むっつりオオカミと七人目の子ヤギ

五十鈴スミレ

むっつりオオカミと七人目の子ヤギ

  ○●○●○●○



小柳こやぎ菜々ななさん」


 六月にしては涼しい夕暮れ時。低い低い声が、私を呼んだ。

 聞き覚えのない声だなぁと思いながら振り返ると、がしっと、黒くて大きな手が私の手をつかんだ。

 びっくりしながらも、私は後ろにいたその人を見上げる。

 おおきなおおきな、肉食獣みたいなおとこのひとが、私をじっと見下ろしていた。


「付き合ってください」


 元から大きな目を、私はさらに大きく見開いた。

 告白なんて生まれて初めての経験だ。

 しかも、周りに普通に人のいる、下校時刻の校門なんていう、公開処刑みたいな場所で。


「うん、いいよ」


 それでも、私はあんまり迷うことなく、のほほんと承諾した。

 罰ゲームかなぁ、なんて考えが頭のすみっこに浮かんではいた。でも、なんとなく違うだろうなぁ、っていう予感もあった。

 私の直感がどれだけ頼りになるのかはわからないけど。

 なんか、いっかなぁ、って思ったのだ。


 そうして私は、一つ年下の大上おおがみ いずみくんと、お付き合いとやらをすることになった。



  ○●○●○●○



 晩ご飯のあとのまったりタイムでそのことを兄姉に報告したら、阿鼻叫喚だった。

 ……約一名のみ。


「菜々の裏切り者ーッ! 大きくなったらお兄ちゃんと結婚するーって言ってたのに!!」

みつにぃじゃなくて、二葉ふたばにぃにだったけどね」


 小柳家の次男、満。今年で二十二だっていうのに、いつもテンションが吹っ切れてるシスコン。

 次女も三女も性格的にかわいがるのには向いてないとかで、彼の重たくてノリの軽い愛は私に集中することが多い。二人にうっとうしがられた結果とも言う。

 満にぃも好きだけど、私が結婚するって言ってたのは長男の二葉にぃだ。

 都合よく思い出を改変されているようだから、そこだけ突っ込んでおいた。


「男はみんな狼だっていつも言ってるだろ! 特に高校生なんていっちばんヤりたい盛りなんだからな!」

「オオカミじゃないよ、オオガミくんだよ」

「オレはダジャレが聞きたいんじゃないっ!!」


 満にぃは盛大に嘆いて、テーブルに突っ伏してしまった。

 相変わらずテンション高いなぁ、なんて私はのんびり思った。


「なっちゃんがいいならそれでいいんじゃないかなー」


 そうニコニコ笑顔で言ったのは、私の年子の姉、三女の睦美むつみねぇだ。

 いつも笑顔で、怒ったところを見たことがない。

 本人いわく、怒るのは時間と労力の無駄、らしい。


「賛成してくれるの?」

「お付き合いは本人たちの意志で決めるものだもの。家族だからって口を出していいことじゃないわ」


 なんて、チクリと満にぃに釘を刺しておくのを忘れない。さすがはデキル女を目指してる睦美ねぇ。

 彼女は我がひなた高校のマドンナと名高い。

 サラサラつやつやの黒髪に、パッチリ二重に星を閉じ込めたようなキラキラの瞳。かわいくて優しくて、頭までいいんだから、モテないはずがない。

 そのおかげで私は、あのマドンナの妹、なんてよく言われるけど、自慢のお姉ちゃんだから別に不満は持ってない。

 すぐに爆発する癖っ毛を二つに結んだ私は、身長のせいもあって中学生に間違えられるくらいだし。睦美ねぇのほうに視線が集まるのは当然のことだ。


「困ったことがあったら言ってね、なんでもしてあげるから」


 ふふっと笑いながらそんなふうに言ってくれる姉を、嫌いになれるわけがない。

 睦美ねぇ、優しいなぁ。


「なんでもって?」

「貢がせるためのよいしょ術とか、円満な別れ方とか、ストーカー撃退法とか」

「すごい用途が限られてるね」


 ちょっとだけ、前言撤回したくなった。

 睦美ねぇ、こわい。


「でもさ、今までお前からそっち系の話聞いたことなかったんだけど、いきなりだな」


 怪訝そうな顔をしているのは三男の健吾けんごにぃ。大学でも陸上を続けているから、色白家族の中で一人だけ真っ黒な肌をしている。

 そういえば、大上くんも同じくらい色黒だったなぁ。


「今日、告白されたから」

「菜々はそいつのこと好きなのか?」

「うーん……」


 正直、名前だって今日知ったくらいには、好きどころか記憶になかった人だ。

 学年も部活動も委員会も違う。接点がまるでない。もしかしたら初対面かもしれなかった。


