こたつ板

森 モリト

第1話

母が、その日持って帰って来たのは、一枚の板だった。

「何もって帰って来たん?」

「うーん、こたつ板。成り行きで断れへんかってんや」

「また、ええ加減に返事したんやろ」

母は、一人で俺を育てていた。しっかり者と周囲に評価されているが、お人好しで人の頼み事を断る事が苦手な人だった。

「ええやん。使える物やし」

いつもの事。この話もここで、終わるはずだった。


深夜に、喉が渇いてキッチンに水を飲みに行こうと、リビングを横切った時、誰かが暗がりに蹲っているのに、気が付いた。いきなりの違和感と、ぶわっとわき立つような不安。

母ちゃんだ、母ちゃんだよ、大丈夫だ。自分自身に言い聞かせて、ひりついた喉から掠れた声をひじりだす。

「何してんのん?」

ほら、返事しろよ。何もないねんって言うてくれよ。俺の期待とは、裏腹に長い沈黙が続いた。あー、母ちゃんやないのか。手じかにあったテレビのリモコンを握りしめて、間合いを測っていると、蹲った影がふわっと動いた。真っ暗で、顔なんか解らんはずやのに・・・そいつの顔がはっきり見えた。色の白い顔に長い髪、痩せて目ばっかりがぎらついてる男・・・顎にほくろがあった。

怖いけど足が動かん、手の中のリモコンに力を入れて身構えることも出来ん。そんな俺を見て男が、笑いよった。そして、そのまますっと消えた。消えたとたんに、体が自由になった。男の消えた所に顔を向けて、改めて体が凍った。そこにあったのは、一枚の板やった。

普通のこたつ板が、真っ暗な穴への入り口に見えた。突っ立たまま動けずにいると、部屋の灯りが付いて

「どうしたん?」

「お母ちゃん、あれ・・・アカン」

「何が・・・?」

「あそこに、男が、入って行った」

「・・・何言うってんの・・・」

母は、俺の側に来ると、こたつ板の方を見てから・・・俺を抱きしめた。

「見たん?」

「・・・」

母は腰が抜けたみたいにそこに座りこんだ。そしてその場で、二人して朝をむかえる。明るくなって、母はいきなり立ち上がると

「返して来る。それ返してくるわ」

「・・・俺も行く」

二人で車にこたつ板を積み込んで、出かける。家を出る前、父親の遺影にこそっと手を合わせた。助手席に座っていると、母がぼそぼそと話はじめた。

「なぁ、塩崎のおばちゃんって、覚えてる?」

「塩崎のおばちゃん・・・」

「まぁ、あんた、三歳ぐらいやったから・・・覚えてないかぁ。東京出て来て

仕事もあるし、保育園も決まらんし・・・そんな時に声を掛けてくれたんが、塩崎さんやったん。三か月ほどしたら保育園決まったから・・・忙しかったし、そのまま不義理になってしもうたん。」

「そこ、お兄ちゃん居らんかった?」

「そう、覚えてるやん」

「いや、そこだけ。暗い部屋に人が居ったなって・・・」

「そうなん。こないだな、偶然やねんけどその塩崎さんの家の近くに行ったん。時間もあったんで、ご挨拶に行ったら・・・あれを持って帰れて・・・わけわからんかったんやけど・・・似てへんかった?」

「うーん・・・」

思い出すと背筋がスーッと寒くなった。怖くなって、頭の中で何度も亡くなった親父に助けを求めていた。

その塩崎さんの家の前で、呼び鈴を鳴らす。返事はない。

「はは、アホやわ。居てはれへんかもしれんのに・・・」

仕方がないので、出直そうとするとするりと玄関が開いた。

「どちら様ですか・・・」

出てきたのは、初老の男性だった。母が事の経緯を話すその前に、こたつ板に目を止めた男は

「あぁ、また迷惑をお掛けしたようですな。申し訳ない。」

「えっ、どういう事でしょう」

「女房の奴、最近すこしボケてきましてね。なんでもかんでも、人に押しつけてしまうので、困っております。ご面倒をお掛け致しました。お返し頂いて結構ですので・・・」

丁寧なのだが、これ以上は訊くなと言いたげだった。

「こちらこそ頂いた物なのに、申し訳ありません。・・・テツさん、お元気ですか?」

息を詰めて答えを待つと

「ありがとうございます。テツも社会人になりました。大変そうですが元気にしております」

「・・・そうですか。では、これで失礼いたします。奥様にもよろしくお伝えください」

母は、頭を下げると踵をかえした。俺も一緒について行く。後ろで扉が静かに閉まった。車に乗る僅かな時間、ふっと二階の窓を見上げると閉まっているカーテンが微かに揺れたような気がした。でも、確かめる事はしなかった。もう気にしない。この話は、ここで終り。

「今度、お父さんの墓参りに行かへん」

母が、ぼそっとそう言った。



隙間から見えたのは、幸せそうな親子。笑顔でしゃべりながら車に乗って帰って行った。ぼんやりしていると階段を上がって来る音がする。

「今回はだめだったな。何か気がついたのかもな」

「小さい時、面倒みてやったのに・・・ねぇ、テッちゃん。テッちゃんも一緒に遊んでやったでしょ。だったら遊びに行ってもいいのに・・・ほんと、薄情・・・」

「まぁまぁ、他の家を探そう。テツが、遊びに行ける所をな。で、下でお茶にしょう」

「・・・そうね。テッちゃん、また後でね」

立ち上がると、開きっぱなしだった冷蔵庫の扉を閉めた。


誰もいなくなった四畳半の部屋には、細々と物が溢れ、その真ん中に似つかわしくない大きな冷蔵庫が一つ、低いモーターの音を部屋に響かせていた。


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こたつ板 森 モリト @mori_coyukiko

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