第2話  戦い

毎晩、ケイティーは夜の十二時頃に帰ってくる。古いフォルクスワーゲンの音で分かるのだが、ケイティーは帰ると、熱い湯に浸かる。僕はバスタブの前にあるトイレに腰を下ろして、ケイティーと話しをする。

「ケイティーの名前は何?」

「名前って?」

「出生届の名前だよ」

「キャサリンよ」

「・・・・・」

「なぜ聞くの?」

ケイティーが僕に聞いた。

「呼び名はケイティーよりキャシーの方がいいな」

「ダメ」

「キャサリンでもいい」

「ダメよ」

「自分の名前だろう」

「嫌なの」

「なぜ?」

「・・・・・」

ケイティーはためらっているようだ。

「自分の名前じゃないか」

「でも、嫌」

「そんなものかな?」

「そうよ」

「・・・・・」

キャサリンという語感が、ごくごく一般的で女性っぽい響きを持っているのが、気に入らないためだろうが、彼女の秘めた闘争心とでも言えるような激しさを知ると、彼女をケイティーと呼ぶのが相応しい、と僕は納得した。


その頃、ケイティーは多めに授業を取っていて、工場から帰ってからも、キャンバスに向かって絵を描く作業を続けていた。ベッドで寝ている僕は、数時間程ケイティーが休むのを感じるのだが、ケイティーは朝早くに起きて、大学に行く。

一月も過ぎると、零度を下回る日が続いた。朝、走るように階段を下りる音はケイティーが大学へ行く時の音だが、古いフォルクスワーゲンはエンジンの掛かりが悪いようだ。何度も掛けるが、エンジンの音がしない。僕はベッドから起きると、二階の窓を開け、そこから僕のフォードのキイを投げると、ケイティーはそれを受け取り、僕のフォードで大学へ向かった。友人にワーゲンのスターターを代えるよう頼もう、と僕は考えた。


ケイティーが風邪で熱を出したのは、それから数日してからだった。風邪の菌に疲れたケイティーの身体は無抵抗だったに違いない。工場から帰ってケイティーは熱い風呂に入っていたが、震えていた。額を触ると、やけに熱い。風呂の湯を熱くするように僕は言って、薬箱を見つけに行ったが、薬箱には解熱剤はない。田舎町だから真夜中に医者は見つけられない。そうしている内に、ケイティーは風呂から揚がり、バスローブに身を包んだまま震えている。

「医者に無理を言ってみようか?」

「ううん、必要ないわ」

「友達に相談しようか?」

「もう遅いからいいわ」

体を震わせながら、ケイティーが言った。

「アスピリンはないの?」

「無いかも知れない、前に飲んだから」

「どうしよう?」

「このまま寝るわ」

「・・・・・」

僕はこの国の事情が分からないまま、そうせざるを得なかった。

ベッドで眠るケイティーは、額が燃えるように熱い。目も虚ろで、苦しい咳ばかりだ。

友人にも連絡ができず、ケイティーは衰弱していく。このままだとケイティーは肺炎になるかも知れない、と僕は怯えていた。


その時、僕の脳裏に浮かんだのは、子供の頃、姉が肺炎にかかったことだった。姉は風邪をこじらせ入院したが、その時医者が病院の廊下で両親に、姉は危篤だ、と伝えた。母は狂ったように泣き出し、病気の姉を病院に連れて来られなかったのは、自分の責任だ、と言った。

「あの子が死んだら、それは私の責任だわ。私が殺したことになる」

母が叫んだ。

子供の僕は、悪魔が姉を連れ去っていくとい恐怖に震えていた。姉はその後回復したが、僕はその時の恐怖を長年引きずっていたのだ。


暗い夜空が白けようとする頃、ケイティーはうわ言のようなことを言い始めた。はっきりしないので、聞き返すと何の返事もない。・・・・・

その繰り返しが続いて、やっと眠ったと思ったら、急に起きて、服を着替え始めた。

「ケイティー、学校は無理だ」

「・・・・・」

「医者に行くのが先決だろう」

「・・・・・」

「ケイティー、・・・・・」

「大学に行くわ」

こう言って、ケイティーは出ていった。


昼頃、ケイティーは帰ったが、僕はケイティーの腕を取り、有無を言わさず車に押し込み、病院に連れて行った。僕は病院の待合室でケイティーを待ったが、程なくするとケイティーが戻ってきた。ケイティーは医者に注射してもらったと言ったが、帰りの車の中で寝てしまった。家に帰り、ケイティーを車から引きずり下ろしたが、ケイティーは眠ったままだった。僕はケイティーを抱えながらアパートの階段を上り、部屋に入った。

ケイティーをベッドに乗せて、僕はキッチンに行った。何か食べるものを作ろうと思ったからだが、ふと後ろを見ると、ケイティーが服を着替えている。

「ケイティー、何をするの?」

「働きに行くわ」

「ケイティー、病気で熱があるんだよ」

「・・・・・」

「ケイティー」

「・・・・・」

ケイティーは階段を下りていき、暫くするとフォルクスワーゲンのエンジンが鳴り始めた。

その夜、深夜に帰宅したケイティーはふらついたまま歩き、ベッドまで歩くと、ドッサッと倒れた。

明け方にケイティーの額を触れると、熱が引いていた。寒い朝だが、晴れて太陽の光が眩しいくらいだ。ケイティーは何もなかったかのように学校へ行った。

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ケイティー 鈴木 寛暁 @jhsuzuki

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