友を殺す日

一齣 其日

友を殺す日

友を殺す日


 維新が成って、早十年。

 この十年というのは、まさに世を構築する土台を固めた時代ともいえよう。

 かつての藩を解体し新たに県を置いた廃藩置県、それまで米を本位とした年貢制度を取りやめ地価によって税を払うことにした地租改正など、新たに世の旗手を務めた明治政府は様々に世の仕組みを変えてみせた。


 しかしながら、その変革に反発する者も少なくはない。


 特に、家禄や帯刀などそれまでの特権が全て失くなり、また自分たちの居場所をも失くしつつあった士族などが反乱を幾多も起こした。

 佐賀の乱、萩の乱、神風連の乱……それ以外にも上げればあげるほどきりがない。だが、その血煙の戦いも先の鹿児島の戦でようやくひと段落が尽きつつつあった。

 そんなこの日この頃、かつて維新志士の一人でもあり現在は一警官として治安を守る山口義之助は、とある手配書を受け取った。


「これは、警官以前にかつての維新志士、そして剣の腕が人以上にたつ君だからこそ、受け取って欲しいのだ」


 新政府の中枢にいるさる人物より、直々に言葉を賜ると共に受け取ったその手配書。その内容に、義之助は目を疑った。

「……これは、なんなんすかね」

「見たとおりだ。君には、この男を捕縛して貰いたい。なお、生死は問わないとする。」

 生死は問わない、そう言うが実際は殺せと同じような話である。そんな手配書を、ただの一警官である義之助に託すのは、ある意味ではおかしいばかりである。

 だが、当の義之助はそんな疑問などさらさらない。いや、考えるべくもない。

 むしろ、どちらかと言えば、この手配書の中にある人物を殺すのなら、他の人間には任せられないし、何より任せてはならない、そんな思いが彼の胸中にはあった。

 しかしだ。しかしだからとて、彼はその手配書に納得の頷きをする事が、できない。その名前がそこにあるのを、目の前の現実として受け止めたくないが故に、か。


「坂堂……神崎」


 その声は、どうしようもなく震えていた。


……


 その男は、いつもこんなことを言っていた。


「別に俺は、この国がどう進もうとも知る由もない。だけれど、それで今ある動乱を前にして何もしないでいられるか? ……どうも俺は、そういうものを見て見ぬ振りをすることだけは許せない、何もしようしない俺を許せない。だからかもしれないな、お前の誘いに乗ったのは」


 幕末の頃、よく行動を共にした男のその言葉に滲む色は、どこか悔恨を伴っていたような気がしていた。

 坂堂神崎、彼と山口義之助は、幕末の京都を共に駆け抜けた戦友だった。

 時には背中を預けあい快刀乱麻をも潜り抜け、共が共に為すべきことを果たさんと生き足掻いていた。

 そもそもの話、神崎が維新志士の一人になったきっかけというのも、義之助だった。きっかけ、というかは義之助が仲間に引き入れたと言った方が正しいか。

 自らの過ちで、まさに絶体絶命の渦中に身を落としていた際に、そこに怒涛に斬り込んでみせ、血に染まる紅の刀を振るい、彼を救ったのが坂堂神崎なる剣士であった。

 その異様な剣捌きは、まさに旧時代を打ち壊し異国とも渡り合える新時代を生み出すものに違いない。義之助はその戦いざまを前に、そう思わずにはいられなかった。

 義之助自らも、剣には自信はあった。学問ができない分、己の体を鍛え上げ剣を糧に生きようと早二十年。彼の体は大太刀を両手に携え、震えるほどの力量を身につけていた。  

 しかし、その義之助自身が目の前の剣技にはかなわぬと両手を挙げる他なかったのだ。

 故に彼は熱烈、いや激烈な程に請いてようやく神崎を仲間にすることができた。


「俺は、ただ人を斬ることしかできやしない。それがどのように転がるかなど、俺にとっては知るよしもない。別に国を守ろうだとか、帝を立てるだとか、あんたら志士の考えも知らんと言い切るほかない。……そんな俺を仲間にとは、滑稽な話だな」

