聖夜の通夜

橙 suzukake

第1話 無愛想なキツネ顔

 “これからの成長産業” わたしが大学在学中にこの職業を志望した理由は単純明快だった。

 人はどんなに生き永らえたとしてもやがて死ぬ。かつてのベビーブームの頃の団塊の世代の人たちも十数年後以降には大挙して葬式をあげて墓の中に入る。少子化によって供給過多になるのはまだまだ先のことでそれまでは引く手あまたの事業になるに違いない…。

 もうひとつの成長産業である高齢者福祉の方も考えたけれど、昔から囁かれている“3K”にはかわらず、きっと、わたしには耐えられないだろうと判断して今の冠婚葬祭会社に就職した。


 “婚”も“葬”も経営している県内有数の大手のこの会社では、就職した後の研修で本人の適正が計られ、希望も加味して配属が決まる。わたしは、もちろん、“葬”を希望し、結局、そのとおりの配属となった。

 配属のお達しがある際に申し伝えられる上部の評価では、「事務能力の正確さに長け、僧侶並びにご遺族との打ち合わせ時における態度・正確さも良好。ただし、人と接する際の柔和な表情やご遺族に対する哀悼の気持ちを表す心遣いを課題とする。」とあった。

 この評価もまた、予想範囲内のもので驚くことはなかった。


 わたしの顔は、タヌキかキツネかといえば完璧に“無愛想なキツネ顔”だ。重ねて、表情もあまり変わらないことから、親や親戚からは「玲子は気持ちは優しいのに愛想無しだからね~」と昔から言われ慣れているので、端から“婚”向きでないことはわかっていた。わたしの目から見て、“婚”へは女も男もタヌキ顔が採用されていた。目を細くして笑顔を作っても余りある大きさの目で接客する彼らとは明らかに私は一線を画していた。

 そもそも、“葬”に“満面の笑み”は必要ないのだが、かといって、固い表情で良いわけはないのもわかっている。悲しみに暮れる遺族を前に冷徹な表情で淡々と式の進行を確認したり、相談を受けたりしても気持ちがいいはずはない。だから、わたしは研修中から鏡を前にちょうどいい具合の表情を作る練習を重ねてきた。

 だけど、進行表をはさんだバインダーを片手に、落ち度がないよう一つ一つの事項を確認していくうちにこのキツネ顔は無愛想という名のベールをまとっていき、顔を上げて鏡を見たときにはすっかり元の顔に戻っている。

 (それならそれで構わない。遺族や僧侶に失礼がないように通夜や葬儀を完璧に取り仕切ることに専念すればいい。)いつしか、わたしはそんな風に開き直って今までこの仕事を続けてきた。


 わたしが配属されたのは、ある小さな街にある葬儀場だった。この街には、古くからある個人経営の葬儀屋が1軒あり、わたしの勤める葬儀場は、いわば、新規参入だった。とうにつぶれたショッピングモールを改装して10年前にオープンした。わたしの会社のネームバリューは県内に住んでいる者ならば知らない者がいないくらいのものだったけれど、連日のように花輪が立つのは古くからある葬儀屋の方で、わたしがいる葬儀場は滅多に駐車場のロープが外されることはなかった。

 この小さな街に住む人たちは、小規模ながらも古くから親しんでいる個人経営の葬儀屋を使い、予定が埋まっていてどうしても葬儀屋が使えないときに仕方なくうちの葬儀場に電話する、そんな感じがオープンした当初からずっとあった。

 

 就職してから6年目の夏、わたしは、厚生労働省認定の葬祭ディレクター技能審査試験を受け、初めての試験で1級を取得した。

 この審査は、葬祭業界に働く人にとって必要な知識や技能のレベルを審査し認定する制度で、葬祭業界に働く人々の、より一層の知識・技能の向上を図ることと併せて、社会的地位の向上を図ることを目的としているものだ。

 葬儀及び関連する事項についての知識を評価するための「学科試験」。自宅や寺院等での式場設営の基礎技術であり、伝統的な式場装飾法である幕張装飾技法の習熟度を判定するための「幕張装飾」。家族と死別した直後にある遺族や関係者に対して、適切な応接をすることができるか判定するための「接遇」。葬儀ならびに告別式の内容を理解し、参列者に配慮して適切な案内・進行ができるかを判定するための「司会」。そして、質問に対して要点を正確に理解できているか、生活者の視線で、適切に、正確に情報を提供できるかを判定するための「実技筆記試験」の5つが試験内容となる。

 3年前に試験を受けて2級を取得し、その後も実地で経験を積み、先輩から試験に臨む態度や内容のアドバイスを受けてきたので、それほど緊張せずに普段行っている通りに試験に臨んで晴れて1級を取得することができた。


 これで、ようやく、この会社で胸を張って仕事ができることになったわけだけど、と同時に、30歳を前にして自分のプライベートを考えるようになった。家族からも、「他人の生き死にばかりを相手にして、玲子の相手はどうなの?」などと、より一層のプレッシャーをかけられるようになった。