「好きじゃないのに付き合うなんて、ちょっとな……」

「ごーくんは健全片思い青少年だもんねー。かわいいかわいい」

「なっ!? からかうな睦美!」


 いつものようにじゃれ合う二人を眺めながら、そっかぁ、と思った。

 普通は、好きになってからお付き合いするものだよね。

 私だって、いつか誰かと彼氏彼女の関係になるなら、そうやって順序を守るのが当然だと思ってた。


 でも。

 いっかなぁ、って思っちゃったのだ。


 だって、手が震えていたから。

 私の手をつかんだ、真っ黒な手から、緊張が伝わってきて。この人は平気って、教えてくれたから。

 私の直感が、彼を選んだ。

 大上くんなら間違いはないって、そう私の心が告げた。


「悪い人じゃないと思うから、だいじょうぶだよ」


 今はまだ、そう言うことしかできないけど。


「なんかあったら相談しろよー」

「みっくんは騒ぐだけだろうから私にね」

「……まあ、俺も話くらいは聞くさ」

「ありがとう!」


 みんなの優しさに、私は自然と笑顔になった。

 長女は結婚していて、長男と次女は働いていて家を出てるけど、仲良し七人兄弟だ。末っ子の私は、みんなのおかげでのほほんと楽観的に育った。

 共働きで忙しい両親の代わりに、兄姉はいつも一緒にいてくれた。私は兄姉が好きだし、直感でものを考える自分の性格も、嫌いじゃない。


 優しい兄と姉に見守られている私は、しあわせ者だ。



  ○●○●○●○



 次の日、広報部の活動が終わって帰ろうとしたら、昇降口で大上くんが待っていた。

 今日は部活がなかったのかなぁ、と思って、待っていなくてよかったのにと言ったら、ちょうど終わったところだということだった。

 てっきり運動部だと思っていた大上くんは、なんと文化部、しかも文芸部だったらしい。

 似合わないと素直に言うと、自覚しているらしく小さくうなずかれた。


 一緒に帰りましょう、というお誘いにもまた一悶着起きた。

 私の家は学校から徒歩十分くらいだけど、電車通学の大上くんは、私の家に寄っていたら遠回りなのだ。

 でも、大上くんはけっこう頑固で、希望を取り下げることはなかった。

 一緒に帰るって、いかにも彼氏彼女がすることだし、私も強くは断れなかった。

 いいのかなぁ、と思いながら隣を歩く大上くんを見上げる。私の家は学校を挟んで駅とほぼ反対側なのに。

 しかも、たいして重くない荷物まで持ってもらってしまった。

 片手で自分の鞄と私の鞄を一緒に持って、もう片方の手で……私と手をつないでいる。これに関しては、もう抵抗する気も起きなかった。


 ちょうど百五十センチしかない私より頭一個分以上大きい大上くんの手は、もちろん大人と遜色ないくらいに大きい。

 手のひらで私の頭をボールみたいにつかめそうだし、指なんて倍の太さに見えるくらい。

 手をつないでいる、と言うよりも、握られている、って言ったほうが正しい気がする。

 大上くんは、彼氏彼女らしいことをするのが好きなのかもしれない。

 一緒に帰ったり、手をつないだり。

 その割に、さっきからなんにもしゃべらないけど。


 黙々と足を動かしていたら、もう家まですぐそこというとこまで来ていた。

 距離で高校を選んだんだから当然だ。

 小学校よりも中学校よりも近いんだよね、毎日ぎりぎりまで寝ていられるからうれしい距離だ。


「大上くん、ここまででいいよ」


 私は足を止めて、彼を見上げて言った。満にぃとバッタリ会ったら面倒なことになりそうだったから。

 大上くんは無言でじーっと私を見下ろす。穴が空きそうなくらい。

 な、何かしたかな私、って焦りだしたころになってようやく、「先輩」と彼の口が動いた。


「……一緒に、行きませんか」

「どこに?」

「学校に」

「あ、登校?」

「はい」

「明日?」

「明日から」

「毎日?」

「できれば」

「うん、いいよ」


 私が承諾すると、大上くんの表情がほんのちょっとだけ動いた。ほっとしたみたいに。


「じゃあ、明日、ここで」


 大上くんは名残惜しそうにゆっくりと手を離す。

 駅に向かう背中をなんとなく見送ってしまった。

 ここ、住宅地のど真ん中で、特に目印になりそうなものもないけど、大丈夫かなぁ。


 という心配は必要なかったみたいで、翌日の朝、私がいつもどおりの時間に家を出ると、昨日別れた場所で大上くんは静かに佇んでいた。