「何そんなことを言ってるんだよ! あんたはすげえ奴なんだぜ! あんたはこの国を変えられる! その剣で何かを変えられるんだよあんたは! だから、一緒に変えようぜ、この国を、そしてこの先をよ!」


 そんな、陽気なことを言い、共に駆け抜けたあの頃。

 宵闇の最中敵の目を恐れたあの時。

 戦場を駆け、新時代の到来を目にしたその日。

 全てを終わらせるため、北の果てまで戦い抜いたいつか。

 そして、成し遂げた明治維新。彼らの志は、未だ変わらず。しかしてその道は、別々にあった。

 共に築きあげるものを守らんという意志は確かに同じくしていた。

 だが、義之助は警官という道を選び、神崎はなおも燻る争いの火種を潰さんと政府の暗殺者となり、反乱分子を抹殺する道を選んだ。


「俺は、お前のように何かを変えて、そしてその先を守ろうというのはやはり向いていないようだ。俺の剣は、どう足掻いても救えも守れもしない、人殺しの剣だ。だからこそ、人殺しは人殺しなりにこの先を生きていくさ。そんな奴でしか為せない事もあろうしな。……達者でな、義之介」


 神崎のその言葉に、義之助は何も言えなかった。むしろ、彼はその生き方にそっと、背中を押すことしかできなかった。

 己の生き方は、己が決める。それが男の生き様というものだろう。義之助自身がそうであるように。


 そして、彼らは道を違える。己が道を突き進む。


……


「その果てが、こいつかよ」


 夕暮れ、日がもう陰りを見せるとともに、彼は一人沈んでいる。早々に酒をなみなみと注いでも、気分は全く晴れやしない。


「奴は確かに腕がたつし、彼のおかげで大きな戦いにならずに済んだ案件も多い。だがな、過ぎた力というのは怖いものだ。いざ、我らが彼の思いに合わずして、刃を首元にむけらたらどうする。

 それこそ本末転倒。そもそも、こちらにも多大な落ち度がある案件故に表沙汰にはできんが、彼はすでに我らが命令を無視して何名かの政府役人を討ち果たしている。

 もはや、西郷の最期をもって士族どももあきらめがついた頃でもあろう。彼への仕事も、こちらとしては回すつもりは全く無い、

 だからこそ、この今に彼を始末しなければならない。彼が敵に回ったが最後、我ら政府の上層部の首すら飛びかねん」


 それはあまりに身勝手、あまりに疑り深い話だった。

 しかし、話はわかる。暗殺者というのはいつだってそういうものである。その技量が敵に向けばいいものの、自らに向いたらと考えると恐れられずにはいられない者たち。また、その暗殺は政府が世から非難を浴びかねないものも多々ある。そんな者たちを、早々に排除しようとするのは、別段不思議じゃない。

 例えて言うなら、幕末四大人斬りが一人、河上彦斎か。彼は攘夷を叫び続け、明治政府が開国に向かうと知れば、声高に非難を繰り返した。こうした彼自身の信念に加え、先の心理が重なったが故に殺された、と言ってもよかろう。

 しかし、神崎の場合はそれは結局のところ、何も知らぬ他人が勝手に判断したことに過ぎない。その人間の本質、人格を知らぬ人間が、勝手に恐れ、勝手に殺すことに決めた。たとえ、政府の役人を暗殺したとしても、それはきっと彼が何らかの事を放って置けなかったに違いない。


