第29話

「ムグ……!」

「おい、やめろよ。こんなトコで吐くんじゃねぇぞ」

「ハァ、ハァ……分かっておる。うぐ……!」

「おいおい……!」


 道中、前に乗るオリヴィアが苦しそうに口元を手で押さえた。俺は心配になってオリヴィアの背中をさすった。広場で散々吐いた後だったが、やはりそのまま上空を高速飛行するのは無謀だったようだ。

 港町を飛び去ったキマイラは、森を抜け湖を抜け砂漠を飛び越して、やがて山岳地帯へと突っ込んで行った。しばらくすると、大統領が逃げ込んだ城が姿を現した。


「おお……!」

 視界が開け、俺は思わず声を上ずらせた。

 件の城は、四方を山々に囲まれた場所にあった。雲を突き抜けんばかりにそびえる山には、氷だったり、炎だったり、およそ日本では考えられないような素材で出来た木々がびっしりと生えていた。陽の光と合わさってキラキラと七色に輝く山々は、まるで万華鏡でも覗いているかのような色合いだ。葉っぱの代わりにの生えた木に見とれて、俺は危うくキマイラから落っこちそうになった。


「ウオオオ……!」

「しっかり捕まっておれ!」

 そびえ立つ山々に負けないくらい巨大な城に近づくと、キマイラが上空から急降下を始めた。風の圧を受け、俺は必死にオリヴィアの小さな体にしがみついた。遠目には、俺がこの間まで閉じ込められていた塔が見える。城の最上階付近に向かって、キマイラが勢いを切らすことなく突進して行った。

 ガシャアアン!!

 ……と大きな音がして、キマイラが体当たりでステンドグラスを突き破った。何だか『偉大そうな人物』が描かれていた鮮やかなステンドグラスが、猛る獣の体重をもろに受け粉々に砕かれる。キマイラはそのまま翼を広げ、赤い絨毯が敷かれた大広間にふわりと着地した。


 俺たちはゆっくりとキマイラを降り、それから暗がりの大広間を恐る恐る見渡した。

 今日の公開処刑で兵士たちは皆出払っているのか、近くに人影はない。中の見た目は、美術の資料本に載っているような、歴史ある教会や大聖堂のような内装だった。壁には均等に燭台が置かれているが、蝋燭に火は灯されていなかった。左側には階段が、そして右を見ると一戸建ての家くらいはありそうな大きな赤い扉が見えた。

 薄暗がりの中に目を凝らしていると、突然、扉の影からにゅっと何者かが現れた。


「貴様ら待て! ここは通さん!!」

「あいつは……!?」

「ム……下がっておれ、芳樹」


 オリヴィアが俺を後ろ手で静止し、広場から持って来たアルミ缶を顔の前に構えた。巨大な扉の前に現れたのは、ケバケバしいローブを身にまとった老人だった。年齢も分からないほどヨボヨボになった爺さんが、門番のように立っている。袖の先から見え隠れする、骨と皮だけになった爺さんの右手には、自分の背丈よりも高い杖が握られていた。


「あの奥が玉座の間じゃ」

「……!」


 オリヴィアがじりじりと間合いを詰めながら、爺さんと睨み合った。玉座の間……あの扉の向こうに、大統領がいるに違いない。ただしそこに辿り着くには、目の前の爺さんをどうにかしなくてはいけないようだった。爺さんは入れ歯を剥き出しにし、俺たちを威嚇するように低く唸り声を上げた。


「どうすんだよ親父……」

「親父ではない。何度言ったら分かるんじゃ。ワシは……」

「飲めて後一回が限度なんだろ? 『魔法のビール』」


 俺はオリヴィアの背中に隠れ囁いた。小さく頷いたオリヴィアの首筋には、玉のような汗が浮かんでいる。互いが互いの武器を出し合い、張り詰めた空気が赤い絨毯の間に漂う。俺は魔法なんて使えないから、ここはもう親父の『ビール』に頼るしかない。だが、あと一発が限度だと言うのなら、こんなところで使ってしまっては肝心の大統領を倒せない。俺はすがるような気持ちで『魔法の本』をぎゅっと握りしめた。残念ながら、いざという時のためにもらった『魔法の本』の中身胃腸薬は、すでに空っぽだった。


「クソッ……こんな時に、オリヴィアの親父さんがいてくれたら……!」

「何じゃと?」

 俺の言葉に、オリヴィアが驚いたように振り返った。

「あ、会ったのか? 父上と?」

「ん……ああ、日本でな。俺の親父の体に転生してたんだよ。この『本』は前国王にもらったんだ。それで……」

「そ、そうか……。父上が、あの異世界に……」

 俺の言葉に、オリヴィアは今にも泣き出しそうな……あるいは笑い出しそうな……なんとも言えない複雑な表情を作った。


「何をよそ見しておる!!」

「!」

 その途端、爺さんの怒声が聞こえ、気がつくと目の前に巨大な氷の礫が迫って来ていた。

 俺はどうすることもできず、その場に立ち尽くし体を強張らせた。いざという時は咄嗟に動くなんて不可能に近い。オリヴィアが急いで振り返ったが、もう遅い。鋭く先端の尖る氷石に押しつぶされそうになり、俺は思わず死を悟った。すると、俺たちの脇にいたキマイラが大きく吠え、その巨躯で飛んでくる氷石に突進して行った。