 まるで、『待て』状態のワンコロみたいに。

 おっきくて目つきが怖くて、見た目は犬というよりオオカミみたいなのにね。


 それからは毎日一緒に登校して、部活が終わる時間が合えば帰りも一緒に帰った。

 いつも家の手前の道で別れて、また明日。

 そうしている間に、いくつか気づいたことがある。

 大上くんは本当に無口で、基本的に言葉が足りない。会話がちょっと大変だけど……このテンポ、二葉にぃを思い出す。

 マイペースな二葉にぃは自分の中で自己完結しちゃって、外に出てくる言葉が少ない。でも私はそんな二葉にぃによく懐いていたし、今でも好きだ。そういえば初恋は二葉にぃだった。

 だから私は、大上くんとお話するのが苦にはならないし、けっこう楽しい。


 それから、大上くんはどうやら手をつなぐのが好きらしい。

 行きも帰りも、いっつも私の手を取る。そうするのが当たり前みたいに。

 手をつなぐ以外は触れてこようとしないから、スキンシップが過剰なわけでもない。

 嫌じゃないからそのままにしてるけど、梅雨が明けて暑くなってきたから、手に汗かいてないかな、ってちょっと心配。


 それと、もう一つ。

 大上くんはやさしい人なんだって、私は気づいた。



  ○●○●○●○



 金曜日、家に帰るとめずらしくしずねぇがいた。

 静ねぇは満にぃの双子の妹で、社会人二年生。今はここから電車で一時間かかる都会で気ままな一人暮らし中だ。

 黄金週間にも帰ってこなかったのにどうしたの? って聞いたら、「満に泣きつかれた」らしい。


「彼氏できたんだって?」

「うん」

「どんな人?」


 その質問に、私はちょっとだけどう答えるか悩んだ。

 まだ、お付き合いを始めて二週間くらいしか経ってない。大上くんのことを理解しているとは言いがたい。

 でも、二週間ちょっとでも。

 見えてきたことも、ある。


「おっきくて、ほとんどしゃべんなくて、でも、やさしいよ」


 大上くんから話し出すことはないけど、私の話には必ず相づちか返事をくれる。

 しっかり聞いてくれてるって、じっと見下ろしてくる目を見ればわかる。

 大上くんはいつも、私にペースを合わせてくれる。

 それは話もそうだし……歩く速度も。

 そのことに気づけたのは、友だちに「歩幅違うと登下校大変じゃない?」って聞かれたからだったんだけど。

 さりげなさすぎて気づけなかったくらい、大変なんて思ったこともなかった。


 身体は大きいし、肌は黒いし、目つきも鋭いし。

 でも、そういえば最初から怖いなんて思わなかった。

 オオカミみたいな見た目だけど、大上くんはきっと、とってもやさしいひとだ。

 悪いオオカミみたいに私を騙して食べちゃったりはしない。私は大上くんから逃げる必要も隠れる必要もない。

 草食動物の危機回避能力は馬鹿にできないんだからね。


「私は満みたいに過保護にするつもりはないけど、男が狼ってのは同意だから。もし何かあったらタマ蹴り上げてやんな」

「静ねぇ、こわーい」


 豪胆というか男らしいというか。

 思わずくすくす笑うと、静ねぇもちょっと笑って、くしゃくしゃと私の頭を撫でた。


「ま、うまくいくといいね」

「うん」


 私は笑顔でうなずいた。


 大上くんのこと、もっと知りたい。



  ○●○●○●○



「今日は一緒にお昼を食べよう!」


 週が明けて月曜日、登校のときに提案すると、大上くんはほんの少しだけ目を見開いた。

 目に見えて表情が変化したくらいだから、だいぶ驚いているらしい。

 なんだかんだで一緒にお昼ご飯を食べるのは初めてだもんね。


 これまでずっと友だちと食べていた私のことを気遣ってか、大上くんはお昼休みの時間に私に干渉してくることはなかった。

 初めは気楽でよかったけど、大上くんのことが気になってきている今は、ちょっと……ううん、けっこう寂しい。

 その現状を打破するために、私からお誘いしてみることにしたってわけだ。


「……はい」


 そう返事をした大上くんが、うれしそうに尻尾を振ってるように見えるのは気のせいかな。

 最近はなんとなくだけど表情も読めるようになってきた。


「お昼ご飯、購買とかで買っちゃだめだからね!」


 ちゃんと注意しておくことも忘れない。

 そうしないと一緒に食べる意味がないからね!