「何にも知らねえ、政府の馬鹿どもが……!」


 やりようのない怒りは、拳となって叩きつけられる。ひび割れる机、血が滲む拳。だが、心は未だに高ぶり、渦巻き、混沌の最中にある。

 あの男を知っているからこそ、彼は許せぬ。あの友を信じられない政府を、彼は許せぬ。

 このままいっそ、あの分からず屋の政府に噛み付いてやろうか、とも思わないでもない義之助。直情な熱血漢は、年を経ても未だ変わらない。

 だが、それは義之助の道ではない。彼はあくまで、新たな時代を守る為に警官となった。その己が、その新たな世を壊すなどというのはあまりに愚かしく、また自らに反する。

 さらに言えば、手配書の男との道にも反することだろう。例え、義之助がそんなことをしでかせば、真っ先にその男が血濡れた刀を引っさげて斬りに来るのは明白。

 何せ、事を起こそうとする輩を見てみぬふりはできないと、散々言ってきた男であるが故に。


 馬鹿なことはできるもんじゃねえな。


 行き場を失った、怒りとも憤りともわからぬ感情。道はあれども行くか退くかもできぬ有様。

 突き刺してくる木枯らしは、そんな男を追い詰めるかのようである。最早、戻ることも立ち止まるかも許さぬ、そう言わんばかり。

故に、男は一人、迷い惑う。

 しかして、結局のところ、彼にとって道は一つ。今まで歩み進んできた道のみしか、彼には無い。迷い惑うなど、ただ愚かしいとしか言いようがない。

 男の行く道に、ただいつかの友が立ちふさがる、それだけのこと。

 また、例え、その手配書を無視したとしても、神崎という暗殺者は政府に狙われ続ける。いずれは己以外の者に斬られゆくであろう。誰とも知らぬ輩に斬られゆくのであろう。


「……それは、嫌だな」


 元はと言えば、維新を為さんが為の戦いの道へと引き込んだのは、義之助。彼と神崎が出会わなければ、そもそもこのような戦いにもなっちゃいなかっただろうて。


 元凶は、己自身。


 それならば、己が手で始末をつけるのが道理だろう。それこそ、共に背中を預けあって戦った友として。


「それが、ケジメってもんだろうよ」


 そして男は、剣を取る。

 幕末の血潮に浸れきった、己が剣を。



……



「……随分、遅かったじゃないか」


 その男は、幾多の屍の先にいた。

 その刀は元より、その身すら全身に渡り所構わず血に染まってしまっている。幾多の修羅場を潜り抜けてきたその体が負った傷は最早数えきれぬほどなのか、何重ものサラシをその身にまとっていた。

 しかして、その顔は笑みを見せる。だが、歓喜の色などそこにはない。

 あるのは悟りを見せた仏の如く……いや、仏というには穢れが過ぎる身か。しかして、どこか、それは人の子が浮かべるもののそれとは、境が違う有様だった。


「俺を待っていた……なんて訳じゃねえよな。もしも、そうだったら嬉しい話だけどよ」

「……残念だが、確かにその通りだ、義之助。俺はお前を……いや、何を待っていたわけでもないか」


 抜いた刀は納めず、しかしその体は義之助に向き直り、まるでその様はどこか立ち塞がるかのようだった。殺気こそそこには見当たらぬものの、どこか相容れぬ線引きがなされてるような、そんな感覚を義之助は覚えていた。


「俺は、生有る限り、為せる事を為さんがために生きてきた。……だが、それが正しいとは一度たりとも思ったことはないし、今でもそれは変わることはない。いつかはこういう時が来るのではないか、などとずっと思っていた。……まあ、それがずいぶん遅くて、よくもまあここまで野放しにしてくれたものだと、呆れていただけだ」

「へぇ……でもよ、お前、その時をむざむざ受け入れる気なんて、さらさらねぇだろ」


 その気ならば、すでにこの男は幾多の屍を越える前に死んでいるだろうし、そもそもこの死屍累々を築き上げる必要も、自らが奴の目の前に立ち塞がることも無い。

 奴は、生有る限り為せる事を為す、己が剣を振い続ける。その生き様を諦めてなど一片たりとも考えちゃいない。今この場でも、邪魔をするなら斬り捨てるに違いない。


「お前はナリも雰囲気も変わっちまった。でも、その心内は何一つ変わっちゃいねえ。そうだろうよ、神崎」


 だからこそ、己はこの男を斬る羽目になっちまったんだけどよ。

 両腰に差した太刀を抜き仰せ、構える。宮本武蔵の二刀流の如し、といえば聞こえはいい。だが、それは鍛え抜かれた体が為せる、単純な剛力の技でしかない。

 しかして、維新以来十年、とうに戦いから遠ざかり、平和な生活の中で治安を守る警察官だったと考えてみると、その風体は中々の物と考えることができる節もある。


「……お前も、変わっちゃいないじゃないか。あの頃のお前を思い出す……できうるならば、あの頃と同じく、背中を預けたいところ……だったが」

「だが、お前も俺も、こんな道の交わり方をしちまったんだ……まあ、覚悟しぃや」

「覚悟ならとうに決めてる……単純に、惜しいだけだ」


 お前を、斬るのが。


 そう言わんばかりの、戸惑いも迷いもない一撃。予備動作も、それどころか一瞬の間も無い。義之助にとってみれば、全く見えず、しかし辛うじて首の皮一枚に迫った殺気からなんとか逃げおおせた一撃。

 そうだ。既に事は始まっている。己と神崎が合間見えたときから、既にこの戦いは始まっている。そんな当たり前のことなのに、かつての友と言葉を交わし、和んでしまっていた愚かしい己に義之助は気づく。


 カッコだけつけてきっちりしてねえんじゃあ、割りに合わねえな……。


 あともう少し押し込まれていたら、頸動脈はプツリと切れ、血の雨は無惨に降り注いでいたことだろう。

 しかし今、義之助はこうして生きてる。それが結果であり、それが全て。過去を振り返るより、今迫る目の前の男を斬ることに、全神経を集中させる。

 神崎は次の機会を伺うかのように義之助を正面に見据え、赤めいた剣を構える。

 元々暗殺者としての剣である。人が逃げるよりも早く、尚且つ攻撃が攻撃と分からぬうちに斬るなどという出鱈目じみた剣速を持つ。それは、幕末の頃から今現在の明治までに、その刀が切りおおせた屍の山によって築かれたと言っても良い。

 その速度についていける自信を、義之助は持ち合わせてはいない。彼の自慢は力技。この生きてる間に鍛え上げた体から繰り出す、一撃の重さこそ彼の真骨頂。しかし、その真骨頂を活かすには、目の前の相手は分が悪いか。その力は、彼の速さについていけぬが故に。

 だが、糸口が無い訳ではない。掴むにはあまりにも細い糸口。しかし、そこさえ掴めば……勝機はある。

 腹は決まる。あとは一か八かの勝負のみ。互いに互いを見据え合い、出方を伺う。聞こえるは吹き荒ぶ風のみ。死屍累々のど真ん中、男どもは微動だにせずそこにいる。

 しかして、静寂はそう長くは続かない。

 動くは、いや消えゆくは血刀の男。これまた何の前触れもなく、その姿を消す。それはさながら、仙術が一つ、縮地の如し。

 義之助は、その気配を感覚で追う。体全体の神経は、姿が見えなくとも確かに感じる殺気を捉えている。前か後ろか、はたまた右か左か。


 否!


 義之助の目が向くは上。血刀を振り下ろさんとする神崎が、そこにいる。

 だが、気づいたところでどうだというか。既に、その刃は義之助の脳天を狙い迫りくる。

 だからこそ、その一撃を義之助はわざと受ける。当然、脳天などで受ければ即死な訳で、頭一つ分咄嗟に避けつつ、肩で受ける。若干重点をずらしたが故に斬り込みは浅く、また神崎の動きが唯一静止する隙。

 義之助が狙うはこの瞬間。肉を切らせて骨を断つ。まさにその言葉通りに、義之助の二刀が神崎をぶつ切りせんとする。


「お前らしい、な」


 しかして、神崎はその体を翻して、義之助の刀を避ける。と、同時に斬り込んだ刀を抉るようにして、傷口を広げつつその身を義之助の間合いから外す。

 これには義之助も苦虫を潰したかの顔。切らせた肉は、酷く醜い傷痕となり、チラチラと血を噴き出す。

 それでもなお、義之助は構える。しかして、その目の前に神崎はいない。鋭い殺気は、既にかの背中にて、刃を煌めかせる。


「そこかぁ!」


 未だ生きる右腕の大振りにて、背の元を一刀両断。しかし、またしても太刀は空を切る。

 目の前に神崎の姿は無く、だが奴の気配を先程よりもさらに鋭利に神経が感じ取る。空を切った刃が、その気配に切っ先を向ける。その先には、確かに神崎がそこにいる。


「甘ぇぞ神崎!」


 轟きの乗った刃は、神崎を続けざまに叩きつける。この一撃一撃は並みの岩すら一刀両断にしかねない。刀で捌こうとも、その捌きすら単純な力の前ではもろくも崩れ去る。故に、神崎は義之助の間合いの外へと出る。そして、敢えての納刀。態勢は低く、しかし確かにこちらに目を据える。

