終章 約束

 胸の高鳴りは治まることを知らなかった。

「はぁ……はぁ……」

 肉体は完全に疲労を主張しているというのに、駆け足にならずにはいられない。

 ここ最近で何回も訪れている病院だというのに、今日に限って、自動ドアの開閉が遅いと苛立ちを覚えてしまうくらいだった。

「すみません! 失礼します!」

 廊下をゆっくり歩く看護師や他の人たちに迷惑が掛かっていることがわかっていたとしても、やっぱり足は止まらない。

 俺は目指していた病室の戸を勢いのままに開け放した。

「……ビックリした! あっ! 吉祥君おはよう」

 傍にいるだけで心が休まるような、俺の知っている伊吹が笑顔で出迎えてくれる。

 伊吹が目を覚ましたという連絡を聞いたとき、俺は初め、驚きのあまり声が出せなかった。

 本当に伊吹は目を覚ましたのか、実はまた意識は闇に溶けたままで、病院側が勘違いをしているだけなのではないか――そういう疑問もあったくらいだ。

 だけどこの笑顔は間違いなく、俺の知っている伊吹の笑顔だった。

 いつの間にか俺の顔も綻んでいたらしい。

「どうしたの? 吉祥君」

「どうしたもこうしたもあるかよ……。心配していたんだぞ」

「ごめん……私もよく覚えていなくて。数日間、意識がないままだったらしいんだけど、体に異常はないって聞いたんだ。んー、どういうことなんだろ」

「あまり気にするなよ。お前がこうして無事に戻ってきてくれて、俺は十分だよ」

「……もしかして、迷惑かけちゃった?」

「そんなことないって。俺が入院したときも何回もお見舞いに来てくれたろ。……ふふっ、これでお互い様だな」

 というか、今はそんなことよりも、この幸せを大事にするべきだ。

「ありがとう、吉祥君」

 何より大切な存在が帰ってきてくれて、俺は心底嬉しかったんだからな。

「失礼します」

 俺たちが久しぶりに話に花を咲かせていると、看護師さんが病室に入って来た。

「あっ、吉祥さんじゃないですか」

 こちらの存在に気付くなり、申し訳なさそうに言ってくる。

「……あのぅ、お友達というところを大変恐縮なのですが、伊吹さんはしばらく安静にした方がいいとのことですので、今日はお引き取り願いませんか?」

「そうですか……わかりました」

 病院側にもやることがあるだろうし、邪魔するわけにはいかないよな。

「ごめん伊吹。また明日来るよ」

「うん」

 伊吹が楽しそうに手を振るから、俺もそれにつられてしまったのは内緒だ。


 廊下に出てすぐに逢河と出くわした。

「お熱いわね」

「……お前も来たのかよ」

「様子が気になってね。来ちゃ悪いの?」

「いや、別に」

「なんで出てきたの?」

「看護師さんに安静にした方がいいって言われてな。厄介払いされたわけだ」

 そう言って、俺は病室前に置いてある長椅子に腰を下ろした。

 当然のように逢河もとなりに座ってくる。

「本当に色々とありがとうな。伊吹が目を覚ますことができたのは、逢河のおかげだよ」

「あなたが提案したんでしょ。『目を覚ますことのできる能力者は他にもいるはずだ』って」

 それは桐生の言葉からヒントを得たものだった。

「全員がまったく違う性質の能力者ってわけじゃないだろ。中には似たような性質の能力者もいると思った。それだけだよ」


 ――俺と似たような力を持ったヤツは他にもいる。


 桐生の発した何気ない言葉だったが――ならば影使いと似たような能力者もいるのではないかと俺は考えた。その人物を見つけられれば、伊吹の目を覚ますことは可能だと思ったのだ。

