Fine

 辺り一面が緑に覆われた野原のど真ん中に、俺は立っている。風が心地よく、目を閉じて深呼吸をした。風にあおられる草木の音の隙間から、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。声の持ち主は、すぐに分かった。微笑で振り返り、あいつの名前を呼んだ。

「猪野」

「久しぶり。牛田が高校生になってから会うのは初めてやね」

「いや、たびたび会ってただろ」

「それは、記憶を夢の中で想起させてた昔の私。今の私は、牛田の潜在意識が作り上げた、記憶にはない死んだ後の姿。こんな場面、中学の時になかったでしょ?牛田は高校の制服着ている」

「……あ、たしかに」

「私が死んだ後も会いたいって思っててくれてたんやね」

「うん。凄く会いたかったよ」

「……ごめんね。死んだりなんかして」

「ううん。こっちこそごめん。何も気付くことができなくて」

「牛田が謝ることじゃないよ。しょうがないことやから」

「……うん」

「私は牛田の意識の中にいたから、今のことも実は知ってるんだ」

「え?」

「猿島清果さん。かわいいし、いい子やね」

「あ、うん」

「カメラも続けてるし、友達もたくさんできたね。私のお願いを実行してくれて、ありがとう」

「うん。今でも少し戸惑うくらいだよ」

「……罰なんかやないよ」

「ん?」

「罰じゃないし、私は恨んでなんかいない。牛田は悪くない。罪滅ぼしだとか、そんなふうに考えなくていいから。……私はほんとに……ほんとに感謝しとるんやから……」

「そっか。分かった」

「うん」

「……なら、俺からも」

「ん?」

「たしかに面倒だって思うこともあったよ」

「やっぱり」

「でも、そういうとこも含めて、お前のことが好きだった」

「そうなの?もしかして、牛田もM?」

「そうかもしれない」

「あははっ!でもよかった。牛田も私のこと、好きでいてくれて」

「うん。好きやった」

「うわ、なんか凄く恥ずかしくなってきた」

「大好きやった」

「ちょ、もういいよ!もう死んでるのに、恥ずかしすぎてもっかい死んでしまうわ!」

「ははは!なんだよそれ」

「牛田のせいやろ!」

「ごめんごめん、怒んなよ」

「怒ってないよ。あーもう、火照っちゃったよ」

「ふふっ」

「……あのさ」

「ん?」

「……私のこと、忘れてもいいからね」

「……え?」

「牛田の足枷にはなりたくないから。遺書には忘れないでって書いたけど、私の我がままは、もうきかなくていいから」

「……」

「……」

「……ふーっ……」

「……」

「……忘れない。忘れられるわけない。……俺は、猪野のお陰でこうなれたんだ。猪野に会えたことが、変わるきっかけになったんだ。お前に会えなかったら、今でも独りぼっちだったかもしれない。……ありがと。俺に声をかけてくれて、ありがと。俺と仲良くしてくれて、ありがと。俺のそばにいてくれて、ありがと。俺みたいな奴を好きになってくれて、ありがと。……だから俺は、猪野早苗のことを、忘れたりしない……」

「……ありがとう」

「……お前の我がままをきいたから、俺の我がままもきいてくれないか?」

「うん。何?」

「これからも俺の意識の中にいて、俺のことを見守っててくれないか?」

「……死ぬまで見守っててあげる!」

 俺は悟った。今後、あいつが出てくる夢を見なくなるだろう。でも、悲しさや寂しさはない。あいつはいつでも、俺の中にいる。死ぬまで中にい続ける。俺がもういいって言っても、しがみついて離れないだろう。

 あいつの想いと共に生きていく。あいつがくれたこの世界で、あいつがくれた大切な人たちと……。


 やかましいアラーム音に促され、俺は目を開いた。その音を止めると、大きく伸びをする。なんだろう。とても清々しい感じがする。そして凄く目覚めがいい。今すぐに全力で100メートルダッシュできそうなくらいの爽快さがある。こんな寝起きは初めてだ。

