近接 3

 「……白月山の約束って知ってる?」


 白月山は登っちゃいけない山なんだけど、それを破って登ってきたんだ。そう、説明しようとした。


 凪月がゆっくりと瑛太の方を向いた。その顔はやっぱりどこか冷たくて不思議でそれで好奇心を抑えているようだった。考えた。


 凪月の町でも白月山には登っちゃいけないのかもしれない。


 凪月は白月山の反対側の瑛太の知らない町に住んでいるらしい。瑛太の住む町では白月山に登ってはいけないことは誰でも知っていることだけど、その理由を瑛太は知らない。ひょっとしたら白月山ってのはなにか特別な山かもしれないし、もしかしたら昔は瑛太の住む町と凪月の住む町は仲が悪くてしょっちゅう喧嘩してて二つの町の境にあたるのが白月山かもしれない。だから凪月だって白月山の約束を知っていて、それでも何か理由があって登ってきたのかもしれない。それなら、僕も約束破って登ってきたんだ。そう説明するだけだった。でも、


 「その……約束って、どんなのですか?」


 あれ、知らないのか。

 

 そう思ったが、そもそも凪月の話では凪月の住む町からは白月山の頂上に舗装ほそうされた道があるらしいから向こうの町の人たちは白月山に登ることは禁止になっていないらしい。それどころか凪月の町では学校のよく分からない訓練とかで白月山に登るのかもしれない。


 「僕の住む町では、白月山には登っちゃいけないんだ」


 「……白月山ってどこの山のことですか?」


 「この、山、白月山って言うんだけど……」


 どういうことだろう。


 凪月の町では白月山のことを違う名前で呼んでるのだろうか。


 不安と不思議な気持ちが広がっていく。


 凪月がラムネを口につけ、ビンを傾けてまたしてもちょっとだけ飲んだ。気づけば辺りは暗くなっていて、瑛太の町では家の明かりと夏祭りの明かりだけが見えて山の輪郭りんかくとか木の姿は夜の闇に飲まれていた。ほんとは登っちゃいけないから誰もいないはずの白月山の頂上で、初めて会った女の子と夏祭りの明かりを見ながらラムネを飲んで話す。いつまでも瑛太はなんだか不安で不思議な気分だった。だから、そのモヤモヤを消したくて、――いや、本当は、ひょっとしたら凪月と話したくて、それとも話を聞いてほしかったのかもしれない。だから、


 訊こう、と決めた。


 話そう、と決めた。


 「さっきも言ったけど、この白月山ってね、僕の住む町では、登っちゃいけないだ。理由は知らない。でもみんな登っちゃいけないことだけは知ってると思う。でも、今日夏祭りがあって、そこで今井ってやつが白月山から花火を見てみたいっていうから、俺も、それで」


 ヒーローのことは言わなかった。やっぱり恥ずかしくて言えなかった。ヒーローのことは言わない方がかっこいいと思った。チラッと横を見たら、凪月はラムネを片手に静かに瑛太の顔を見ている。真っ暗闇なのに凪月の顔がはっきりと見える。どうやらこっちに近づいてきたらしい。


 「それで、さ、凪月の町では、この山はなんて言うの?」


 凪月はふるふると顔を小さく横に振った。揺れた髪からいい香りがした。


 続く言葉を待っても凪月は何も言わなかった。だから、


 「凪月って、ひょっとしたら引っ越してきたの?」


 ほかに何も思いつかなかった。凪月の住んでいる町だってこんな山奥だから小さいはずだし、仮にも白月山はこの辺りでは一応一番高い山だから、住んでいれば名前ぐらいは知っていると思った。


 凪月はこくっとうなづいた。


 だから、そのまま、訊く。


 「凪月は、なんで、白月山の頂上に来たの?」


 まず最初に聞いておくべきだったこと。

 

 でも、訊くべきではなかったのかもしれない。


 凪月に最初に声をかけられたとき、凪月に質問されたとき、瑛太のほうがびくびくしていたのに、今は凪月が小さく震えていて、その目は忙しく動いていた。


 「ごめん、……無理して答えなくていいよ」


 凪月の狼狽した姿を見てなんだかとても悪いことをしたような気がして、瑛太は凪月から目をそらして夏祭りの明かりの方を向いてラムネを口に流し込んだ。


 どうしよう。


 凪月はうつむいてちょっと震えていてラムネの水面が揺れている。瑛太としても白月山の頂上に来た理由を聞いただけで、こんなことになるなんて思ってなかったし、なんて声をかければいいのか分からなかった。


 なまぬるい風が吹き、どこかで鈴虫の声、葉っぱが揺れる音、七日目を迎えたセミの絶望の声、獲物をみつけた蚊の歓喜の声、ラムネの炭酸が抜ける音。


 五分くらいたったと思う。


 帰ろうか、そう言おう。


 「あのさ、もう、遅くなったし、今日は――」




 

 「ロケットを探しに来たの」


 生ぬるい風に吹かれて、現実が遠ざかっていく。




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