ランジェリーの勇気

フカイ

掌編(読み切り)


 ランジェリーはイタリアの高級ブランドのものにした。

 白を基調に、シャンパンゴールドのあしらいが施してある。ブラジャーのカップの上側と、ショーツのお尻の上側にそれぞれ、レース模様がついている。肌につけると、そのレースのすき間から花と蝶が浮かびあがるというデザインだ。

 そういう細やかな愛らしさ以上に、付け心地やフィット感がとても素晴らしいのがこのブランドの特徴だ。

 イタリアン・シルクを使って、身体の微妙なカーブにやさしく寄り添い、ラインを補正しつつ、背筋を伸ばしてくれる気がする。


 そう。

 このランジェリーは、自分をきちんとした大人の女にしてくれる、と彼女は思う。

 いままでずっと控えめで強く自分を主張できなかった。会社でも、その性格が災いしてか、いいように仕事を押し付けられ、仕事上でイニシアチブをとる機会がない。

 容姿に関してはそんなに自信がないわけではない。バストこそ、そんなに大きくはないものの、上背があり、すらりとのびた脚は、短いスカートをはくことをためらわせない。性格だってそんなに悪くはないはずだ。いままでに多くの男性から告白を受けたし、思春期以降、恋人が全く途絶えた時間も少ない。

 しかし、恋愛経験が豊富で男さばきが上手いか、と問われるとけっしてそうではなかったと思う。

 恋人との別れの要因の第一は、彼の浮気であった。浮気がきっかけでなければ、彼の飽き、と言ってもいい。すくなくとも自分から別れを切り出したことはないし、その意味ではふられてばかりの恋愛経験だったともいえる。


 彼女はその原因を、自らの引っ込み思案な性格だと考えている。

 心のなかでは色々な思いがあるというのに、それを上手に言葉にできない。もどかしい思いが募ると、つい、心にもないことをいってしまったりする。街の広告で「話し方教室」の案内を見ると、つい、読み込んでしまう。そこに描かれる「覚えがありませんか?」の箇条書きのどれもが、まるで自分のことをいっているかのように思える。


 男性達が彼女に言い寄るのは、その引っ込み思案さを、奥ゆかしさだと思うからなのだ、と彼女は考えている。昔の日本映画に出てきた、言葉少なだが芯の強いおんな達。京美人やお嬢様などの先入観を持った彼らは、彼女を手に入れることに夢中になり、そして手に入れた後は、そのあっけなさに閉口してしまう。閉口した後は、彼女に隠れて別の女性を追い求めることになる。

 彼女自身は、手に入れられるまでの間の彼らの本当に熱心な求愛にすっかりしまい、彼らの後から熱を上げるタイプだ。そして彼女の熱が熟した頃には、彼らはそっと、彼女から離れてゆく。


 自分は多くを望んだわけではない、と思う。身の丈にあった、つつましい人生が得られれば、それで特に文句はない、と彼女は考える。しかし、と時折してしまう自慰の後に、彼女はひえびえとした心で思う。多くを望んだわけではないが、どうしてこう、自分にピッタリのパートナーが現れないのだろうか、と。


 セックスは、彼女にとってのとても大きなテーマだ。

 女性誌を読んだり、インターネットのブログを見たりするにつけ、多くの女性たちが性のよろこびを語り、そのめくるめくような体験を赤裸々に明かすのを目にするたび、居心地の悪い、とても落ち着かない気持ちになる。

 自分の思いとずれた恋人は、、奇妙なセックスを行う。愛撫が不十分なまま挿入に至ろうとしたり、逆にしつこいくらい何度も言葉で確認を求められ、気持ちがすっかり冷めてしまうこともある。20代も後半になり、そういったことが繰り返されるたびに、彼女の心は疲弊し、磨耗してくる。


 ―――夢など、見るものではない、と。


 自分にピッタリのパートナーなどというものは、ティーンの少女達が思い描く幻想なのであり、むしろそのありえない理想とが、人生というものなのかもしれない、と彼女は考え始めていた。

 セックス記事の載る女性誌の別ページには、ドメスティック・バイオレンスや親からの虐待などのひどい記事が載っており、それを読むにつけ、いままでそういった本当に悲惨な目に遭わなかっただけでも自分は幸福だったといえるのではないか、と彼女は思う。そして、定期的に、自慰行為にひたる。


 そんな負の循環の生活を変えてくれたのは、あるひとりの年上の女性との出会いだった。

 ある年、恋人のいない秋に彼女は和装の教室に通うことにした。故郷の実家の母が和服が好きで、いつか彼女は自分の箪笥たんすを娘に譲り渡すことを夢に見ていた。そのためにも、きものの着付けができるようになっておくべきだ、と彼女は考えたのだ。

