月について語る
陽月
月について語る
今日はこれまでのデータ処理をして、などと考えつつ、研究室の扉を開ける。
「おはようございます」
「おはよう」
返ってきたのは一人分だけだった。そして、その一人にそのまま捕まる。
「これ、どう思う?」
そう言って、タブレットでイラスト投稿サイトのイラストを次々と見せてくる。
どれも夜のイラストで、僕から見ればどれも上手かった。どうと訊かれても、そっち方面の知識も目も持っていない身としては、どうとも答えられない。
「どれも上手いと思いますけど」
それはやはり望まれていた答えではなかったようだ。
「あり得ないと思わない?」
つまり、共通するあり得ない部分を探せば良いというわけか。改めて、イラストを見る。
「月ですか?」
求められていた答えを出せたようで、出題者の顔に嬉しさがこみ上げる。
「そう、もっとちゃんとって思うんだよね」
示されたイラストの夜以外の共通点。おそらく、三日月のつもりで描かれた高く昇った月。
イラストとしては、映える月ではあるのだけれど、実際にはあり得ない。
「とりあえず大きさは置いておいて」
そこは、無視するのね。
「この高さはないよね。単純に月の周期が30日として、太陽から遅れるのは1日につき、360÷30で12°。三日月なら太陽から24°遅れるだけ、日が沈んでくらくなる頃にはもう沈むってくらい。月齢5日でも48°だからね。24°なら、」
関数電卓を取り出し、なにやら計算をする。
「tan24°が約0.445だから、100m先の13階建てのビルってところ」
いや、その例えではわかりにくいですと、心の中で突っ込みを入れる。
「そこから暗くなる時間でも沈んでいくんだから、こういう高い位置にはない」
「有り明けの月なら昇っていくからよいのでは?」
ふと思ったことを口に出して、睨まれる。
「有り明けの月は昇っていく月だけど、すぐに太陽が出てくるから、結局この高さなら明るくなってる」
太陽の明るさが邪魔ならば。
「日蝕で暗くなればいいのでは」
あっ、今度はあきれられた。
「日蝕ってさ、月が太陽を隠すんだよ。つまり、新月なんだよ」
そうですね、考えが至りませんでした。すみません。
「あと、この欠け方もない」
大きい円から、小さめの円が削られている。左上もしくは右上の部分を消す形だ。
「こういう欠け方をするなら、別のものが重なった場合。月は太陽からの反射で光ってて、光る太陽側の面と影の面をどの方向から見てるかで決まるわけでしょ」
言いつつ、手元の紙に十字を書いている。何を書くつもりなのだろうか。
「とりあえず、月をx^2+y^2=1の半径1の円とする」
十字の上と右を矢印にして、円を描く。座標軸のつもりだったようだ。
「cos24°は約0.91と。だから、(x/0.91)^2+y^2=1の楕円ね」
x軸の0.9と-0.9くらいに当たりをつけて、楕円も描く。
「だから、三日月ならこう」
(0, 1)、(0.91, 0)、(0, -1)を結ぶ楕円の線と、(0, -1)、(-1, 0)、(0, 1)を結ぶ縁の線の内側に斜線を引いていく。ここが影の部分のつもりなのだろう。
「結構細いですね」
今度は期待通りの反応ができたようで、嬉しそうだ。
「そう、三日月は細いの。五日目ならcos48°が約0.67だから、」
言いつつ、当たりをつけて(0, 1)、(0.67, 0)、(0, -1)を通る楕円の半分を付け足す。
「私はこれくらいが好き」
「たしかに、このくらいの太さがあるといいですね」
「でしょ、でしょ。実際にはこんなきっちりじゃなくて、傾いてて、その方向きも時期によって違うんだけど。せめて、とんがってる二点を結ぶ線が円の直径になるようにはして欲しいところ」
「異世界でしたら、いいのでは?」
異世界が舞台のイラストも多かった。
「うんまあ、ちゃんと理由があればいいんだよ。例えば、月までの間に太陽光を反射しないもう一つの月があって、満月の時に重なってるとか。そもそも月の満ち欠けの原理が違うとか。でもさ、そこまで考えていると思う?」
正直、思わなかったので、首を横に振る。
「でしょ。原理が同じなら、欠け方だって同じになる。逆に、月が複数ある設定になると、それぞれで整合性をとらなきゃいけなくなる。西の空に三日月、東の空に有り明けの月が同時なんてのはない。どっちかは満月に近くないと」
「よくもまあ、異世界まで」
素直に感心した。
「まあ、これが私の月に対する愛ですから」
エッヘンと、胸をはる。
「そうそう、月に関してもうちょっとあって」
やばい、変なスイッチを入れてしまったかもしれない。
「ある漫画なんだけど、大潮の日の日付が変わる頃っていう設定なのに、ほぼ半月が南中よりちょっと傾いてるかぐらいの位置だったんだよ。夜中ですって表したかったのかもしれないけど、大潮なら満月か新月だって。半月なら日付が変わる頃に沈むか昇り出すかだっての。まあ、あの形は沈む方だったけど」
いつまでつきあわなければならないのかと思い出したとき、ピピピピとキッチンタイマーが鳴った。
「あっ、私はサンプリングしないと」
「どうぞどうぞ、実験は大事ですから」
実験室へ向かうのを見送りながら、キッチンタイマーに感謝をする。
ようやく、自分の作業を開始できる。
月について語る 陽月 @luceri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます