a secret

甘深蒼

第1話

 机の上にマグカップを置く。カップからは湯気が立ち上り、少しして僕の部屋はコーヒーの香りに包まれていった。その香りに意識を浸しながら、パソコンの電源を入れた。

 カップの中が半分になる頃にはデスクトップが表示されて、いつでも使用できる状態に立ち上がっていた。僕は鼻歌を歌ってしまうような心地でマウスを操り、インターネットへと繋ぐ。お気に入りの一番上『a secret』をクリックした。大きな扉のような画面が表示され、下にあるログイン欄にIDとパスワードを入力してログインした。

 『a secret』とは巷で賑わっている、所謂チャットのサイトであると説明すれば、大体の意味は通じるはずだ。『a secret』の中は大部屋と小部屋と個室があり、大部屋は大勢の人と一気に話せる場。小部屋は最大五人でチャットが出来る場。個室はいわば“マイページ”のことで、自分と合わせて二人でチャットが出来る場なのである。大体の流れとしては大部屋で意気投合した人たちが小部屋や個室で個別に語り合うと言うのが流れであり、セキュリティの高さとスポンサー会社の知名度の高さ、お手軽なところや友達以上恋愛未満の関係を秘密(secret)で楽しめるところから主に十代~二十代中半の若者に人気のサイトなのである。

 僕こと結城透もそのはまってしまっている人間の一つであり、最近では人間同士の会話よりもこのサイトのチャットのほうがコミュニティ的に成立しているのではないかと思うくらいである。そして段々と『a secret(以下シークレット)』内の友達も出来始めた。特に〈フォーチュンスター〉さんとは悩みを相談しあうほど仲良しで、専らシークレットで話す人と言えばフォーチュンスターさんであると言っても過言でないはずである。

 今日も僕がログインしてからしばらくすると、僕の個室に入室要請が来た。もちろん送り主はフォーチュンスターさんである。僕はパソコンの前で思わず微笑みながらルンルンと承諾をクリック。

 すると可愛げな星を象ったアバターが僕の個室に入ってきた。そしてチャット欄には「こんばんは」と打ち込まれている。

『こんばんは、クリアさん』

『こんばんは、フォーチュンスターさん』

 口に出しながらタイプしていく。ちなみに“クリア”と言うのは僕のシークレット内でのニックネームである。何に由来しているのかと聞かれれば、自分の名前が透であることから連想して、透き通る、クリアとなったわけである。捻りはあまりないが、まぁ良しとしてくれ。

『今日は何かいいことあった?』

 早速フォーチュンスターさんからである。

 今日は何かいいことがあっただろうか、考えをめぐらして、そして首を振った。

『ないなぁ、今日も普通に高校行って、帰ってきたくらいだし』

『私も、そうかな』

 しばしのタイムラグがあった。そして、

『今日はそちらの天気は晴れかしら?』

 僕は窓から空を見上げてみて、うんと頷く。今日は降水確率ゼロパーセントで秋らしい空模様だと朝のニュースで言っていたし、今見上げてみた空でも一点の曇りも無い空だ。少し肌寒い現在は空気も澄んでいて透明な空を楽しむことが出来た。

『晴れてるよ。うん、晴れてる。フォーチュンスターさんは今日も月が綺麗に見えてるの?』

『見えてるわ、今日は下弦の月ね、クレーターを見たいなら、こういう月の方がいいのよ』

 それで、と。

『クリアさんは、月は好き?』

 その質問を見て、僕は思わず笑ってしまった。相手には見えないかもしれない、でも、少し恥ずかしくて頭をポリポリと掻いた。

『その質問、初めて話したときにも聞かれたなぁ』

『そうだったかしら?』

『そうだよ』

『でも……』

 そう書かれてからしばらく時間が経ち、そして続きが書き込まれる。

『でもあの時は、よく分かんないやって言われた気がしたけど?』

『違いない』

 そのときのことを思い返せば、正直、当初はそんなことをいきなり聞かれて変な奴と思っていた気がした。それで答えを曖昧に返していたのだ。確かにアレではちゃんと質問に答えたことにはならないだろうと思う。だから今度はちゃんと書く事にした。

『じゃぁ、今度はちゃんと書く。正直月はそこまで好きじゃない。だって、星が見えにくくなるだろう』

『天体観察が好きなのね』

『うん、今ならまだ夏の大三角形が見えるよ、でもこれからは秋の大四辺形が見えるくらいの季節になった』

 そう、もうそんな季節だ。僕は一旦ディスプレイから目を離して部屋の電気を落とす。窓から空を見上げてみて、まだ時間が早いから星はそんなに見えないことを思い出した。

 新しい書き込みが来た。

『そう、確かにね。でも月の入りに見ればいいんじゃないかしら?』

 月の入り、確かにそうだ。月の入りに見れば早い時間に見るよりかはよく見える。よく見えるが、そこに最大の問題点が潜んでいるのだ。

『でも、夜も遅いじゃないか、眠気に負けちゃうよ』

『天体観測に夜更かしなんて当たり前じゃない』

 僕の返事になぜだかフォーチュンスターさんがディスプレイの向こう側で笑っているような気がした。

『でも新月なら、夜更かしの心配も無い。そうだろ?』

『違いないわ』

 僕はハハッと笑った。

『今日の月の入りは夜の十二時ちょうど。僕の住んでいる町だと、丘の緑公園が比較的綺麗に星が見えるよ』

 今日の月の情報などを調べながら書き込んでいくと、フォーチュンスターさんから驚きの返事が来た。

『驚いた、今更だけど、同じ町に住んでるのね、私たち』

『そうなの? もしかして天見市?』

『そうよ』

 思わず飲んでいたコーヒーを噴きそうになりながらその表情は喜びに満ちていた。

『じゃあ、何処かで会うかも知れないね、いや、もう会っているのかも』

『かもね……、じゃあそろそろ私は寝るわ、それじゃあ』

『うん。お休み』

 画面には“退室しました”のログが表示されて、僕もウィンドウを閉じる。電源を落として時計を見ると、果たして丁度いいくらいの時間になっていた。いつの間にか時計の針は十一時半を過ぎていたのだ。

 そのまま時計を見てふと考えをめぐらせる。このまま寝るのもいいかもしれないが、どうせこの時間である。いつもなら寝ている時間に起きているという偶然。ということはやることは一つしかいない。

 ――それじゃあ、天体観測にでも行きますか。

 僕は自転車に跨ると、町のネオンから遠ざかり公園へと向かったのだった。

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