 こう言った時点でなんとなく想像はついちゃうかもしれないけど、今日は、今までで一番手間暇かけてがんばったんだから。


「じゃじゃーん! 菜々ちゃん特製弁当です!」


 昼休み、私はそれを誇らしい気持ちでお披露目した。

『手料理は女の武器よ!』って断言する睦美ねぇによく巻き込まれてたから、私もそれなりに料理ができる。お菓子作りも。

 気づいたら、あんまり料理が得意じゃないお母さんよりも上手になっていた。

 だし巻き卵に豚野菜炒め、鶏肉と大根の煮物に小松菜と厚揚げの煮浸しに、ほうれん草の胡麻和え。デザートにはみかんの寒天。

 洋食より和食、肉より野菜が好きというリサーチに合わせたラインナップだ。

 もちろん冷凍食品は一切なし。前日の夜からがんばりました。


「……え」


 大上くんは目を真ん丸にさせた。すごい、過去最大級の表情の変化だ。

 私が料理できるなんて思ってなかったのかな。

 だとしたらちょっと失礼だぞ?


「食べていいんですか」

「うん。大上くんのために作ってきたんだから、食べてくれなきゃ困るよ」

「……いただきます」


 きちんと手を合わせてから、私が持ってきた割り箸で煮物をつまむ。

 心臓の音がドキドキうるさい。

 ちゃんと味見したからおいしいのはわかってるけど、味つけの好みとかもあるからね。

 大上くんの大きな口に、銀杏切りの大根が放り込まれる。

 もうちょっと厚く切ってもよかったかなぁ、なんてその口との対比で思ってしまう。

 もぐもぐと口が動いて、それから。


「おいしい、です」


 大上くんが、笑ってくれた。

 私はしばらくその顔に見入ってしまって、反応できなくて、「……先輩?」と声をかけられるまで固まっていた。

 大上くんはどれもおいしそうに食べてくれて、一つ一つ感想をくれて、そのたびに私は挙動不審になった。

 なんだか胸がいっぱいになってしまって、その日はいつもよりも食べられなかった気がする。その分大上くんが全部食べてくれたけど。

 初めて見た大上くんの笑顔は、それくらい衝撃的だった。

 ちょっと口角が上がっていただけ。ちょっと目が優しく細められただけ。

 でも、全然、違った。


 こんなふうに笑うんだぁ。

 私のしたことで、笑ってくれるんだぁ。

 食べてもらう瞬間以上に、ずっと、胸がドキドキしていた。

 そ、そうだよね、私のことが好きなんだもんね。誰だってうれしかったら笑うよね。

 当然のことのはずだ。なんで自分でもこんなに動揺しているのかわからない。


 ……あれ? でも私、そういえば好きって言われてない。

 なんとなく、好かれてるのはわかるけど。

 それは本当になんとなくで、たとえば視線とか、私の手を握る手のひらの体温とか。

 小さな小さな、確信とはほど遠いものだ。


 大上くんは、私のどこが好きなんだろう?



  ○●○●○●○



 うーんうーんと考えて、わからなくて、結局その日のうちに一番話しやすい睦美ねぇに打ち明けた。

 聞きようによってはのろけにしか聞こえなかったかもしれないけど、睦美ねぇはうれしそうに、というか若干ニヤニヤしながら私の相談に乗ってくれた。


「でも、そういうのは私よりも適任がいるよねー。ねぇ、現在進行形で片思い中のごーくん?」

「おま、何言ってんだよ!」


 今までテレビを見ていた健吾にぃは、急に水を向けられて大慌て。

 でも、そんなに真っ赤な顔をしてたら認めてるようなものだ。


「ごーくんごーくん、彼女さんのどんなとこが好きですかー?」

「菜々の悩みをダシにして俺をからかうんじゃねぇ!」

「あ、ばれたー?」


 睦美ねぇのニヤニヤは最高潮。健吾にぃの顔の赤さも。

 健吾にぃは陸上サークルのマネージャーに片思いしてるらしい。本人からじゃなく睦美ねぇからの情報だ。同い年で、高校生のときから、もう三年間も片思いが続いているんだって。

