近接 2

 「へぇえ?」


 ラムネ、一緒に飲みたいです。その言葉は聞こえていたのに瑛太は思わず聞き返してしまった。目の前の出来事に驚いた脳みその悲鳴が口から出てきたのかもしれない。すっとんきょうな声だった。

 

 女の子は動かない。


 目の前で起きた出来事を受け止められない脳みそを必死にたたき起こしてやっと少し落ち着いたときの感想は、きれいな髪だなぁ、というひどく的外まとはずれなものだった。そして動かない女の子を見つめ続けようやく気付く。女の子は薄水色のワンピースに低めのヒールを履いていた。汚れ一つないきれいな格好だった。脳みそがようやく働きだす。


 誰だろう。


 そんな服装と靴ではいくら白月山といえども登るのは危険だ。ひらひらしたワンピースは木にひっかかるだろうし靴だって木を踏んだりするだろう。舗装ほそうしてある道があるならまだしも白月山の頂上に繋がる道なんて知らないし瑛太だって道もない斜面を登ってきている。途中でそんな道があれば間違いなく気づくしその道を通る。それともどこかにちゃんとした道があってそれをこの女の子は知っているのだろうか。そうじゃないと瑛太と同じくらいの年の頃の女の子が白月山の頂上にその服と靴で来るのは無理だろう。思う。


 そもそもこの子はいったいなんのた――


 「あ、あの!ラムネ……」


 瑛太の思考をさえぎるように女の子が消え入るような声を出した。頭の中が少しだけ冷えたような気がした。とにかく聞きたいことはたくさんあったがまずは女の子の言うとおりにラムネを飲むことにした。ひとつひとつ解決していかないと頭がパンクしそうな気がした。


 「うん、……ちょうだい」


 女の子は瑛太の声にさして反応を見せることなく左手に持っていたラムネを渡してきた。それを受け取ってベンチの半分を譲る。右手に持っているラムネはどうやら女の子が飲む用らしい。女の子は瑛太が譲ったベンチの半分にゆっくりと腰を下ろしてラムネのシールをはがして玉押しを口にあてて思いっきり押し込んだ。瑛太もなれた手つきでラムネを開けた。女の子はそれを待って、


「乾杯です」


 女の子にならってラムネを持ち上げてぶつける。口に流し込んだ。白月山に登るのは難しくはないが夏祭りでは味の濃いものを食べたし夏の暑さで少し体だってべたつく。そこにラムネはありがたかった。だから瑛太は不思議に思わなかった。白月山の頂上にどうやってこんなにキンキンに冷えたラムネを女の子が持ってきたのか考えなかった。


 「やっぱりラムネは良いですよね、夏の風物詩って感じです。スイカも捨てがたいので悩みましたが」


 「……そう、だね」


 「私、黒川凪月くろかわなつきといいます。凪ぐって漢字分かりますか?あれと月で、凪月です」


 漢字は分かった。この町には凪津なぎつという町があるから。海もないこの町に。


 「僕は、高杉瑛太。高杉はそのまんまだけど、瑛太は、えっと……」


 言葉で説明する方法が思い浮かばなくて瑛太は空に文字を書いた。凪月はその文字を見てなるほどと言ってさらにラムネを飲んだ。そのまま空を見上げたまま、高杉君えいちゃんうーんえいた、などとつぶやいて呼び方を決めようとしていた。そして、


 「じゃあ、瑛太でいきましょう」


 そう言って凪月はラムネをさらに一口飲んだ。口が小さいのか一回に飲む量が少ないのかラムネはまだ八割ぐらい残っていた。凪月がラムネから口を放すのを見てなんだかちょっとエッチに思った自分をいさめるために瑛太はラムネを一気に口の中に放り込んだ。残りは二割くらいだろうか。口の中のラムネを飲み込んだ。そうすれば空いた自分の口から何か言葉が出てくれると瑛太は信じてた。いっぱい訊きたいことがあった。きみはだれ、どこにすんでるの、この町の子じゃあないよね同い年くらいだけど知らないし、なんでそんな服着てるの、足けがしてたりしない、どうやってここにきたの、――なんで、こんなところに居るの。言葉は出なかった。凪月の目がまっすぐとこちらを見ていて何も言い出せなかった。