 何かある、そう義之助は気付くものの、闘牛の如く所構わず攻め入った。ここで様子見という判断もあったが、直情漢な義之助には様子見など眼中にすらなかった。

 一の太刀を振り下ろし、続いて二の太刀を振り上げる。


 その時だ、神崎の鋭利な殺気が、義之助を貫いたのは。


 刹那、総毛立つ義之助の体。

 しかして、その反応は既に遅し。かの膝に奔るは稲妻の如き一閃。義之助の一撃とすれ違い様に、神崎の抜き打ちが義之助の脚を殺す。

 これには堪らず義之助も膝を落とし、身動きすらままならない。もはや、脚は使い物にならないと言ってもいい。義之助の真骨頂も、脚の踏ん張りが無ければ、その威力も半減以上のものであろうて。


「勝負あったか……義之助」


 不甲斐なかった。

 ここまで力の差を見せつけられ、殺されずして戦えぬ体にされた、己が情けなかった。目の前に、神崎が迫る。その表情は、見えぬ。長く垂れ下がる前髪に、彼の顔は隠れてしまっている。


「……俺は、生きている。生きているからこそ為せるべきことがある。いや、為さなきゃあ俺はしょうがないんだ。この身が朽ちるその時まで、俺は何かをせずにはいられない。……だから、お前がその前に立ち塞がるというのなら、俺は」


 息の根を止めると言わんばかりに、刀を振り上げる。夕陽の陰に、血を纏う刀はいよいよよく映える。

 ここにきて、義之助は目を地に落とす。全てを受け入れ、ここで死ぬ構えか。己が道は、奴が道の為に塞がれるのか。

 それも悪くない、そう思う義之助がいたのは確かだ。それこそ、友を殺すことになった悔恨から出るものではない。かつての友ならば、未だ迷わず道を突き進む友にならば、斬られてもいいとさえ思った。ある意味では、畏敬の念とも言っていい。

 だが、どこかそれに納得せざる己もいた。もはや勝負は決し、逃げる術もなく、ここで死にゆくが道理。しかして、それでいいのか。ここまで歩んできた軌跡を、全て棒に振って、ここで終わりとしていいのか。


 己が道は、ここで終着点なのか。


 義之助は、その問いに……頷くことができずにいた。否、頷くことを許すことができなかった。

 己は生きている。生有る限り、最後までその道を貫くのが真の道理。そうだ、奴も言っているじゃないか。生有る限り、為せることを為す、と。それならば、共に戦い生き抜いた己もまた、そうではないか。


 義之助の目は、閃光の如く瞬く。


 それは、今まさに神崎がトドメを振り下ろさんとした、その瞬間だった。そこは既に、義之助の間合いのうち。

 もはや踏ん張りはあてにならぬ。真骨頂の力業は、それこそ実力の半分も出せやしない。しかしここが好機。


 全てが終わりであると決めつけた神崎の油断こそ、最後の隙!


 それこそ、その二刀の動きは神速を遥かに超えている。己の道を未だ歩まんとする執念のなせる技。それが、トドメをささんとばかりに刀を振り上げた神崎の、ガラ空きの胴を狙い二刀両断す!

だが。


「お前はそういう奴だと……思っていた」


 義之助の二刀は最後まで空を切る。神崎が狙ったのは、その瞬間。先ほどのように防がれることも、躱す事も出来ぬこの瞬間。確実に一撃を与える、この隙。

 友だからこそ、その油断を突いてくるだろうと、彼は知っていた。友が友のことをよく知るように、友もまた友のことをよく知っていたというべきか。


「嬉しいな、義之助。……お前も、昔から……変わってない。昔のままに、為せる事を成そうとするお前が……俺は嬉しかった」


 そして、一閃は奔り、血飛沫は舞った。

揺らぐ視界に最後に映るは、底なしの友の笑み。


……


 目覚めれば、見慣れぬ天井が義之助の視界に拡がっていた。体の感覚は全くなく、指一つ微動だになりやしない。

 だが、ここがあの世かと言われると、あの世にしては現実感が妙に漂っている。鼻をつく嗅ぎ慣れない匂いだとか、吹き抜けてくる風だとか、それらの類が義之助をまだ生きていると感じさせるには十分であった。

