第3話 聖夜の通夜
「今日みたいな雪の日は少し助かるのよね」
葬儀の片づけを終えて、スタッフルームで昼食の弁当を食べている時に同僚が窓を見ながらそういった。
「え?どうしてなの?」と、わたしが尋ねると、「弟は今日みたいな綿雪が好きなの。綿雪が空からゆらゆら揺れながら落ちてくる様子をずっとおとなしく見ているから、その間に部屋の掃除とか洗濯とか片付けちゃうのよ」と彼女は言った。
「濡れて黒くなったアスファルトに重なると雪は白く見えるけど、日中、空を見上げると雪は白くないのよ」と彼女は続けた。
「雪が、白くない?」
「そう。窓の近くに行って空を見上げてみて」と彼女が言うので、箸を弁当箱に立てかけて、わたしは窓を開けて空を見上げた。
確かに、上空を覆う白い雲とは異なる色の無数の粒が見て取れた。
「あ、雪が灰色、いいえ、黒だわ」
「そうなの。地面に落ちる綿雪は大きいのに、空では細かな粒なの。黒い無数の粒が落ちてくるようにも見えるし、逆に湧き上がっているようにも見えるの。自閉症特有のこだわりね。その無数の粒のざわざわとした感じが好きなのよ、弟は」わたしよりもさらに遠い目をしながら彼女はそう言った。
今日12月24日は、雪国のこの街でも久しぶりのホワイトクリスマスになった。
今日の仕事はこれで終わりで、今夜の通夜も明日の葬儀もない。しかし、わたしには今夜予定ができた。
それは、彼氏とのラブラブな夜ではなく、ましてや、家族との温かなクリスマスでもなく、私の高校時代の恩師のお通夜だった。しかも、会場は、この街のあのもう一軒の葬儀屋だった。
恩師は、生物の教師で、私が所属していた山岳部の顧問だった。
普段の授業では、授業中に寝ている生徒がいても起こしたり注意したりすることも一切無く淡々と進める教師だけれど、部活になると一変した。眼鏡の奥の小さい目を精一杯見開いて、核心を短い言葉でいつもズバリと言い切った。顧問の言葉に対して、青年期特有の我儘という名の屁理屈は到底太刀打ちできずに沈黙し、でも、最後には、厳しい言葉が優しさの現れであることを実感できた。
そんな恩師の指導のもと、わたしたち部員は技術面でも精神面でも徹底的に鍛えられ、インターハイ、そして、国体にも選抜された。
そんな恩師が部員に話す訓示にはいつもお決まりの言葉があった。
「自ら求める道は必ず開く」
通夜の時刻が迫っても参列者が続々と会場に入ってきていた。
日中からの雪は夜になってもなおも降り続き、除雪車が出動したあとの道路の端には30センチほどの雪の壁ができていた。葬儀屋の駐車場も除雪してあったけれど、参列者の車で見る見るうちに埋め尽くされ、隣の観光会社の駐車場の入り口に“臨時駐車場”の看板が立てられた。
葬儀屋は会社から車で2~3分のところにあるけれど、わたしは早くから会場入りしていた。高校時代の同級生や部活の先輩・後輩と久しぶりに顔を合わせて当時の恩師を偲んでいた。
また、それと同時に、初めて入ったライバル会社であるこの葬儀屋の施設やスタッフの対応をこの目でじっくり見る目的もあった。
駐車場の埋まり具合と比例して、案の定、椅子席は参列者ですぐに埋まってしまい、急遽、隣接する畳敷きの広間を開放して1人のスタッフが参列者を案内していた。
(葬儀会場のキャパはうちに比べて断然狭いし、さっき行ったトイレも狭くて個室の数も少ない。こんなにたくさんの参列者が来ているのに会場のスタッフも動いているのが1人だけだ。)
通夜の司会者と思われる女性スタッフが遺族を遺族席に案内した後、祭壇の周辺を最終チェックしている。わたしも彼女の動きと一緒に祭壇を目で追ったけれど、僧侶が座るはずの椅子が所定の祭壇の真ん中の位置に無く、端の方に置かれているのに気がついた。
(なぜ、僧侶の椅子があんな端の方に置いてあるのだろう?)