 いくつかの教室のパンフレットの中から、ごく少人数で、個人宅で行われる着付け教室を彼女は選んだ。カルチャースクールなどで大人数で行われる教室では、自分の性格では気後れして質問などできないだろうと思ったからだ。授業料はかさむけれど、親切そうな婦人の教えてくれる着付け教室に、毎週土曜の午後、彼女は通った。

 襦袢じゅばんの着かた、おはしょりの整えかた、帯揚げのゆわえかた。40代のその婦人はけっして押し付けがましくなく、丁寧に和装の正しいやりかたを彼女に教えてくれた。互いの髪の香りが匂うほど身近で接し、着付けを教えてもらいながら彼女ははじめて、自分以外の世代の女性と仲の良い友人関係を持つことができた。


 土曜のスクールの後、彼女はその婦人を誘ってお茶を飲みにいくことが増えた。

 その場で婦人とは様々なおしゃべりをした。大学時代や会社での、同じような価値観をもつ、刺激のない友人達とは違う、新しい意見やものの見方に、彼女はとても感銘を受けた。

 そして彼女はいつしか、その夫人に自分自身の根源的な悩みを打ち明けていた。自分の素直な想いはいつも世の中に受け入れられず、いつも自分はなすがまま、流されるままに生きてきたのだ、と、ともすれば途切れそうになる言葉を継ぎながら、婦人に励まされつつ、訥々とつとつと彼女は語った。

 婦人はその言葉をしまいまで黙って聞いてくれた。そしてひとつの提案をした。


 ―――家にあるすべての下着をいったん捨ててしまいなさい、と。


 自分自身の性格を変えるのは至難の業だ。自己啓発セミナーをやっているわけではないのだから、そんなことはできるわけがない。できることといえば、人から見えない範囲で、変えられるものをひとつづつ、変えてゆくことだ、と。実にプラクティカルで合理的な考え方に、その時の彼女には思えた。

 襦袢の着替えで彼女の下着姿を見たときから、「もったいない」と思っていた、と婦人は言った。とてもキレイな体つきなのに、下着のお洒落を知らないのだと。安い国産のランジェリーではなく、ヨーロッパの高級な下着をつけると、背筋がしゃっきり伸びて、自然と胸を張るようになるのだ、と婦人は言った。和装を生業なりわいとしているから余計に、洋装の基礎である下着に、自分の興味はゆくのだ、とも。


 そして彼女はその教えを守った。

 毎月の稼ぎのある定額を、きちんきちんと下着を買い揃えることに費やした。その間、恋人を持つこともしなかった。どんなに言い寄られても、一生懸命お断りをした。時々抑えきれなくなる性欲は、インターネットで買った道具を上手に使うことでしのいだ。

 やがて、何ヶ月かが過ぎ、クロゼットの下着入れには、普段使いからデートの時までの、品の良いランジェリーが揃った。高いばかりで実用性の低い下着を買って後悔したこともあれば、安くても身体に合う下着を見分けるのようなものも判ってきた。

 気づけば、下着選びは趣味といっても差し支えないところまできていた。

 例えば和装は趣味ではなく、実用的な技術として習得したが、洋服を買い求めるのと同じような熱情を持って、気に入りのランジェリーを定期的に選ぶようになった。


 やがて、自分が少しずつ変わってくるのを、彼女は感じていた。

 どんなに優しいそぶりをして近づいてくる男性でも、自分の気持ちが動かなければお断りすることを覚えた。

 そしてある男性に恋をした。

 自分から食事に誘い、とても楽しい時間を持つことができた。彼の気持ちはわからない。彼女も、その食事のあいだじゅう、わずかでもモーションをかけるようなことは言わなかった。そこまでのことはできなかった。でも、ずっと一緒にいたいと思った。彼と楽しく談笑しながら、終わりの時間が来なければいいのに、と激しく思った。


 そして今日。

 彼との二度目のデート。前回は仕事帰りだったけれど、今回はちゃんとした週末に。待ち合わせをして。

 下着はイタリアンブランドのものにした。白を基調に、シャンパンゴールドのあしらいと、上品なレース模様のあるとっておきのセットアップ。

 このランジェリーが勇気をくれる、と彼女は思う。

 もう下らない恋に振り回されるのはたくさん。本当に心を許せる人の前で、きちんと、自分の想いを伝えよう。それで断られたなら、それはそれで致し方がない。でも後悔は残らないだろう。



 このランジェリーが勇気をくれる。



 きっと、言える―――。



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