すずしい夏、あつい夏

秋山洋一

近接 1

 白月山はくげつやまの頂上から花火見てぇよな、その言葉だった。


 一緒に夏祭りに出かけたグループの、今井の言葉がきっかけだった。



 七月の中旬だからまだ夏本番にもなってないし、打ちあがる花火とかちょうちんの明かりをしみじみ見つめて、手のついていない夏休みの宿題の言い訳を考えるのはずっと先なのに、ちっぽけな町の真ん中のだだっ広い公園では夏祭りがあった。屋台のハチマキおやじが売ってる具の少ない焼きそばをほおばってラムネを飲んでりんご飴をかじりながら高杉瑛太たかすぎえいたは中学の同級生と花火を見た。空に飛んでいく花火のひゅーという絶望の声さえ聞こえた。花火の爆発する音やハチマキおやじのしゃがれた声の中で瑛太は、それでもはっきりと今井のその言葉を聞いた。だから、


 白月山に登ってみよう。


 そう、瑛太は思った。



 花火が終わったあとすぐに今井達とは解散して、家に向かう帰り道、いつもならあと三分も歩けば家に着くはずの道路の上で立ち止まって、覚悟を決めて右を向いてまともな道すらない山に入った。ひぐらしの声がどこからか聞こえた。くぬぎの木をよそに瑛太は上へ上へと進んでいった。これで白月山の頂上から夏祭りの明かりが見えたら、来年こそは今井達も連れて来て白月山の頂上で花火を見ようと思った。きっと見えるに違いない。それで明日になって、来年の花火は白月山の頂上で見ようあそこなら抜群の眺めだぞ、と今井に報告したらきっと瑛太のことをヒーローあつかいするだろう。毎日キンキンに冷えたラムネを山崎商店で買ってきて帰り道にくれるかもしれない。だって、


 白月山の頂上には行ってはいけない。


 それがこのちっぽけな町の約束だったから。


 いつからその約束を知っていたのかは覚えていない。でも確かに小さい時からその約束を知っていた。それは町に暮らす人の常識だった。だから、


 きっといい眺めなんだ。


 常識をやぶって白月山の頂上に登ってヒーローになるために山をどんどん登った。そもそもこんな低い山にのぼっちゃ行けない理由なんてないと思う。さっき夏祭りの公園から白月山を確認したときにはやっぱり低い山だった。たしかに白月山からは他の山に繋がっていて尾根伝おねづたいにこの辺りの山を見ると白月山は一番高いけどそれでも低い山だ。それにこの辺りの山は近所の子供にとってはちっぽけな町の遊び場で山に登ることは簡単なことだった。なのに、それでも、白月山には登ったことはない、今井も同級生も。でも約束なんてのは冗談で、きっと頂上には大人たちは登ったことがあるんだ、と瑛太は思った。大人たちは白月山の頂上に登ったことがあってそこからの眺めを知っていてきっと今日だって何人かはキンキンに冷えたビールをリュックに入れて山に登って頂上から花火を見ていたんだ。ひょっとしたら焼き鳥や焼きそばを運ぶ係がいて頂上では宴会えんかいが行われているかもしれない。


 そろそろ頂上だ、ゆっくりこっそり行かないと。


 瑛太が白月山の頂上に登って約束の秘密に気が付いたと知ったら、頂上で宴会えんかいをしている大人たちに怒られるだろう。大人達の楽園に子供が入るんだ、あっという間にうわさが広がって山崎商店にラムネを買いに行ったら一本百円と書いてある段ボールの値札に瑛太君だけ百五十円なんて書いてあるかもしれない。


 地面が平らになった。

 

 頂上だ。


 少し後ずさって一度斜面に身をひそめた。万が一にも見つかるわけにはいかない。ラムネの値上げは避けなければならない。


 平らな地面から少しだけ頭をだしてあたりを見回す。


 だれもいない。


 中学のプールと同じくらいの広さの平らな白月山の頂上の地面はむきだしの土だった。真ん中には古びた木の細長いベンチがあった。それ以外には何にもなかった。


 斜面を一歩登って平らな地面に足をつけた。ベンチに向かって歩いていく。このベンチに座って後ろを振り向いて町の夏祭りの明かりが見えたら明日はヒーロー。ベンチに近づいていく。ここまで後ろも振り返らないでにひたすら登ってきた。見えてくれ、と瑛太はいのった。


 ベンチの前に来た。

 

 目を閉じる。


 後ろを向く。


 座る。


 目を開く。


 ヒーロー。


 夏祭りの明かりと小さくなった屋台が見えた。


 もう辺りは暗くなっていた。ひぐらしの声も聞こえなくなって気の早い夏祭りよりもさらに気の早い鈴虫の鳴き声が聞こえた。白月山の頂上は花火を見る最高のスポットだった。


 罠か。


 ベンチから立ち上がって辺りを見回した。


 瑛太が白月山に登ったことを嗅ぎつけた大人たちは瑛太が頂上からの眺めに見惚みほれている間に近づいてきて肩に手を置いて明日からは百五十円なんて言ってくるかもしれないと思ったのだ。


 誰もいない。


 ベンチに座りなおして考える。なんで大人たちはここに来ないのだろう。よく分からないけど大人と子供の違いがあるんだろう。考える。ビールか。きっとあの泡立ちが良い金色のラムネを飲むと何でもできるような気がしてきっと空も飛べる気がして宴会が終わったら斜面を勢いよく飛び出してころんで永遠のでんぐり返しを決めながら泥団子になって道路に飛び出して近くを通った人がいのししと勘違いして大騒ぎになるのだろう。きっと誰もが通る道なんだろう。だから山崎商店のおやじはビールじゃなくてラムネを売ることにしたんだ。ビールなんて売ってたら泥団子が増えるから。でも瑛太たちは子供。泥団子にはならない。だから明日は


 

 瑛太の右肩に手が置かれる。


 ちくしょう、百五十円かーっ!!




 「ラムネ、一緒に飲みたいです」




 透き通った声だった。



 女の子だった。


 


 

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