第30話

「何だと……!?」


 頭上から降って来た建築物を目の前に、流石の大統領も目を丸くした。光の裂け目から『召喚』された俺の家は、そのまま大統領の真上に落っこち彼の障壁バリアーごと押し潰した。目の前で、俺の家がおもちゃみたいに崩壊していった。

「……!」

 それだけではない。光の裂け目から次々と、隣の田中さんの家だったり、公園のブランコだったり、修繕中の校舎だったり、散歩していた爺さんだったり……裂け目はどんどん大きくなり、次から次へと向こうから色々なものが玉座の間に流れ込んで来た。


 向こうの世界を、魔法で丸ごとファンタジアに持って来たのだ。


「……ッ!」

 最後の『ビール』を飲み終え、オリヴィアが膝をついた。

 俺は力を振り絞って立ち上がり、何とか倒れ込む彼女の元に辿り着いた。オリヴィアは息こそあるものの、苦しそうに顔を歪めたまま目を閉じ、もはやこれ以上戦うことは不可能に近い状態だった。

 その間にも、裂け目からは雪崩のように向こうの世界のアレコレが降り注いで来て、玉座の間はあっという間に俗世間のもので埋め尽くされて行った。俺たちは公園のベンチの上に攫われ、『街』の波に流されていった。


 建物ばかりではない。

 友人の吉川に、数日前俺を襲った紫の炎の男に……およそ俺が住んでいた街にいた人間も、何もかも御構い無しにほぼほぼこっちに雪崩れ込んで来ているようだった。買い物の途中だったのだろうか、スーパーのカゴを腕にぶら下げた主婦が、一体何が起こったのかと目を白黒させて惣菜の山に埋もれていた。向こうの世界からやって来た人々は、突然の出来事に事態が全く把握できていないようだった。そして、その中の一人に見知った顔を見つけて、俺は思わず大声を上げた。


「オリヴィアの……親父さん!」

「やあ」


 人混みの中に、俺の親父の姿をした前国王の姿があった。国王は何故か上半身裸のまま、右手に持ったグラスを掲げてこちらに気づき笑みを零した。ガラクタの山をかき分け、国王が俺たちのそばまでのそのそとやって来た。


「芳樹君。久しぶり」

「これは、一体……!?」

 俺は親父の顔と、雪崩れ込んで来た『街』を交互に眺め、呆然と呟いた。玉座の間はとうとう許容限界を迎え、光の裂け目には、入りきれなかった市役所の端っこがつっかえているのが見えた。

「ちょうど、一週間経ったんだよ。それで二つの世界を繋ぐゲートが開いた。娘は、その門を魔法で拡張して、街ごとファンタジアに持って来ようとしたのだろう」

 俺はぽかんと口を開けたままだった。持って来ようとしたのだろう、と言われても、あまりに唐突すぎて話についていけそうもない。俺は寝ているオリヴィアの顔を見た。もしかしたらオリヴィアはさっきの俺の話を聞いて、自分の父親に頼るために、向こうの世界にいる国王を呼び寄せようとしたのかもしれない。


 国王は優しい顔をして、瞳を閉じているオリヴィアの頬をそっと撫でた。

「頑張ったね、オリヴィアちゃん」

「でも、それって……!」

 俺は途方に暮れて、”ゴミ箱をひっくり返した”みたいになった玉座の間を見渡した。

「いいんですか? そんなこと……」

「良いわけないだろう……!」

「!」


 ガラガラと大きな音がして、『街の山』の中から障壁バリアーに包まれた大統領が這い出して来た。その右手には、まだしっかりとアリシアが握られたままだ。家に押し潰されてしまったかと思っていたので、アリシアの無事を確認し俺はホッと胸を撫で下ろした。大統領が障壁バリアーの中で歯を剥き出しにして唸った。


「なんてことをしてくれる……! 神聖なる魔法世界ファンタジアに、こともあろうにこんな異物を持ち込んで……言語道断だ! 極刑にしてくれる!!」

「下がってなさい、芳樹君」

 国王が俺の前に立ち、ゆっくりと缶ビールを喉に流し込んだ。

「何!?」

 その途端、大統領の右手に捕まっていたアリシアがパッと消え、次の瞬間、俺たちのすぐそばに姿を現した。

「貴様……魔法が使えるのか!? 何者だ!?」

「久しぶりだね、カルディナス君」


 瞬間移動した人質に気を取られ、大統領が障壁バリアーの中で呻いた。国王はその隙に一気に間合いを詰め、大統領の目前まで飛ぶように走った。

「三百年前はお世話になった」

「貴様……前国王イーストバーグか!!」

 国王の口ぶりに、大統領が何かに気づいたようにハッとなった。

 慌てて杖を構えたが、すでに国王は次のビールに手をつけており、連撃のような赤い雷が彼の障壁を襲った。その凄まじさと言ったら、先ほど広間でオリヴィアが見せた波状攻撃の比ではなかった。俺は慌ててオリヴィアとアリシアを庇い、その場に平伏した。玉座の間が一瞬にして金色の光に包まれていった。