 さっさと告白しちゃえばいいのに、と私は思うけど、石橋を叩いて叩いて叩いてそれでも渡らないこともある健吾にぃには難しいのかな。


「……笑顔が、さ」


 しばらくだんまりを決めていた健吾にぃだけど、私と睦美ねぇの視線に負けたらしく、とうとう口を割った。


「すごい、キラキラしてて。見てるだけで元気もらえるんだ。もっとその笑顔を俺に見せてほしいっていうか、俺のものにしたいっていうか、その、……っ」


 話しながら相手のことを思い浮かべたのか、健吾にぃの表情がすごいやわらかくなって、それからハッとしたように言葉が途切れた。

 見る見るうちに、顔が茹でダコのようになる。


「もういいだろっ!」


 早々に照れが限界突破したらしく、健吾にぃはそのままリビングから出て行ってしまった。そうやっていちいち反応がかわいいから、睦美ねぇにからかわれる羽目になるんだと思う。

 でも、そっか。恋ってそういうものなんだ。

 健吾にぃが、私と大上くんのお付き合いに難色を示していた理由がよくわかった。健吾にぃは、本当に本当に、本気の本気なんだ。


 俺のものにしたい、ってすごい言葉だなぁ。

 大上くんも、そんな想いを、私に抱いていたりするのかな。


 いまいち想像つかなくて、ちょっとだけ、しょんぼりした気持ちになった。



  ○●○●○●○



 大上くんのことで頭がいっぱいになって、いろいろ考えちゃったけど。

 結局私には、悶々と悩んでるなんて似合わなくて。

 真っ向勝負、することにした。


「私のこと、好き?」


 下校中、つないでいる手を軽く引いて立ち止まってから、問いかけた。

 見上げた先で、大上くんはかすかに目を見開いてから、すぐにうなずいた。


「……はい」

「どのくらい?」

「……とても」


 答えに間はあるけど、迷いは感じない。

 そこにあるのは、戸惑い、だろうか。気恥ずかしさ、かもしれない。

 ぎゅっと、手に力が込められる。ちょっと痛いくらいだけど、嫌じゃない。

 私も強く握り返した。


「私の、どこが好き?」


 さらに問いかけると、大上くんの眉がほんの少し垂れ下がった。それだけの変化でも、困っているのはよく伝わってきた。

 でも、私は引かない。今日ばかりは、ううん、いつもだけど、我を通すつもりだった。

 大上くんは言葉を選びあぐねているようだった。二人の間に沈黙が横たわる。

 ぬるい風が吹いても、少しも熱は冷めない。いつのまにか私の胸の奥に灯ってた、まだ小さいけど、一気に燃え上がりそうな火種。


 そう、たとえば、もっと家が遠ければよかったのに、って思い始めたときから。

 気づいたら私たちは、ちゃんとした恋人同士になってた。

 だからこそ、知りたい。

 大上くんが、睦美ねぇではなく、他の誰でもなく、私を見つけて、私を選んでくれた理由を。


「花を、つけてもらったんです」


 ようやく彼の口から紡がれた言葉は、それだけでは理解できないものだった。


「花?」

「入学式で」

「あー……ああ! そういえば、すっごい背の高い子につけた記憶がある!」


『入学おめでとう』と書かれたリボンのついた、ピンクの造花。

 生徒会役員が受付で新入生みんなにつけるんだけど、他の仕事もあるのに全員分なんて無理! ってことで、普段から生徒会の雑用係をしている広報部がお手伝いしたんだよね。

 大上くんは胸元がちょうど目線の高さだから、逆にやりづらかっただろうなぁ。


「小さい手で、少し手こずっていて、屈んだらありがとうって笑ってくれて。ちゃんとつけることができたらまたうれしそうに笑って、それからポンと俺の胸を軽く叩いて、入学おめでとう、これからよろしくね、って、まっすぐ俺を見上げて言ったんです。まるで心臓を撃ち抜かれたかのようでした」