「最終的にその能力者を見つけられたのは、あなたの協力もあってこそよ」

「結香もな」

「ふふっ、そうね」

 まあ、この数日の出来事を話すのはさすがに野暮だろう。

「のど渇いていない? これ、あなたにあげるわ」

 逢河からペットボトルを手渡される。どんなものかと思ってラベルを確認すると、『至極の天然水 スパークリング!』と書かれていた。

「なんだよこれ、炭酸水じゃないか」

「これを買おうとしたら間違えて押しちゃったのよ。いらないから、それはあげる」

 逢河は、本命らしい自分用の『至極の天然水』を呷っていた。

「ならそっちと交換しろよ。炭酸水なんか飲んだら余計のどが渇くだろ」

「あなたねえ……この前のカフェの件といい、とぼけたフリして人のものを飲もうとしてない? はっきり言って、少し気色悪いわよ……?」

「ななっ……!」

 あれはただの事故なんだ。急に引き合いに出してくんなよ……。

「……ていうか大体、ふつう天然水と炭酸水を間違えるか?」

「パッケージが似ていたから仕方ないじゃない。文句言うなら、それ返してちょうだい」

 たしかに、逢河が持っている素の天然水と、俺の持っているスパークリングのパッケージは大変似ていた。隅っこに『スパークリング!』と書いているかどうかの違いだ。

 なんだか一緒にいるのが気まずくなってきたので、俺は一人で席を立った。

「どこ行くの?」

「その辺を散歩してくる」

「……そう」


 廊下の角を曲がったところでペットボトルの栓を開ける。

 スパークリングの天然水か……どんな味なんだろう。

 怖いもの試しの気分で一口飲もうとすると、一室から子供の黄色い声が聞こえてきた。

「わー、パパありがとう! これ欲しかったんだー!」

「そうだろー。お前が頑張ったから、そのお祝いに買ってきたんだぞ」

「すっかり元気になったのね。よかったわ」

 戸の開かれた病室を覗くと、入院中などお構いなしの楽しそうな子供と、その両親らしき三人の家族が窺えた。今しがたプレゼントされたらしい飛行機の模型に子供はたいそう喜んでいる。

 会話やその顔ぶれを見ているだけでも、家族が幸せに満ちていることがわかった。

 ……え、あの子ってもしかして……。

 俺は子供の顔に見覚えがあった。

「よーし、退院したら、次はもっとでっかいの買ってやるからな! もう少しだけ頑張るんだぞ!」

「そうよ。好きなお料理たくさん作ってあげるわね」

「ホント!? やったー!」

 子供だけじゃない。その両親にも覚えがある。

 俺が一年前、子供を助けようとして破滅に追い込んでしまった家族たちだ。

 一年経って子供は少し成長したみたいだが、両親の方は救急車に乗るときに見た顔と変わっていなかった。

 生きていたんだ……。心中したっていうのはただの根も葉もない噂で、子供は一年の闘病生活を乗り切ったんだ。

 目頭に熱いものが込み上げてくる気がする。

 院長先生が家族の輪に入り、さらに幸せオーラは増していった。

「先生、本当にありがとうございます! あなたはウチの子の恩人です!」

「いえいえそんなことないですよ。僕たちよりも一番頑張ったのはその子ですよ」

 大人の対応をしている先生がなんだか別人のようにも見えてくる。

 俺はこれ以上ここにいると感情を抑えられない気がして、後ろ髪を引かれつつも後にした。

 去り際に母親と子供がこんなことを言っていた気がする。

「どうしたの? 誰かいた?」

「……ううん、なんでもない」


 ――これだな。きっと……今の俺がするべきことはこれだ。

 スパークリングの天然水を一口飲んだ俺は、逢河のところに戻ってきた。

 どうも帰りを待っていたらしく、何やら険しい表情をしている。

「吉祥。結香から連絡が入ったわ。近くの駅で異端能力者が暴動を起こしているみたい。私たちも早く行きましょう」

 また異端能力者か……。あいつらも懲りないよな。

「よし! ならさっさと行くか! 結香一人じゃきついだろ」

 何気なく横を見てみると、俺の情熱を優しく抱擁してくれるような、朗らかな笑みを浮かべる逢河の姿があった。

「吉祥、あなた変わったわね」

「……? 急にどうしたんだよ」

「初めて会ったときと比べて、いい顔つきしてるわよ、あなた」

「あー……まあ、目標ができたからな。パスタは熱いうちに食べるもんだろ」

「どうして急にパスタが出てくるのよ」

「いちいち細かいところを気にするなよ。俺は俺の思う、正しいことをするだけだ」 

 この気持ちを忘れないうちに口に出しておかないといけない気がして、俺は信頼できる仲間に宣言した。

「俺は異端能力者からこの日常を守る」

「……うん、いいんじゃない? 私も結香も協力するわよ」


 きっとこれから先も、たくさんの苦難が待ち受けるだろう。

 死にそうになることも多々あるかもしれない。

 だけど俺の傍には自分を支えてくれる人がいる。

 同時に俺はそれを守らなくちゃいけないんだ。


「これからもよろしくな、逢河」

「ええ、こちらこそよろしく」


 いつまでもこの日常が続いていくように。奴らからこの日常を守るために。

 なあ……俺は大きなことを成し遂げられたのかな?

 もしそうだったら、これほど嬉しいことはないな。

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