 「私、あっちの町に住んでるんです」


 そう言って凪月が指さしたのは瑛太の住んでいる町とは反対方向でそっちを向いた瑛太には木しか見えなかった。今までと同じ身の上話なのかそれとも心を読まれたのかどっちだろうなんてことをぼんやり考えながら凪月の言葉を待った。


 「えっと、あっちの方にはちゃんと舗装された道があってここまで簡単に来れるんですよ。でも頂上に繋がっている道はさっき確認したらその一本しかなくて、瑛太が道も何もない斜面から出てきたときはびっくりしました。斜面をがむしゃらに登ってきたんですか?」


 「う、うん。……といっても、ほら、そこに明かりが見えるでしょ。あそこで今日夏祭りがあってその帰り道にここまで来たんだ。ここだってそんなに標高が高い訳でもないし、だからそんなに登るのが難しいってことはなくて、ほら、あんなちっぽけな町には……他に遊ぶところなんてないしさ、山登りは自然と身につくんだ」


 ちっぽけな町なんて言った後でこんな山ばっかりの場所に大きな町があるわけがないんだからきっと凪月の住んでいる町だって小さい訳でなんとなく後ろめたいきがしたもののとにかく会話の主導権をとっていろんなことを訊くために瑛太は喋った。


 瑛太の言葉を聞いた凪月は今日初めて見せたわずかな笑顔で夏祭りの様子を眺めて、いいなーりんご飴食べたいなー、などとつぶやいていた。考える。


 何から訊こう。


 訊きたいことはたくさんあった。それをひとつひとつ訊いていけばいいのに何となくそれをするのは失礼な気がしてだからこそ必死になって考えた。やっぱり何しに来たのが一番良いんだろう。瑛太の町では白月山には登ってはいけないことになっているのに凪月が住んでいる町にはそういう約束が無いのだろうか。だから、決めた、何しにここに来たのと聞いた後に、約束について聞いてみよう。質問が二つになったけど両方とも関係がある質問だから、これなら訊いても失礼じゃあな――


 いいなー、私も男の子になりたかったかも


 「それはだめっ!!」

 

 訳も分からず叫んでしまった。夏祭りを眺めながらつぶやき続けていた凪月がビクッとして瑛太を見つめた。


 「ほら、凪月さんは、その、ほら、わ、ワンピース似合ってるし!!」


 バカめ、と思う。ワンピースのことよりももっと言うべきところがあるだろう。スタイルがいいですねとか可愛いですねとか、あと……、


 不思議ですね――、とか。


 やっぱり頭がおかしくなっている気がする。初対面の女の子にそんなことを言うのも変だし、そもそも白月山につながる道があるといってワンピースとヒールで来る人がいるだろうか。いない。しかも、バッグのたぐいも持たずラムネを二本だけ持って。


 「ありがとう」


 そんななんだかモヤモヤした考えは凪月の初めての笑顔に吹き飛ばされてしまった。かなりの風だったから、多分、明日になってこないとモヤモヤは帰って来ないだろう。


 「気に入ってるんです、このワンピース。ちなみに、中も二つとも白ですよ、ワンポイントのやつです」


 二つとも?白?ワンポイント?


 全く意味が分からない。別のモヤモヤが広がる。訊きたいことがどんどん増えるのに何も言い出せない。いたずらっ子のような笑みを浮かべたあともう一度夏祭りを眺め始めた凪月の印象はラムネを差し出してきた時とはだいぶ違う。


 訊こう。


 凪月がこっちを向いていない今がチャンスだ、そう思った。まずは、何しにこ――


 「何しにここに来たんですか?」


 風に射抜いぬかれた気がした。それなのにモヤモヤが残った。風はモヤモヤだけを射止めそこねて凪月が住むという町の方へと吹き抜けていった。


 いたずらっ子の気配はなくなっていた。

 


 

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