間もなくして、司会者のアナウンスとともに祭壇左にある大型テレビの画面にスイッチが入れられて青色になった。始まったのは、この通夜と明日の葬儀を執り行う寺院の紹介VTRだった。おそらく、専門の業者に委託して作ったものと思われるVTRは、BGMと共に、寺院の概観、本堂や内陣の様子の映像を映しながら寺院の概暦や本尊の名前をテロップで流したものだった。一堂に会した参列者は各々の私語を止め、大型テレビに映し出される映像を注視した。
(司会者のアナウンスで私語を止めるのではなく、こういった映像で自然に通夜の開式前の心の準備を参列者に行わせているのか…)
寺院紹介のVTRが終わると、司会者が開式のアナウンスをした。間もなく、印金の音がして、祭壇向って右側の袖から僧侶と、もう一人、女性が入場して来た。
僧侶は、さきほどのVTRの紹介でわかったのだけど、あの“クレーマー”の住職で、もう一人の女性は、住職夫人だ。二人とも持鈴を持っているので、いつものお通夜のように読経の前に御詠歌をお唱えするのだろう。
二人がフロアから一段上がった祭壇前の畳スペースに上がらずに、そのままフロアの最前列の中央に正座したことでわかった。この二人が御詠歌をお唱えするために、棺桶への視界を遮る僧侶用の椅子をあらかじめに端に寄せておいたのだ。うちの葬儀場では、そのような配慮を今までしたことがなかった。
御詠歌は、「追弔和賛」と「いろは和賛」の2曲が唱えられ、住職婦人は立ち上がって祭壇に一礼した後に左の袖に退場し、その間に会場スタッフが祭壇前のフロアに僧侶用の椅子を設置した。住職は、仏具を持って登壇して、間もなく読経が始まった。
理趣経の初段が終わって、司会者のアナウンスで焼香が始まった。遺族の焼香が終わり、参列者の前列から順にフロアの最前列に設置された6つの焼香台に並んで焼香をする。この参列者の人数だと、焼香を終えるのに、ゆうに20分はかかるだろう。
司会者は、さっき、焼香台の上の換気扇のスイッチを入れたけど、それ以外の調節つまみを時折動かしている。それがなんなのかずっとわからなかったけれど、住職の様子を見てわかった。住職は読経しながら時折、経机の上においてあるタオルハンカチで顔の汗を拭っていた。その様子を見て、司会者が祭壇上部にあるエアコンの調節を行っていたのだ。この寒波の影響で会場内の暖房は高く設定しているはずだけど、喪服姿でただ単に椅子に座っている参列者と、衣に身をまとって読経している僧侶とはその体感温度は違う。それを司会者が看て取って、住職上空のエアコンの温度や吹き出し口の調節をしていたのだ。
(会場内の温度設定には気を配っていたけれど、参列者と僧侶、それぞれに配慮したことなど今までなかった…)
わたしを含めた参列者の焼香が終わったところで司会者が「ご焼香、誠にありがとうございました。」と取ってつけたように言った。
(そんなわかりきったことをどうしてわざわざ言うのだろう?)
と、思ったのだけど、その司会者のアナウンスで、住職が鐘を小さくひとつ叩き、阿弥陀陀羅尼の読経を終えて、次の光明真言へと移ったことでわたしはハッとした。
(これだけ多くの参列者の焼香だと、会場に背中を向けている僧侶にはいつ焼香が終わったのかわからない。この司会者のアナウンスで焼香が終わったことを僧侶に伝えているんだ…)
わたしは、恩師のことを思い出して感傷に浸ることよりも、この葬儀屋のスタッフや司会者の動きを目で追い、その意図することを考えてばかりいたのだけれど、最後の住職の法話で、再び、恩師にたどり着くことができた。
住職は、いつものように、“現世での家族から、過去に亡くなった家族の元へ故人が帰っていく”話をしたが、それに付け加えて“仏に願う・仏に求める”話をした。
「人間とは、とても未熟で 罪深い生き物である。だから偉大な神や仏を信じなさい。神や仏に助けを求めなさい。偉大な神や仏の教えであるバイブルやお経を勉強しなさい。祈りなさい。呪文やお経を唱えなさい。そうすれば許されます。そうすれば救われます。と、思われておられる方が多くいらっしゃると思います。しかし、自分の心の外の神仏に依存して、ただただ現世の利益を求めるのではなく、まずは、自分の心の中の仏性に気づくことが大事なのであります。それが、本当の“自らが求める”ということなのであります…」
果たして、この住職がわたしの恩師と檀家以外のなんらかの関係があったかどうかは、わたしにはわからない。
だけど、この住職の法話で、いや、それより少し前から、わたしは“私”に気づいていた。
わたしは、小さい頃から親の目に映る私を見、それからあとも、他人の目に映る私を見ようとしていた。それは、自分への自信の無さがそうさせたのかもしれない。でも、それを理由にいろんなことを許してここまできたような気がする。
無愛想でいい、ミス無くやれればいい、決められたとおりに執り行えればいい…
でも、その中で、参列者への計らいや葬儀を執り行う僧侶への“配慮”はあったものの、本当に“思う心”があったかどうか。
3人の男と付き合っている。でも、3人の男に好かれたい、愛されたいと思っていても、自分から愛したいと思っていたかどうか。自らが本当にいろいろなものを求めていたかどうか。
求められる人材、求められる職業人、求められる葬祭ディレクター、求められる女性… 自分に求められることばかりを気にして、自分が求めることを考えたことがあっただろうか。
わたしは、お通夜が終了すると、友達と短い挨拶をしてからすぐに、駐車場に停めてあった車に乗り込んだ。
ぎっしり車で詰まった駐車場を何台目かで雪で踏み固められた道路に出て車を走らせた。
綿雪は、細かい粒の雪に変わっていた。
ワイパーを間欠にして、いつものラジオは消した。
でも、わたしの心の中は澄み切った空気に占められていた。
聖夜の通夜 橙 suzukake @daidai1112
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