 と、同時に思い出されるのは最後の記憶。神崎に敗れ、一閃の元に斬られ、そして己は終わった。義之助はそうずっと思っていた。   

 しかして、現実は違う。

 義之助は、生きている。まだ、ここに生きている。


「お目覚めの気分はいかがかな」


 労いの言葉と共に現れたのは、義之助に坂堂神崎抹殺の指令を下したさる人物……内務卿大久保利通であった。


「仕事は……しくじったようだな」


 とは言うものの、その顔には義之助に対する失望の色も、或いは怒気の色も見えない。感情の色がまったくもって見えない声色、とも言っていいか。そんな大久保に対し、義之助は向ける顔もなかった。

 そもそも、自分に向ける顔すらなかった。己が道を突き進まんと戦い、しかし最後に負け、しかもこんな無様に生き残ってしまっている。


「情けねえ……武士の恥だぜ」

「武士、か……。だが、今の時代その考えは危ういな。生きてこそ、為せるものもあるというものだが。それこそ、幕末の頃、彼がよく言っていたように」

「……あんたの口から、そんな言葉が出るとは皮肉だな、おい」


 その彼を殺せと命じたのは、他ならぬあんたのくせに。

 と、言いたいところであったが、大久保の悟りきった目を前にすると、その皮肉すら到底通じないように思えてならなかった。

 しかし、それもそのはずなのかもしれない。


「私にも私の道を進まねばならん。その為なら、万里の道を共に歩んだ友すら……私は殺したよ」

「……そいや、そうだったな、あんたは」


 先の戦、西南戦争にて大久保は結果的に生涯の友であった西郷隆盛を殺した。道を違え、己が道を突き進まんとした果ての事である。そこには義之助と同様、様々な葛藤があったろう。様々な苦痛があったろう。しかして、彼は己が覚悟を決め……そして友を殺した。

 その偉大なる三傑の一人と比べ、己はどうか。そんな問いに対し、沸き起こるは不甲斐なさ。目の前の傑人に比べれば比べるほどに、それは酷くのし掛かる。


「人は、己の道の為なら、時には非情な覚悟も決めなけりゃならねえ。……だが、俺にはその覚悟が足りなかった。多分、敗因はそこだろうよ」

「それはどうだろうか。私は、相応に君にも覚悟はあったように思える。そうでなければ、君の負った傷に説明がつかない。君はよく、覚悟を決めて戦った。だが……やはり神崎君の方が覚悟の度合いが違った、ということかもしれない。

