ。名前を聞いてくれたのは、おじさんが初めてだよ。」



 少年は年齢層らしい笑顔を浮かべた。直ちに目の前に広げていたボードゲームの類をバッグに入れ、少年は我々の横に並び、オルブルク国立研究所へと歩みを進めた。


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人間オークション 日日 詠 Yomi Tachigori @hsgwknn1029

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