 実は、こんなわたしも就職してから付き合っている男が3人いる。


 ひとりは、よくありがちな会社の同期の同僚。しかし、わたしにとって初めての彼氏で、初めての男だった。お互いの悩みや愚痴を交わしていくうちに自然と男女の関係になった。でも、彼の何が魅力か、と問われればすぐに言葉で出てこない、そんな男だ。逆に、わたしの何が魅力なのかと聞けば、「普段、働いている時と一緒にいるときの顔が全然違う。」と返してくる。要するに、仕事をしているときは無愛想なキツネなのに、男女の関係の時は豹変するというギャップがいい、とでも言いたいのかもしれない。


 もうひとりは、大学時代のサークルの先輩で、今は、ある会社の課長をしている男だ。葬儀場で偶然に会い、それから連絡を取り合うようになった。彼は会社や自分の家庭で忙しい最中でもまめにメールや電話をよくくれる。誕生日やクリスマスはもちろんのこと、正月やお盆やお彼岸に至るまで、二十四節気ごとに何やかやと連絡してくれる。わたしといえば、淋しくなった時だけコンタクトを取るのだけど、彼は何とか都合をつけて逢ってくれる。


 もうひとりは、この葬儀場でよく呼ばれる僧侶だ。もう、40歳近くだけれどまだ独身で、寺院存続のためにもお嫁さん探しに一生懸命の真面目で堅物の男だ。この男とはランチやドライブに行っているだけでまだ男女の関係になっていない。というか、このままでは永遠になりそうな感じがしない。


 でも、この3人の男と今後、社会的に結ばれる感じはとてもしない。

 そもそも、わたしには男に好かれる要素は何一つとしてない、と、ずっと思い込んでいた。小さい頃から親に厳しく躾けられ、児童や生徒の頃も道を外れることなく勉強と部活に明け暮れ、その間、彼氏と呼べるような男子は一人も居らず、誕生日やクリスマスは当たり前のように家族と過ごし、バレンタインデーは仲のいい女の子友達と手作りチョコを交換していた。

 告白したことがないからふられたことはないし、されたこともないからふったこともなかった。そんな心配を一度でいいからしてみたい、とすら思っていた。

 そんなわたしが、今は、3人の男と同時に付き合っている…


 これはどういうことなのか、いろいろ考えてみるのだけれどよくわからなかった。もちろん、いいか、悪いか、と問われれば、悪いに決まっている。だけど、就職するまでずっと彼氏がいなかったようなわたしが、なぜ、そんな悪いことをしているのか、それが自分でもよくわからなかった。



 骨と血の病気を抱えている女子の同僚がいる。会社では、わたしには到底無い明るさと上品さで立ち振る舞い、遺族や僧侶に対する心遣いも決め細やかな優秀なスタッフだ。そして、それは、彼女のプライベートの面でも変わることなく、上司やわたしを含めた同僚からも慕われている。

 しかし、命が尽きるまで続くその病と闘うのは並大抵のことでなく、日々の服薬はもちろんのこと会社の勤務が終わってからの通院も頻繁で、おそらく、肉体的にも精神的にも擦り減らす毎日を送っているはずだ。

 そんな彼女をずっと支えてきた彼氏と最近、別れた、と彼女自身から聞いた。理由を聞くと、「自分の身体には未来が無いし、彼氏に幸せになってもらいたいから私の方から別れた。」と答えが返ってきた。わたしは、返す言葉がまさしく何一つ見つからなくて頷くだけしかできなかった。


 知的障害と自閉症を併せ持つ弟がいる同僚もまた、そういう家族関係を微塵も感じさせない明るさと、すれ違えば誰もが振り返るような美貌を持ち合わせている。今現在、弟は、特別支援学校の高等部に通学しているけれど、彼女の父親はすでに亡くなっていて、母親が痴呆症で特別養護老人ホームに入居しているため、福祉施設の行動援護や日中一時預かりを利用しながらも休日は可能な限り自宅で弟の面倒を見ている。だから、彼女の勤務体制は葬儀のみで夜遅くなる通夜では勤務していない。

 「彼氏は?」なんてわたしが聞くと、「こんな状況でできるはずないでしょ。私と結婚する、なんてことになったら、あれもこれも背負わないとだめだから相手もそれ以前で二の足を踏むのよ~」と彼女は明るく笑いながら答えた。


 わたしには、こういう“事情”がまったくない。妨げる事情も時間の制約も無く、未来もある。

 だけど、“幸せ”を感じない。

 ほぼ、ストレス無く付き合える男が3人もいながらにして、ちっとも幸せを感じない。

 それは、なぜなのか。考えてもわからなかった。

 (いっそ、彼女らのように特別な事情が自分にもあったら変われそうなのに…)なんて無意味に思ったりもした。

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