「亡霊め……! 今更ノコノコ出て来やがって……なぜ私の邪魔をする!?」

 目も眩むばかりの光の向こうで、俺は大統領の呻き声を聞いた。

「私は……私は何も間違っちゃいない!! 私の政策は……王から民へ……民主主義も! 魔法世界の伝統保持もッ! 私はこの世界ファンタジアのために、を……ッ!!」 

「ああ。カルディナス大統領……私も同じ意見だ。。病のうちに毒を盛られたことだって、別に恨んじゃいないよ……政権転覆それだって、まつりごとには付き物だ」

「ならば、なぜッ!?」


 俺は光の中で、二人の男の影に目を凝らした。国王はこちらを振り返り……二人の娘と、それから俺の方をちらりと見てほほ笑んだ……ような気がした。


「ま……次代の波これまつりごとの一つってことかな」

 

 国王がさらに『ビール』を口にした。玉座の間に、大統領の絶叫が響いた。

 それから大統領は、前国王に封印され、巨大な石版となって『街の山』の中に転がった。  


「……ッ!」

 俺は恐る恐る、顔を上げた。玉座の間を包んでいた光が徐々に収まり、辺りはようやく静けさを取り戻し始めていた。俺は前国王の背中と、石版になって封印された大統領を眺め息を詰まらせた。


「父上ッ!?」

「!」

 すると、突然俺の横から甲高い声が上がった。いつの間にか目を覚ましていたオリヴィアが、千鳥足で国王の元へと駆け寄って行く。勢いよく飛び込んで来た娘を、国王がしかと抱きしめた。

「父上……父上ッ!!」

「オリヴィアちゃん」

 オリヴィアは、泣いていた。その顔は、いつも見せていた強気な表情とは違い、涙でぐしゃぐしゃに濡れていた。俺は黙って、二人の親子の再会を眺めていた。黒魔術を習得し、日本という異世界まで旅して来たオリヴィア。それも全て、元を辿れば彼女の父親のためだったのだ。

「父上ぇ……!」

「オリヴィアちゃん、ただいま」

 国王がオリヴィアの頭を優しく撫でた。俺はしばらく、『街の山』の中で泣きじゃくる一人の少女の声に耳を澄ませていた。


 ◼︎◼︎◼︎   


「さて……名残惜しいが、私はもう逝かなくては」

「!」


 抱きついて離れようとしないオリヴィアの肩にそっと手を乗せ、国王は娘の顔を覗き込んだ。オリヴィアが顔を歪ませた。目を覚ましていたアリシアが、隣で悲しそうに顔を伏せた。


「お父様……!」

「そんな……父上……!」

「オリヴィアちゃん、アリシアちゃん……。残念だけど私の寿命は、もう三百年以上前に尽きてるんだ。あるべきところに帰らなくては……それに、この体は彼の父親のものだ」


 国王がそう言うと、抱き合っていた三人は俺の方をちらりと振り返った。オリヴィアたちの潤んだ目に、俺は少し申し訳なくなって視線を逸らした。俺としては『そんな体など別に遠慮しないでぜひ持っていってもらって構わない』という気持ちでいっぱいだったが、どうもそういう訳には行かないらしい。


「さて、と……」

 国王が『魔法のビール』を一口含んだ。すると、ぽん! と大きな音がして、白煙とともに、俺たちの目の前に『青白いぶよぶよとした魂』が突然姿を現した。

「あ!」

 俺は思わず声を上げた。 

 見覚えがある。あの時部屋に現れた、俺と一緒に旅してきた魂だ。あれはずっと、オリヴィアの魂だとばかり思っていたが……なんてことはない。親父の魂はずっとそばにいたのだ。俺は急に肩の力が抜けていくのを感じた。

 