 大上くんは、いつもの寡黙っぷりが嘘みたいに饒舌に語った。

 でもごめん、その、申し訳ない、覚えてない。

 言い訳をするならその日は一年生みんなに同じことをしていたわけで。

 まさかそれが、たったそれだけのことが、大上くんに大きな影響を与えるなんて、思ってもいなかった。


 笑顔は大事だ。挨拶も大事だ。元気さえあればたいていのことはなんとかなるものだ。

 兄も姉も私が笑うと一緒に笑ってくれた。

 私は考えなしに、ただ笑っていれば、それだけで誰かの力になるって、そのことをよく知っていた。

 それが、大上くんにも届いていたという事実に、一種の感動のようなものを覚えた。


「その、俺に衝撃を与えた小さな手を、欲しいと思いました。一目惚れ、みたいなものです」


 最後まで言いきって、大上くんは私から視線をそらした。

 肌が黒いからわかりづらいけど、うっすら赤らんで見えるから照れているんだろう。盛大な告白をさせちゃったもんね。

 要するに一触れ惚れとでもいうやつだろうか。そんな言葉はないかなぁ。


「そっかぁ」


 私は気づいたら頬がゆるみまくっていた。

 だから、よく私の手を握るんだ。俺のものだぞーって主張するみたいに。

 ……そっかぁ。にへへ。


 健吾にぃが言っていたとおりだ。

 好きって、そういうものなんだね。

 欲しいって、独占したいって、思うものなんだね。

 私だって、そうだよ。これはきっとそういうことだよ。

 この、真っ黒な手が、欲しい。


「男はみんなオオカミなんだって。大上くんもオオカミなの?」

「……そうですね」


 私が唐突に違う話を振っても、大上くんは律儀に答えをくれる。

 見た目はワイルド系でいかにも肉食獣みたいな大上くん。なのに真面目だし、礼儀正しいし、とってもやさしい。


「私ね、七人兄弟だから、七匹の子ヤギみたいだよねってちっちゃいときに言ったことがあってね。菜々は考えなしだから隠れる間もなくぺろっと食べられちゃうぞって、よく脅されてたの」


 テレビで名作童話の放送を見たときだから、まだ小学生にもなってなかったかもしれない。

 七人兄弟だから、私たちのことだ! って思ったんだよね。名字もちょうど小柳こやぎだし。

 みんなからは、私たちの命運をなっちゃんが握ってるなんて怖いなー、むしろ菜々は真っ先に食べられる役だろ、生き残りそうなのは静か睦美だよなぁ、のんびり屋の一花いちか姉さんと菜々はガラガラ声にすら騙されそうよね、とかそんなふうに好き勝手に言われた。

 お兄ちゃんもお姉ちゃんも助けてあげないもん! って拗ねた私は、いつも二葉にぃに頭を撫でられるだけでコロッと機嫌を直してたっけ。


 子ヤギの兄弟を食べちゃうオオカミみたいに、黒くておおきな手を両手でぎゅっと握る。

 こんなに色黒だったらお母さんとは見間違えないよね。あ、でも小麦粉だかおしろいだかを塗ったらわからないのかな。

 大上くんは、そんな小細工はしないだろうけど。


「食べられちゃうのは痛いから嫌だなぁって、思ってたんだけど。でも、大上くんなら怖くないなぁ」


 私はのほほんと大上くんに笑顔を向ける。

 彼だったら、きっとやさしく食べてくれるだろう。

 大上くんは真っ黒で、おおきくて、がっしりしていて、どこを見ても私とは正反対。

 でも、案外相性は悪くない気がするんだ。


 手に力が込められたかと思うと、勢いよく引かれた。

 体勢を崩した私は、大上くんに支えられて……ぎゅううっと、抱きしめられた。

 やっぱりちょっと痛いけど、嫌じゃない。

 ううん、嫌じゃないんじゃない。

 これは、うれしいって言うんだ。


「泉」

「ん?」

「俺の、名前」

「泉くん?」

「はい」


 あ、そう呼んでほしいってことか、と私は気づいた。

 なんとなく言いたいことがわかるようになってきたなぁ。少しは彼氏彼女らしくなってきたってことかな?


「ねえ、泉くん」

「はい」


 これだけは言っておかないと、と私は泉くんを見上げた。

 鋭い瞳が、私を、私だけを映していた。


「食べるなら、なるべく痛くしないでね」

「…………」


 私の真剣なお願いには、めずらしく、返事が返ってこなかった。

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むっつりオオカミと七人目の子ヤギ 五十鈴スミレ @itukimi

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