ケイティー

鈴木 寛暁

第1話 出会い

僕がアメリカでケイティーという女性に会ったのは、ある友人の家でのパーティーに行った時だった。パーティーといっても、酒を飲み、マリファナを吸う程度のもので、いつ行っても、いつ帰っても良い、気軽な学生の集まりだ。


パーティーのある友人の家に着くと、僕は車を止め、庭を通り、家に入った。夜の七時を回った頃で、二十人ほどの男女が集まって、リビングの床に座っていたが、ロックの音が部屋中に響き、部屋は暗く、マリファナの煙が部屋に充満していた。僕はこの家には何度か来ていたので、家の内部に不慣れではなかった。冷蔵庫からビールを取り出し、缶を開けて、それを飲みながら、床の空いた場所に座った。何人か顔見知りがいて、挨拶をしたが、特に会って話しをしたい人間がいる訳ではない。酒を飲んで、マリファナを吸って、音楽を聴いて、遅くならない内に帰ろうと僕は思っていた。


何度か冷蔵庫にビールを取りに行く内に、体が少し重たい、と僕は感じたが、それはビールとマリファナに酔っていたからだった。僕は壁に背をもたれながら、部屋中に鳴り響くロックの音に身を任せていた。そうしている内に、僕は僕の反対側に座っている女性から浴びせられている視線を感じた。重い瞼を上げて視線の元に目をやると、そこには美しい女性がいて、僕を見つめていた。

「君の名前は何と言ったっけ?」

僕は彼女に聞いた。

「・・・・・、よ。もう忘れたの?さっき紹介されたばかりなのに」

僕は激しいロックの音で彼女の名前が聞こえなかった。

「音楽がうるさくて聞こえない」

そう叫ぶと、僕は重い体を動かし、立ち上がろうとすると、彼女は自分の座っている位置を横にずらせ、彼女の横に僕が座るスペースを作った。僕はそこに身体を移して、彼女に言った。

「ごめん、音楽の音がうるさくて、君の名前が聞こえなかった。君の名前は?」

「ケイティーよ」

僕は彼女を目の前にして、その美しさに息を呑んだ。グリーンの瞳が美しい。

「君は綺麗だね、ケイティー」

僕はごく自然に僕の印象を彼女に伝えた。

「あなたはマリファナの吸い過ぎで、そう見えるのではないの?ストーンになったんだわ、きっと」

マリファナを吸い過ぎて、身体が動かなくなった状態をストーンになる、と僕達は表現していた。

「ストーンじゃなくて、ロックになったんだよ、きっと。・・・・・、でもマリファナは体に悪くない。常習性もないし、病院だって使っている」

「それは知っているわ」

「海外では禁止にしている国が多いんだよ。身体に悪いという理由をつけて」

「身体に悪いのならFDAがきちんと取り締まるわ。この国では真実を偽ることは決してしないもの」

「これを大っぴらにしないのはなぜか知っている?・・・・・、そうなったら酒のメーカーが潰れるからさ」

「そうかも知れないわ」

「酒は飲み過ぎると内蔵を壊す。 そんな酒なんかよりマリファナはずっと良いのに、・・・・・」

こう僕が言うと、

「社会なんて、そんなものだわ」

ケイティーが応えた。


激しいロックの音の中で、僕はケイティーに甘美な匂いを感じた。それがマリファナの症状であることは分かっていて、僕は突き上げてくる刺激を抑え切れずにいた。

ケイティーはジーンズに白いシャツを着ていたが、胸が開いていて、豊かな胸の奥に乳首が見えそうで、僕は息を飲んだ。胸元に揺れる金のネックレスが美しく輝く。

話をしている内に音楽が変わり、セクシーな声が叫び始めた。まるでベッドの中で相手を深く求める声のようだ。僕はケイティーの長い髪の上から耳に口づけし、吐息を流した。そうするとケイティーは肩を上げて、身をよじらせ、唇を僕に返してきた。それから、僕はケイティーの柔らかい唇をしっかり受け止めた。二人が一つになって、唇を求め続け、溶け合っていくことを望んでいる。


「外に出よう」

僕が言うと、ケイティーはうなずいた。

僕はケイティーの手を取り、車に中入り、近くの湖の畔に行った。

以前何度か魚を釣りに来た場所に行き、そこで僕はケイティーを抱いた。辺りに車はなく、人気がなかった。その上でケイティーは野獣のような声で僕を求め、僕はそんなケイティーの中に入っていった。


二人の関係が続くと、僕はアパートを引き払い、彼女のアパートに転がり込んだ。こんな風にして僕とケイティーの共同生活が始まった。


ここはアメリカの南部の州、アーカンソーにある。アメリカの州を総所得順に並べると、この州はきっと終わりの方に位置されるに違いない。ディープ・サウスと呼ばれた地域で、州を代表する都市はリトルロックだが、この町、コンウェイ、はそこから車で小一時間かかる小さな大学街だ。


ケイティーのアパートは大学のキャンパスから歩いて十五分程の所で、道路に面していたが、広いフロントヤードには車数台が十分停められるスペースと大きい花壇があり、そして敷地全体を囲む木々があった。木造だがアパート専用で、二階建てとなっており、一階に二ヶ所と二階に二ヶ所が部屋になっていた。ケイティーは二階の部屋を借りていた。建物の中央に入り口があり、そこに二階に上る階段があった。その階段を上ると踊場で、そこに二階の部屋へのドアが左右にあり、ケイティーの部屋は右手だった。部屋へ入ると、リビングとキッチンが建物の正面の方向にあり、その奥に寝室とバスルームがあった。リビングとキッチンは正面に大きな窓ガラスがそれぞれにあり、太陽の光が燦々と注ぎ込む。寝室とバスルームの窓からは木々が見え、部屋を裸で歩いても平気でいられる程、緑で包まれていた。ケイティーはそこに五年程住んでいるといっていた。


