第2話 クレーマー僧侶
12月のある日、わたしの葬儀場で葬儀があった。
この街の小さいながらも古くからある建設会社の主人の葬儀だった。この葬儀も、“街の葬儀屋”が満杯でうちに回ってきた口の葬儀だった。
“故人が静かな環境が好きだった”ということから“葬儀も質素に行いたい”という意向が遺族にあって僧侶も一人で…と喪主は言っていたけれど、お斎会場になっている料亭の女将から「天下の○○建設さんがお坊さん一人ってどういうこと?」という進言があって、結局、僧侶は二人になった。
葬儀に参列する人を少なくするのはわかるけれど、“僧侶を一人にする”ということが故人の好みと関係するとは、わたしも甚だ思えなかった。
しかし、祭壇はさすがに質素にあつらえられ、葬儀場の儲けとは関係なく、故人の遺影がさらに寂しく見える感じがした。
開式40分前に僧侶が遺族の送迎で葬儀場に到着。間もなくして、スタッフが僧侶控え室にホットコーヒーをお持ちして、開式20分前に葬儀法要の打ち合わせに入る。この住職は過去に幾度も此処で葬儀をしているので進行の方はだいたい頭に入っているし、過去のプログラムをもう一枚バインダーにはさんで順次、確認すればよかった。
控え室の畳間の所定の位置にスカートの裾を直して正座。指をついてご挨拶。弔文と弔電が無いことを告げ、お髪剃りの後に棺桶の蓋を閉めるかどうかを確認し、ご焼香のタイミングを聞く。やはり、住職が諷誦文(ふじゅもん)を読み上げた後にご焼香だった。最後に、参列者の大体の人数を告げてから部屋を退室する。
立ち上がろうとしたときに、「この部屋、変わったんですね」ともう一人の助法の若い僧侶が言った。「ええ、先日、改装いたしました」と短く答えてから部屋を出た。まさしく、さきほどの住職が、以前、「この部屋は、なんだか居酒屋の小上がりみたいだね」と皮肉を込めてわたしに言ったことから始まって、わたしが会社に進言して後に改装したのだ。けっして、豪華ではないが、もう、あの住職に何やかやと言われることが無い造りになった。
葬儀は滞りなく進み、冷たい雨の中、火葬場へのお見送りを終わり、一息ついた。
20分後、参列者がマイクロバスで火葬場から戻ってきてからの追善回向の法要の打ち合わせに入る。蝋燭を変えるタイミング、ご焼香のタイミングを確認する。これも、以前までと同様のタイミングだった。
一旦、控え室を出たあと、蝋燭の色が赤だったか白だったか確認することを忘れていたことに気がついて、再び、控え室のドアをノックしようとしたときに、「…彼女は、本当に愛想が無いでしょ。いつもそう。無表情に事務的に淡々と喋るだけ。愛想もクソもないったら。ま、まだ若いしね…」と住職の声が聞こえてきた。
少し間をおいて、息を2回ついてからドアをノックして「失礼いたします」と言ってからドアを開け、「先ほど、お伺いするのを忘れてしまったのですが、蝋燭の色はいかがすればよろしいでしょうか」と尋ねた。ドア近くに居た住職は顔色ひとつ変えずに「赤から赤でいいかな」と答えた。「はい。ありがとうございました。そのようにいたします。では、よろしくお願いいたします」と言ってドアを静かに閉めた。
会場のセッティングを確認する前に、わたしはスタッフルームに戻って(気にしない。気にしない。あの住職はクレーマーなんだから。気にしない。気にしない。)と自分に言い聞かせた。
追善回向も滞りなく終わり、参列者と遺族が料亭のマイクロバスに乗り込むのとほぼ同時に地元の生花店のスタッフが生花の撤去に会場に入る。間もなくして、助法の若い僧侶がお経本や仏具の片付けに会場に入ってきた。一人ではとても持ちきれそうにないことがわかったので、わたしも住職席の前にある仏具の片付けを手伝った。
小さく丸い木製の容器を手にしたときに、開いているとは思わなかった蓋が外れて、容器の中から黄土色の粉が少し経台にこぼれた。すぐに、「すみません。私の不注意で中から粉が少しこぼれてしまいました。」と若い僧侶に言った。
「あ、いいんですよ。それより、大丈夫ですか。服、汚れませんでしたか?」と僧侶はわたしに言った。
「いえ、大丈夫です。ほんとにすみませんでした」とわたしが言うと、「ええと、池田さん、ていうんですね」と僧侶はわたしの胸に付けた漢字で書かれたプラスチック製の名札を見ながら言った。
「池田さん、これは、粉ではなくて、塗香(ずこう)といって、お坊さんがけがれを除くために読経の前に身体に塗るお香なんですよ。覚えておかれるといいですよ」と笑顔混じりで言った。
わたしは、こぼしたこともあいまってとても恥ずかしくなって「は、はい。ありがとうございます。覚えておきます。ありがとうございました」と早口でお礼を言った。
「いいえ、いいんです。それより、池田さんがそんな笑顔をされるなんてほっとしました」
「え!?」と短く言葉が出てしまったけれど、僧侶はそれには反応せずに、結局、仏具を全部一人で持って控え室に戻っていった。
(わたしの笑顔…? ほっとした…?)
会場の撤去を手伝いながら、僧侶の言葉がいつまでもわたしの頭の中でリフレインしていた。
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