「うおおおッ!?」

 ズズン! と地割れのような音が広間に響き渡る。俺が恐る恐る目を開けると、魔法の氷はキマイラの突撃によって僅かに狙いを逸らしていた。氷は俺たちに直撃することなく、大きな音を立てて後ろの壁にぶつかり、赤い絨毯の上に破片になって散らばっていた。

「ムゥ……!」


 キラキラと、雪の結晶のように宙を舞う氷の破片の向こうで、爺さんが再び杖をこちらに構えるのが見えた。キマイラは四本の足で絨毯の上に着地すると、そのまま翼を広げ、今度は爺さんの元へと一直線に突っ込んで行った。爺さんは杖の先からもう一度氷を飛ばして来たが、キマイラの翼に弾かれ、カエルのような悲鳴を上げて勢い余った魔法生物の体当たりに押しつぶされた。


「キマイラ!」

「今のうちだ……行こう、親父!!」

 俺はオリヴィアの手を取った。だがオリヴィアは動かなかった。いや、動けなかったのだ。まだ酔いが残っているのか、オリヴィアは手を引いてもまともに走り出せず、終いにはその場に膝から崩れ落ちてしまった。

「うぇっぷ……!」

「あーもう!!」

 俺は顔面蒼白になったオリヴィアを背中に担ぎ、急いで扉に向けて走り出した。バラバラになった氷石の向こうで、キマイラと格闘している爺さんの悲鳴が上がった。キマイラの横をすり抜け、俺は巨大な扉に手をかけた。


 赤い扉に触れると、ギギギ……と軋んだ音を立て、扉がゆっくりと開いて行った。観音開きの先には、絨毯を敷かれた階段があり、階段の奥にはもう一つ蒼い扉があるのが見えた。俺はオリヴィアが落ちないようにしっかりと担ぎ直し、急いで階段を登り始めた。


「待てィ!!」

「うおッ……!」

 キマイラにのしかかられた老人が、後ろから苦し紛れにこちらに氷の礫を飛ばして来た。氷石は俺たちの横をかすめ、壁にぶち当たると粉々に砕けた。

「ハァ……ハァ……!」

 後ろから何発も飛んでくる氷石にぶつからないようにジグザグに階段を駆け上りながら、俺は急いで一番先にある蒼い扉を目指した。途中、天井からシャンデリアが落ちて来て危うくぺしゃんこになりそうになった。命からがら、何とか階段の一番上まで辿り着き、俺は倒れこむようにして蒼い扉の向こう側に飛び込んだ。


「ハァ、ハァ……ハァ……ッ!」

 もう、体力の限界だった。息を切らし、おんぶしていたオリヴィアをその場に下ろす。蒼い扉の向こうには、先ほどの大広間と変わらないくらい、広大な空間が広がっていた。床に倒れこんだ俺の視界に、壁際に飾られた絵画や甲冑が飛び込んで来た。何となく見覚えがある。俺が夢で見た、あの舞踏会の場所に間違いなかった。


「来たか……王女……!!」

 すると、どこからともなく聞き慣れた低い声が俺の耳に飛び込んで来た。俺が倒れ込む横で、いつの間にかオリヴィアが立ち上がり、険しい顔をして中央を見上げていた。俺は彼女の視線の先を追った。


「カルディナス……!!」

 オリヴィアが歯ぎしりしながら声を絞り出した。中央に位置する、一際高いところにある玉座。そこに、先ほど港町で逃した大統領が腰かけていた。大統領の周りには、公開処刑の時に見せたのと同じような障壁バリアーのようなものが張られており、彼の右手には……。

「お姉様!!」

「アリシア!!」

 ……オリヴィアにそっくりな、彼女の妹が捕らえられていた。オリヴィアがいなくなった朝、アリシアは一体どこに行ったのだろうと思っていたが、俺と同じように城の中に捕まっていたのだろう。大統領は魔法の障壁バリアーの中でニヤリと唇を突き上げると、拘束していたアリシアの体に短剣を向けた。


「動くな! 動いたら、お前の妹の命はないぞ!!」

「貴様……!!」


 顔面蒼白だったオリヴィアの顔が、みるみるうちに憤怒に塗られた。オリヴィアが今こそ魔法を放たんと、握りしめていたアルミ缶を掲げた。俺は大統領の周りを守る障壁バリアーと、その中に囚われたアリシアを見上げて掠れた声を絞り出した。港町で、オリヴィアの波状攻撃を弾き続けたあの障壁バリアーだ。

「どうすんだよオイ……! あのカミナリ、一発しか使えないんだろ!?」

「こうする!!」

 オリヴィアが叫び、アルミ缶の中に残っていたアルコールを一気に飲み干した。


 その途端。

「!」

 ズ、ズン!!

 ……と大きな音がして、天井を、眩いばかりの青白い光が包み込んだ。

「こ……これは……!?」

 てっきり雷撃が飛んでくるものばかりだと思っていたのだろう。大統領が、何が起こったのかと天井に目を凝らす中、俺は確かに見た。


 天井に広がった青い光の裂け目から、見覚えのある四角い建物が降ってくるのを。

 俺は目を擦った。見間違いではない。


 大統領の頭上に落ちて来たのは、俺の家だった。

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