 カーテンを開け、窓を開く。まだ気温は低いのだが、しっかり春の匂いがする。それを身体に取り込むように深呼吸を一回。気持ちがいい。無意識に笑みが零れた。朝食を食べ身支度をし、玄関を出る。

 1年前から通い始めた通学路を歩く。その足取りはいつもより軽く感じられた。こんなことも初めてだ。今日から2年生になるからなのか、それとも心の重りが軽くなったからだろうか。

 豪快に欠伸をかましながら天を仰ぎ、伸びをした。思わず目を見開き、そして口角が上がった。

 俺の頭上に、とても綺麗な虹が架かっている。虹は7色あると言われているが、全ての色が鮮明に見えてしまうくらい、くっきり表れたその虹。

 立ち止まるとショルダーバッグからカメラを取り出す。上空に向けてカメラを構え、シャッターボタンを押し下げた。虹は前から好きだった。今まで何枚も撮ってきたが、これが人生最高の虹写真だ。お気に入りの写真が一つ増え、小さく笑みが漏れる。

 カメラをしまうと、足の動きを再開させる。

 前に里緒都に、一人でいる時に寂しい顔をしている、と言われた。自分の顔を見ることはできないので確証はない。でも確信はある。今の俺は、一人でいる時も寂しい表情はしていない。

 正門をくぐり、昇降口への道すがらに設置されている掲示板に、生徒たちが群がっている。新学期恒例のクラス発表だ。この中に入ったとして、俺には見えないだろうな。制服集合体を見渡せるところまで移動し、群れが小さくなるのを待つことにした。

 あくびを噛み殺していると、隣に里緒都が並んだ。挨拶を交わすと、彼は掲示板に目線を向ける。

「クラス、どうなるかな?」

「普通科は7クラスあるから、メンバーはけっこう変わっちゃうかもな」

 里緒都の言葉を聞き、俺は頷いた。そしてふと、彼の頭のてっぺんを見上げた。前に同じように里緒都のことを見上げ、彼の身長が伸びていることに気付いた時があった。でも今回は、変化があるようには感じられない。彼の成長期は終わったようだ。

 小さく安堵のため息を漏らした直後、根室と福岡がやってきた。四人で掲示板前へ歩を進める。

「マジか!幸と里緒都とクラス離れちまった!」

 根室の叫びが耳をつんざく。うるさい。俺の眉間にしわが寄る。

「福ちゃんと一緒なのが救いだな」

「俺は一緒じゃないほうがよかったけどね」

「ちょ、おい!」

 根室と福岡がじゃれ合い始めた。二人は7組らしい。俺は2組。里緒都と一緒だ。

「あれ?なあ健太、お前の彼女も2組じゃないか?」

 里緒都の言葉に、福岡がニンマリ顔で頷いた。

「そうなの。だから俺は一足先に教室に向かうことにするよ」

 じゃ、と手を挙げると早足で昇降口へ向かって歩いていく。

「え、そんな、待てよ!」

 焦って福岡の背中を追いかけていく根室。

「相変わらず仲いいな」

 ぼそっと呟いた俺の肩を里緒都が叩いた。そして2組の表を指差す。

「淡路と益城ちゃんも一緒やぞ」

 彼の指先を見た。ほんとだ。二人の名前もある。根室や福岡と別れてしまったのは少し寂しいが、新学年も賑やかになりそうな予感がした。小さく笑みが零れる。

「おはよう」

 女性の声が聞こえ、俺たちは顔を向けた。声の主は益城だ。その隣には淡路の姿がある。何組かな?と益城は掲示板に近づく。

「二人は何組やった?」

 淡路の問いに、俺は里緒都を指差しながら答えた。

「2組。里緒都と一緒」

 そっか、と淡路が発したのとほぼ同時に、やった!と益城の喜びの声が上がった。そして、パシパシと淡路の肩を叩く。

「しゅうちゃん、私たちまた同じクラスやよ。牛田と紺谷とも同じ」

 淡路も視線を掲示板に向ける。そして口角を上げた。

「これは賑やかになるな」

 俺が思ったのと同じことを淡路が口にしたため、俺は思わず小さく吹き出した。


 さすがに始業式はカメラマンとしての活動はなく、一生徒として参列した。その帰り道で仲里先生と立ち話をするため、みんなと別れた。話を終えると、廊下を歩いていく。ふと立ち止まり、何度か瞬きをすると、壁に敷設されたベンチに腰掛けた。