ケイティーは高校を出て直ぐに大学に入ったが、資金がなくなり、ある企業で秘書の仕事を二年ほどして、また大学に戻ったという。学生のアルバイトで貯めた金を使ってしまったので、二年間会社で働いてお金を貯めて、大学に戻ったという訳だ。専攻は美術で、大学を卒業したら美術の先生になると言う。


僕がここに来たのは六ヶ月程前だ。日本の大学を卒業し、大企業に勤務したが、アメリカに行こうと思い立ち、二年程勤務した後、その会社を辞めてここに来た。会社で力が身につけば、その会社にいるつもりだったが、毎日が単純作業の連続で、怠惰な生活に嫌気がさしていた。大学から大企業に就職をして、そこで定年を迎えることが一番安定していて、それが日本の基本的なシステムであること、そしてそこから離れると、そこには決して戻れないことなどを僕は十分に分かっていた。しかし、腐ってしまわない内に力をつけておかないと、大変なことになる、というのが僕の考えだった。


この町の大学に行っているが、僕は授業には余り興味がない。専門分野については、日本の大学で勉強していたし、アメリカの文献も読んでいたので、新しく学ぶことはほとんどなかった。実務的なことについてのレポートなどが多いので、時間がかかるが、難しいことはなかった。僕は勉強をするためにここに来たのではなくて、アメリカという国が知りたくて、この田舎街に来たのだ。この国を知らなかったら、将来ビジネスが出来ないとの考えだった。


ケイティーは週末を除く毎日、午後の三時から真夜中まで、この街にある工場で働いていて、ボロのフォルクスワーゲンをけたたましい音を出して運転し、家と工場を往復していた。僕は留学生のため就労ビザがない限り、働くことは許されなかったが、夏は無許可で働いた。しかし、学校が始まると、レポート等で時間が取られ、働く時間がなかった。


そんな生活だったが、週末になるとケイティーと僕はよく出歩いた。

秋の初めの大学キャンパスは、さわやかな風が吹き、木陰に入ると快適だった。草の上に身体を横たえると、子供の頃に嗅いだ香りがして、瞑っている瞼の中で遠い日々を思い出す。それは何処で、何時、とは分からないのだが、懐かしい場面と香りが再現される。日本にいる時は思い出すことはなかったのに、異国で思い出すのは不思議に思えた。隣に座っているケイティーはサングラスをかけたまま、専門書を読んでいる。秋の初めは木々の緑が鮮明だ。夏には強烈な太陽で霞んでいたのに、秋になると木々が生き生きと豊かな色を見せる。ワインを少し飲んだからかも知れないが、自然の中に身を置く心地よさを僕は満喫していた。


その時、ケイティーが言った。

「空に鳥が舞っているわ」

見上げると、二、三羽の鳥が空を飛んでいた。

「・・・・・」

「・・・・・、鳥が飛んでいることを書いた文章があるの」

「・・・・・」

「読んでみましょうか」

「・・・・・」

ケイティーはノートブックを取り出すと、広げて、文章を読み始めた。しかし、読むのが早すぎて、僕には分からない。そうすると、ケイティーはゆっくりと丁寧に、その文章を僕に読んで聞かせた。


「これは好きな文章で、ヘンリー・ソローという思想家が書いたものなの。この国の精神的なバックボーンを形成した一人なのよ」

「・・・・・」

「私が、湖の辺で、釣りをしていると、突然、大きな音がして、私は、空を見上げた。空には、美しい鷹が、飛んでいる。しなやかに、飛んでいる、鳥の羽は、サテンの生地か、貝殻の裏のような、輝きを、太陽の光の中で、見せている。これは、私が見た、最も美しい、鳥の飛行だ。

鷹は、ただ、羽ばたいているとか、空に、舞っている、というものではない。空を、自由に、大胆に、舞っていて、まるで、スポーツを、しているか、のようだ。気ままに、落下していくが、何度も回転し、美しく、宙返りをする。まるで、足を地に、着けたことなど、ないかのようだ。

それは、一人だけで、スポーツを、楽しんでいて、他の、誰をも、必要としてはいない、ように見える。必要なのは、朝と空、だけのようだ。

それは、孤独には、見えなかった。しかし、それを見る、すべての者を、孤独にさせた」

「どう?」

「うん・・・・・」

「どうなの?」

「自由、・・・・・か?」

「そう」

「自由であること?」

「そうよ」

「・・・・・」

ケイティーは僕の同意を得たかのようにうなずいた。

この国がそのために膨大な犠牲を払ってきたことを僕は認めざるを得なかった。


秋が深まり、サンクスギビングの休みになると、僕は七面鳥をバーベキューで料理することにした。実はこの料理はリトルロックで働いていた時に憶えたものだが、この話を聞いて、ケイティーは喜んだ。僕は特上のターキーを買ってきて、アパートの裏庭で料理した。焼き上がるのに一時間程かかり、痺れを切らしたケイティーはチーズとワインを始めた。

煙が上がる裏庭には紅葉した木々が静かだ。鳥の鳴き声の中を歩くと、枯れ葉を踏む音がする。薪の煙は深まる秋の香りを漂わせている。種まきに始まる作業が、実りと収穫という時期を迎える時、自然は最も豊かに語りかける。

ケイティーは深いグリーンのセーターを身に纏っていたが、緑に包まれてケイティーのグリーンの瞳が鮮やかに輝いて見える。

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