 そして、あの覚悟はどう決まるかわからないものだ。実際に、彼の怒りに触れた者は尽く死に追いやられてる……例えそれが政府の人間だろうと、許せぬというならば、な。

 その尋常ならざる覚悟と力、それらがいつか我らの政策に反旗を翻して向かいくるかもしれぬと考えると……やはり、最悪の事態を想像せずにはいられんのだ、私は」


 だからこそ彼を殺すことにした、とでも言わんばかり。

 しかし、義之助もそこを非難することはできなかった。今となっては、納得せざるを得ないところはあるのも、確か。

 あの覚悟の強さは、どう転ぶかわからない危うさも併せ持つ。共に戦ってきたからこそ、その危うさをひしひしと感じてきたものだ。

 いつか、神崎を殺すことに対し何も知らない政府の馬鹿どもが、などと怒りの拳を叩きつけたことがあった。しかし、それは早合点だった。

 あの覚悟は、事を起こすということになるのならば明治政府すら敵に回しかねない。実際、敵に回してなお為せるべき事を為そうと生きる奴を、この目で見た。

 それならば……そんな大久保の気持ちも、肯定までは出来ぬもののわからないでもなかった。

 事実、あの覚悟により己が負けたのは確かなことであるがゆえに。


「でもよ……だったら余計に、あいつが俺を殺し損ねたことが納得いかねえ。あいつはあの時、俺を殺せたはずなんだ」


 あの時、完全に無防備だった義之助の頭を唐竹に割り、そのまま首から胴を一刀両断にし、始末をつける。それは、神崎ならば十分可能だった。


 それを、何故。


 その疑問は、いくら考えても晴れることはないだろう。こうしてどことも知らぬ場所で情けなく寝ているだけでは、如何せんどうしようもない。


「傷が癒えたら……もう一度俺に、やらせてくれ。俺は……あいつを」


 しかし、大久保はその懇願に対し、あまりに冷たい目を向ける。もはや、何もかもが遅いといわんばかりに。


「残念ながら……いや、我々には喜ばしいことでもあるが……坂堂神崎は、既に始末された」


……


 義之助は一人、ベッドの上に黄昏ている。

 当分は傷が酷いが故に、この病院で入院をしなければならないという。当然、職務も休職。この、虚しさ漂う一部屋にて、傷が癒える間は暮らさなければならないということだ。

 だが、これまで駆け抜けてきたこの人生、ここらが一つの休息所といったところかもしれない。幕末で戦い抜き、明治でなお築いた平和を守らんと警官として働き抜いた。そして、その果てに友を殺そうとし、殺されかけた。

 そんな人生に、一旦腰を下ろすのも、悪くないか。

 思えば友は、神崎は休むなんて言葉を知らず、己が道を駆け抜けて、駆け抜き切ってそして逝った。

 それが俺の生きるということだ、なんて言いかねないくらいの生き様だった。実際、彼にはそういう覚悟があったのだろう。


「お前の覚悟に比べりゃ、やっぱり俺の覚悟は甘っちょろいもんよ」


 神崎が始末されたことには衝撃を受けた。むしろ、あの男を始末できるだけの奴がいることが驚きだった。だが、やはり沸き起こるのは悔いだった。

 友である俺が、お前に終わりを告げることができたなら、どれだけ良かったろうか。誰とも知らぬ輩より、友である俺自身が。

 しかして、どれだけ悔いても全ては遅い。あの、大久保もそう言ったろう。


「覚悟は、決めるときに決めきらなければ、一生後悔する。君には、そうなって欲しくはなかったが……こちらにも事情がある。だから、そちらを優先させてしまった。君には、すまないと思っている」


 義之助には、彼を非難する言葉はなかった。そもそも、一度機会を与えてくれたのにも関わらず、それを棒に振ってしまった己が不甲斐ないだけである。それだけの話と、義之助は頷いた。

 しかして、神崎は死んだ。その事実を受けいたそのとき、脳裏に浮かび巡ったのは神崎とのかつての日々。

 共に戦い、快刀乱麻を潜り抜け、道を違え、そしてぶつかり合い、最後に見せたあの笑み。思い返してみれば、その笑みはあの戦いで見せた悟り切った顔とは違う、いくらか人間味のある、笑みだった。


 あの笑みは、なんだったんだ。お前はなんで、俺を生かした。


 答えなど出ない。出るはずもない

 その答えを持つものは、すでにこの世にもいない。

 答えを知ることなど、果てない空に手を伸ばすようなもの。


 だが、答えを出すことはできるんじゃないか。


 それこそ、神崎の知る答えではないかもしれない。己が勝手に導き出す、身勝手な答えであるかもしれない。

 正直な話、身も心も今は傷つき果てている。友を殺せず、友を殺させてしまったことに、やはりというか、悔いという傷は深々と残っている。


「けれど、そこで立ち止まるのは、俺じゃねえよな、神崎」


 生ある限り、道を行く。

 それは、神崎がよく言っていたことでもあり、あの最後の一撃の折、彼が奮起した思いでもある。


「今なお、俺には生がある。生があるのならば、道を行かなきゃ俺じゃあない。なあ、そうだろ」


 どこへともなく語りかける。己が決意を、語りかける。聞いてくれる友が、この世のどこにもいないとしても。

 答えなど知れない。

 だが、この道を行き続けることで出せる答えはある。ならば、出してみせようじゃないか、その決意を胸に。

 今は傷つき横になるしかない義之助。しかして、その身の内にはまさしく炎が燃え盛っている。その生がある限り、否、その生が朽ち果てるまで道を歩まんとするその気概こそ、彼の炎。

 揺らぐことはあれど、消え失せることはない。



 友を殺すその日に、友を殺せず終われども。

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