 清果がここを通ってくるのではないかと思っている俺がいる。ここで会えるよ、との助言を受けたように感じた。俺は馬鹿な奴だなと思った。

 目を閉じる。日中の学校とは思えないほど静かだ。深呼吸をする。なんだか最近、空気がおいしく感じられる。

 コツ、コツ、と床に靴底が当たる音が小さく聞こえる。それはこちらに向かって大きくなっていく。俺の口角が小さく上がった。

「幸くん」

 清果の声が聞こえた。俺は目を開けると立ち上がり、彼女に身体を向けた。

「おはよ」

「今年も一年よろしくね」

 清果の言葉に、俺は頷く。

 俺は人のことを好きになれるようになった。里緒都、根室、福岡、淡路、益城、石川先輩。みんな俺の大切な友達。好きな人たち。

 そして、あいつに抱いたものと同じような想いで、清果のことを好きになった。俺が一番大切にしたいと思っている人。

「この前はありがと」

「この前?」

「俺が泣いた時、そばにいてくれて」

「ううん、うちにできることはあれくらいやから」

 相好が崩れた清果。それを見ると、俺の中で嬉しさと恥ずかしさが沸き上がる。俺は彼女に、正直な想いを伝えることができる日がくるだろうか……。

 とんっ。

 背中を押された気がした。俺の背後には誰もいない。けど、誰の仕業かは分かった。幸いなのか、この空間には俺と清果しかいない。

 ……いや、だからってここで?いや、無理やろ。いやいや……。

 俺は唾を飲み込んだ。ゆっくりと口を開く。

「……清果」

 清果の目線が俺に向けられる。呼んだからには言わなければ……。

「……俺……俺、清果のこと……」

 これ以上口がうまく開かない。言葉が出てこない。その間も、ぐいぐい背中を押されている。分かってる。そんなに急かすなよ!心の中で言い合っていると、スッと背中から感覚がなくなった。そして、清果が俺の名前を呼んだ。意識を彼女に向ける。

「……うち、幸くんのこと好きやで」

「……へ?」

 俺の思考は乱れた。ん?どういうこと?なんて言った?好きって言った?あ、でもこの前、友達として好きって言ってくれたからそのことかな。でも、なんでわざわざ言い直したの?

「……それって……どういう意味での好き?」

 恐る恐る聞いてみる。

「さあ、どういう意味やと思う?」

 清果は微笑んだ。以前、俺に透析のことを打ち明けてくれた時にみせた、あのいたずらっ子のような顔。

 あ、そうか。俺は分かったような気がした。なぜ背中を押されなくなったのか。それは、目の前にいる女性が代わりに押してくれるからだ。自分が押したいと思っているのに、結局は相手に押してもらう。なんとも俺らしいなと思った。

「俺も、清果のことが好きや」

「それって、どういう意味での好き?」

 清果が、俺が言ったのと同じ文言で聞き返してきた。だから俺も、同じ言葉で返す。

「さあ、どういう意味やと思う?」

 どっちからともなく、笑いが漏れた。

 俺の中に、ある願いが生まれる。

 この人の笑顔を見ていたい。この人のそばにいたい。この人と一緒に過ごしたい。この人のことを、絶対に手放したくない。

 この願いは、欲張りだろうか。自分勝手だろうか。でも、それでもいいよな。お前だって、これを望んでいるんだろ?

 二人だけの空間に、他の生徒たちの声や足音が聞こえてきた。

 頬がうっすら朱色に染まった清果。

「展覧会、一緒に観に行こうね」

 目線の先には、俺の好きなくしゃっとした笑顔があった。

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君とのレガート 芳武順 @jun_homu1830

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