 国王は『召喚』した魂を鷲掴みにし、大口を開けて中に放り込むと、そのまま『ビール』で喉の奥にまで流し込んでしまった。

「!」

 その途端、国王は白目を剥き、苦しそうに唸り声をあげてその場に倒れ込んだ。


「父上!」

「お父様!」

 オリヴィアたちが慌てて国王に駆け寄った。すると、どうしたことだろう。不思議なことに、倒れた国王の背中から、じんわりと青白い人の影のようなものが……恐らくそれが、本来の国王の姿なのだろう……煙のように立ち上ってきた。まるで幽体離脱をしている人間を見ているかのようだ。二人の娘は呆然として、現れた自分の父親の魂を見上げた。


 俺は国王……親父の背中から出てきた国王の魂を固唾を飲んで見守った。国王の魂は、俺や親父の魂のようにぶよぶよとした丸っこい形状ではなく、きちんとした人型だった。冠を被り、服まで来ている。きっと俺たち庶民とは、魂のステージが違うのだろう。半透明の幽霊と言われても見分けがつかない。国王の魂は、呆然とする二人の娘の前に立って、ニッコリとほほ笑んだ。


『さようなら。オリヴィアちゃん、アリシアちゃん』

「父上!」

「お父様!」

『二人とも、ファンタジアを頼んだよ』

「!」

「……はい!」


 国王の魂が、涙を流す二人の頭に手を伸ばした。だが国王の半透明の手は蜃気楼のように揺らめき、目の前にいる娘に触れることは、もうなかった。それから国王の魂は風とともに流され、煙のようにゆっくりと光の中に立ち上っていき……まるで最初からそこにいなかったみたいに……嘘のように姿を消してしまった。後には静寂と、三人の家族を見守っていた街の人たちが残された。


「お父様……!」

「父上……必ずや」


 オリヴィアはもう、泣いてはいなかった。彼女は涙を拭く妹の肩を抱き、父親が立ち上って行った光の中に目を凝らした。


「必ずや、ワシが……ワシらが、ファンタジアを復興させてみせます!」

「う、ウゥン……!」


 オリヴィアが高らかにそう宣言するその足元で、俺の親父の体が呻き声を上げ微かに蠢いた。


「おい! 親父!」

「芳樹……芳樹か? ここは……?」

 俺は急いで親父の元に駆け寄った。親父は起き上がると、玉座の間に広がる『街の山』を呆然と見渡し、それから両手で自分の顔をペタペタと触り始めた。


「戻った……? 戻ったのか? やった、俺の体に戻った……ウワハハハハーッ! やったッ! 戻ったぞッ!」

「親父!」

 親父は自分の体に戻れた喜びを爆発させた。道路標識の上をピョンピョンと飛び跳ねる親父を、俺は半ば呆れる目で見つめた。

「ファンタジアに『転生』してたんじゃなかったのかよ!」

「ああ。確かに俺は『転生』するつもりで、一度は体を離れたんだが……」

 親父が『山』を掻き分け、俺の元に戻ってきて頷いた。


「……だが、どうにも生きてる人間の中に入り込むってのは、それなりパワーが必要でな。俺も魂になって誰かに入り込もうと思ったけど、意外とみんな強くてなァ。普通に跳ね返されちまって……」

「それで、逃げた先からも逃げ帰ってきたのか……」

 親父が真顔で頷いた。俺はがっくりと肩を落とした。

「芳樹!」

「!」


 俺が声のする方を見上げると、もうすっかり酔いは醒めたのか、オリヴィアが晴れやかな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。

「礼を言う。お主のおかげも多少はあり、カルディナスからイスを取り戻すことができた」

「オリヴィア……」

 オリヴィアが玉座の間を見渡した。


「呼び寄せた『街』は、ワシが責任を持って元に戻そう。開いてしまった穴は、少々時間がかかるかもしれんが……そのうち塞ぐじゃろう」

「…………」

「ここでお別れじゃ……芳樹」

「…………」

 オリヴィアが少し寂しそうに目を伏せた。俺も黙って足元を見つめた。


「……お主が再びファンタジアに迎えに来るまでに、ワシもまた、この国をより素晴らしいものにすると誓おう」

「……ん?」

「何じゃその不思議そうな顔は。ワシを連れて帰ると、二度も約束してくれたではないか」

「は?」

「ファンタジアでは、男女ともに満十六歳から結婚が可能じゃ。お主の世界では」

「ちょ、ちょっと待て……!」

「男らしくないぞ、芳樹」

 親父が横から茶々を入れた。俺は親父をぶん殴った。


「待てよ! あ、あれは俺が、オリヴィアの体に親父の魂が入ってるって、勘違いしてて……!」

「く……くくく……ッ!」

「!?」

 慌てふためく俺の前で、オリヴィアがとうとう腹を抱えて笑い出した。途端に、横で聞いていたアリシアも、親父も笑い出した。笑い声に包まれ、今度は俺が顔を真っ赤にする番だった。


