TOKYO DAYS

フカイ

掌編(読み切り)







 昨日は、古くからの同性の友人と、銀座のシックなバァで飲んでいた。


 たしか、21時あたりから飲み始めたんじゃないかと思う。


 爽やかなジンリッキーから初めて、薫り高いズブロッカ、そしてフォア・ローゼズ。


 下らない話をしながらのんびりと、バァカウンターでくつろいでいた。


 銀座で飲むなんて、本当に久しぶりだ。






 20代の後半の頃、背伸びしたい盛り、足しげく通った銀座四丁目のバァがあった。


 古い洋画の名前をつけたそのバァは、このつめたい街の中でゆっくりくつろげる、数少ない場所だった。


 酒の飲み方も、その味も、バァでの過ごし方も、大人の付き合いも。


 すべてはその店で学んだ。


 あの店の常連であったことを、誇りに思える。いまでも。


 もう、その店がなくなった、いまでも。






 かつて、ロスアンジェルスの探偵は「バァの最良の時間は開店直後だ」と言ったことがある。姿を隠した男のために、ギムレットを飲んだ、あの探偵だ。




 ―――彼の言うことは正しい。




 バァが一番素敵なのは、店が混雑し始める20時前の、閑散とした時間。


 あるいは終電の客が引けて、このカウンターに残留を決め込んだロクデナシが集う、25時前後の時間だ。




 普段バァに行き慣れない人たちは、そこは背筋を伸ばして、格好良く酒を飲む、紳士淑女の場所なのだと思われている。


 それは大きな誤解だ。


 もちろん居酒屋とは違う。けれどもバァは(本当のバァは)、酔客をやさしく受け止めるホテルのような役割を果たしてくれている。


 羽を伸ばせるバァカウンターがひとつあるだけで、その街はずいぶん過ごしやすい街になるものだ。


 午前四時を回って、バァカウンターの上に横になって眠ったツワモノは、あの店を本当のホテルにしてしまっていたけど(ちなみにその男は、とある有名なスカバンドに「兄貴」と慕われるその筋の大物だった)。






 その店にはよく女の子と行った。


 勘定したことがないのでわからないけど、たぶん相当な数の女の子たちと、そこで酒を飲んだのではないかと思う。


 酔って酔われて、口説いて酔いつぶれ。


 その後のお楽しみまでたどり着くことは、ほとんどなかったのがお笑い草だ。


 馴染みののバァテンダーは、毎回、前回の子のことはまったく知らぬ顔で、彼女たちに優しくしてくれた。






 また、多く、ひとりで行った。


 仕事が終わった22時。地下鉄に乗ってそこへ行き、カウンターの一番端で、ひとりで酒を飲んだ。


 常連がいれば彼らと談笑し、いなければバァテンダーと小さな声で世間話をした。


 バァテンダーが多忙になると、バァカウンターの中から、ぼくの個人的な玩具を出してくれた。


 レゴ。


 ぼくはその店に、マイ・レゴを置いていた。


 バァカウンターの端っこで、バーボンを舐めながら、ひとりで黙々と、レゴでワイルド・ターキーの七面鳥を作っていた。






 常連の中で思い出深いのは、チーフ・バーテンダーの実弟のYだ。


 年上の常連が多い中で、Yは同い年だった。


 和歌山の高校を中退して、音楽をやりたさに上京した。


 そしてやっとのことでメジャーデビューを果たし、アルバムをリリースした。地方のFM曲で番組も持っていた。


 長い髪を流行の形にセットして、スリムなブラック・ジーンズがものすごくよく似合う男前だった。


 年の割には音楽業界での経験が長く、その業界人に共通するチャラい振る舞いの目立つ奴だった。


 こうしてみるとちょっと嫌な奴に見えるかもしれないが、同い年で、同じようにこの街に夢を描いてやってきたという共通項から、Yとはいつも、心のどこかが共鳴し、我々は飽きることなく馬鹿話に興じた。






 カウンターの末端は彼の指定席だったから、奴が遅れて入っきたら、ぼくはそこを譲った。


 奴はいつも、ペルツ・ウヲッカという唐辛子の効いた、赤い酒をショットで飲んでいた(嫌味な奴だ)。




 そして我々は語り合った。


 音楽の話、女の子の話、古いアニメの話、ガメラとゴジラはどっちが強いか。仮面ライダーの中で一番好きな怪人は何か。


 何杯ものキリキリとしたアルコールを喉の奥に放り込みながら、我々は本当に下らない話を何時間でも続けた。


 それらは何一つ役に立つことではなかったし、コレを読む誰の胸も温めない、本当につまらない馬鹿話だ。


 しかし我々には、とてもとても大切で親密な時間だった。






 過日、ほんの気まぐれで、帰宅途中に駅を降り、何年ぶりかであの店を訪れてみた。


 四丁目の裏通りをあの頃のように歩いていくと、雑居ビルの3Fに入っていたその店は、ネイルサロンだかエステサロンだかになっていた。


 まだコートを着ている頃だったが、ひとり、身体を熱くして、苦笑した。


 あの店は、いつものようにさりげなく、つまらない感傷など一切れも残さずに、この街から消えてしまったのだな、と思った。


 まったく、あの店らしい消えっぷりだ。






 Yのその後も人づてに、聞こうと思えば聞けるけど、もちろんそんなのは聞くべきではない。


 あの時のアルコールみたいに、我々の想い出はベタつかずに透明で、カッと喉をいた後は、ほんのり数時間酔い心地をくれて、翌朝は何もなかったように消えているのだ。


 それが、正しいことなのだから。






 この文章のタイトルは、彼の楽曲からの借用。


 クールで格好いい曲だった。まるで奴のように。




 元気か、Y?

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