「……いつでも待っておるからな、芳樹」

「あ……ああ」


 

 オリヴィアが笑みを浮かべ、右手をそっと差し出した。俺はしばらくオリヴィアと見つめ合い、それからそっとその手を握り返した。


□□□


「やっほーヨッシー。もう帰るの?」

「吉川」


 放課後。

 俺が下駄箱から靴を取り出していると、廊下から吉川がこちらに駆け寄って来るのが見えた。


「早いね」

「別に、普通だろ。帰って受験勉強しなきゃいけないし……」

「真面目だねぇ。担任の近藤が、放課後受験生のために『魔法経済学』の課外授業してくれるって」

「パス。一人でやりたいし」

 俺は取り出した靴を足元にぽいっと投げ出した。かかとを踏んだまま歩き出し、ふと視線を感じ振り返ると、吉川が爽やかな笑みを浮かべ俺を見つめていた。

「……相変わらずだね」

「そうでもねぇよ」


 俺は旧友にニヤリと笑ってみせ、ポケットから『魔法の杖』を取り出した。俺は杖を一振りし、下駄箱から煙のように姿を消し、そのまま自宅に瞬間移動してみせた。


 

 オリヴィアがこの街に大穴を開けてから、街は、いや世界はものすごいスピードで様変わりして行った。オリヴィアの魔法で、街は一応元通りになったのだが、大きく裂けた異世界への穴は簡単には閉じず、ほぼ一年くらい開きっぱなしだった。土地を失った俺たちの街は一年くらい穴の上にふわふわ浮かぶ『浮遊都市』になり、その間、大きく開いた異世界の門からは、政府の厳しい監視をかいくぐり、実に様々なものがこの世界に持ち込まれた。

 

 この日常に、異世界ファンタジアから魔法のあれこれが雪崩れ込んで来たのである。


 今までは政府が躍起になって独占しようとしていた魔法や異世界の知識は、今や世界中どこにでもありふれたものに変わった。おかげで俺は井納や他の組織の連中に追われることもなくなった。

 何てったって俺以外の人間も……子供から老人までみんな……魔法を当たり前のものとして使うようになったのだから、俺なんかわざわざ追う必要もなくなったのだ。いつぞやの組織の連中の言葉を借りれば、誰しもが『百円ライター感覚』で魔法が使えるようになったのである。

 こうなるともう、魔法は魔法ではなくなる。異世界への行き来や交流も、前ほど厳しいものではなくなった。学校では数学や物理と一緒に、魔法も教えるようになった。人々は箒に乗って空を飛び、杖を振って毎日を過ごしている。そのせいで連中は余計な厄介事が増えただろうが、俺の知ったことではない。


「芳樹、ご飯よォ!」

「はァい」


 『瞬間移動』で家に辿り着き、カバンをベッドの上に放り投げると、下の階から母さんの声が飛んで来た。勉強する気なんてさらさらなかったので、さっさと着替えてリビングに降りていくと、母さんと妹の小鳥の他に、親父がすでに食卓についていた。今夜のおかずは、鯖の煮付けだった。


「……芳樹」


 俺が鯖の煮付けを食べていると、それまで押し黙っていた親父が不意に俺に声をかけて来た。親父はこっちの世界に戻ってから、別の仕事を始めた。そんな親父が、改まって真面目な顔をして俺を見つめた。


「それで、どうするんだ? お前の進路の件」

「…………」

 俺はピタリと動きを止め、箸を置いた。


 そう、あれから二年が経ち、俺は今受験生になっていた。

 受験勉強を、するフリをしているが、実際はほとんどやってない。


 このままでは受かる大学もほとんどなかった。就職するにしても、そろそろ本腰を入れなければならない時期に来ていた。親父がビールを飲みながら唸り声を上げた。


「そろそろ、三者面談もあるだろう。お前はどうしたいんだ?」

「その……俺」

 気がつくと、いつの間にか家族全員動きを止め、俺の言葉に耳を澄ませていた。俺は少し緊張気味に、目の前に置かれた鯖の煮付けをじっと見つめた。

「俺……」

「うん?」


 俺は顔を上げ親父を見た。そして、ずっと心に考えていたことを思い切って口にした。

「俺、その……異世界ファンタジアに転生しようかな、って」



《終わり》

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父さんな……異世界転生で食って行こうと思うんだ てこ/ひかり @light317

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