終章

終章

とりあえず、杉三の家でカレーを食べた蘭だったが、食欲はまるで出ず、カレーの味もほとんどわからなかった。杉三が目の前で、いつも通りにべらりべらりとカレーを食べられるのが本当にうらやましい。どんな時でもいつもと変わらず生活できる人なんて、本当に一握りなんだなあと改めて思ってしまう。でも、人間だもん、杉ちゃんみたいにああして平気な顔していられる人のほうが珍しいぞと自分を許してやる。まあ、甘えているのかもしれないけれど、今の蘭にはこれしかできないのだった。

カレーを食べ終えて、蘭は自宅に帰った。杉三がすぐに帰れなんていうことは、めったにないが、今日はとても杉ちゃんの家で長居をしている気にはなれなかった。それよりも、気持ちの整理をしたいというか、自分だけは真実を伝えられることはなく、味噌っかすにされてしまったので、思いっきり泣いてしまいたいという気持ちのほうが強かったのだ。そういう時には誰かにいてほしいというより、一人でいたほうが良いのだった。

自宅に帰ると、蘭は、テーブルにがくんと顔を付けた。もう、みんな知っているだろうな。青柳教授も、恵子さんも、ブッチャーも、カールさんも、、、。そして、一番身近にいる杉三も。蘭には知らせるな、あいつはこういうことにはことごとく弱いから。と、いうことで決着がついているのだろう。と、いうか僕が、大喧嘩して、愚鈍すぎたのか?

いつか、水穂に頼まれて、杉ちゃんはベートーベンのテンペストを買いに行ったことがあったな。きっと、あれを演奏することができたら、水穂も幸せだったんだろうな。それなのに僕ときたら、あんな大喧嘩して、かえって容体を悪化させちゃったか。ほんとに、僕という人は、ダメな男だ。喧嘩をしないで、あいつを平穏にさせてやることが一番だと思っていたのに。馬鹿だよなあ、、、。これなら、杉ちゃんみたいに面白おかしくさせてやれば一番良かったんだ。

ふいに、スマートフォンがなった。

も、もしや、と身構える。スマートフォンを取るにも躊躇してしまうが、何とかして取り、電話の差出人を調べてみると、予想した番号ではなく、鈴木裕子さんのものであった。

「もしもし、伊能ですが、、、。」

「あ、裕子です。この間はどうもありがとうございました。主人も私も大変お世話になりました。」

確かに声の主は裕子さんで間違いはない。

「その節はほんとに、ありがとうございます。わざわざ、古川先生まで紹介してくださって。」

「いいえ、私もお役に立てて光栄です。水穂さん、あれからどうですか?涼先生ともうまくやっているでしょうか?」

ところが、蘭はこの質問に対して答えが出せなかった。涼が訪問することを水穂が承諾したことは知っているが、その結果どうなったかはまったく知らされていない。だって、電話をしても何も知らせてくれないし。そういうことを聞きたくても、恵子さんに電話を切られてしまっている。でも、裕子さんに結果を知らせなければ、申し訳が立たないじゃないかとも思う。

「あの時は、本当に私も驚いてしまいましたが、涼先生ともよく話して、何か良い病院に行ってもらうとかそういうことをしてくだされば、、、。」

何を言うのだ。あいつが病院でどうのなんて、逆立ちしてもできるはずがない。

かといって、何も聞いていないなんて、いうこともできないので、

「すみません。仕事が忙しくて、最近製鉄所とは連絡が取れてないのです。」

とだけごまかした。

「で、今日はどうしたんですか?お電話よこしたりして。」

おもわずそういってしまう蘭。裕子も、本来であれば電話をかけてまずかったか?など言ってしまうのだが、今回は、そういうきもちにはならなかった。

「ええ、なんだか突拍子もないお話ですが、実はデパートの掲示板に、こんな団体があると張り紙がしてありまして。」

そういって、裕子は、張り紙の内容を話した。蘭にして見たら、自分の失敗話を子供に語って聞かすなんて、おかしな話だと思った。でも、きいているうちに、成功譚ばかり聞かされるよりも、失敗から立ち直る方法のほうが、遥かに必要かと考え直した。確かにそうかもしれない。それがないために、一生をダメにしてしまう子供が多くなったら、日本が希望の持てない国家になってしまうだろう。懍たちは、商売繁盛でよいのかもしれないが。でも、喜ぶことではない。

「それでね、私も参加してみたいなと思うんです。まあ、私は何の変哲もない平凡な主婦ですが、それではいけないと語ることくらいはできるかなと。」

なるほど、主婦となって、無価値なことをずっと続けていくと思うと、気が遠くなって鬱になってしまう人もいる。確かにそれも個人の生き方ではあるけれど、本人にして見たらものすごくつらい。それも子供たちに語ることもある意味では必要だ。

「あ、わかりました。じゃあ、これからは、そうやって活躍していく訳ですか。」

蘭は、自分が悲しいときにこういう前向きな話をされても、何の嬉しくもないので、はやく電話を切りたかった。

「ええ、でも、応募条件がありまして、一つ何か物語を書いて、提出しないといけないんです。だから、今日から製作に取り組みたいんですけど、主人が肖像権とかの問題があるから、実在の人を描く場合、許可がいるというんですね。確かにそれはそうなので、お願いしたくて電話をしました。あのときの、製鉄所の事とか、書かせていただけないでしょうか。もちろん、名前なんかは変更して、皆さんだとわからないようにしますから。」

「そうですか。まあ、そういうことは僕ではなく製鉄所の主宰者である、青柳教授にしていただけないでしょうかね?」

蘭は、自分には決定権はないので、そう伝えただけなのであるが、過敏な裕子は、ちょっと落ち込んでしまったようだ。

「そう、ですか。でも私、残念ながら製鉄所の番号を知らないものですから、青柳先生にお話はできないので。主人なら知っていると思うんですけど。で、でもそれではいけないのですよね。わかりました。また主人に聞いて、製鉄所にかけ直します。すみません、お忙しいところ。」

「あ、ごめんなさい。ちょっときつい言い方してしまって。申し訳ありません。ご主人も忙しいでしょうし、はやく提出もしたいでしょうから、僕がちょっととりなしておきます。その方が、はやく話が進むと思いますし、お手伝いしますよ。」

これ以上他人を傷つけてはいけないと思った蘭は、いそいでそう言った。

「いいんですか?だってお忙しいのでは?」

「いえ、構いません。とりあえず製鉄所につたえておきます。」

「じゃあ、お願いしてもいいですか?私のほうからも改めて電話するようにしますけど、その前に。」

「わかりました。やっておきます。結果がわかったら電話しますから、それまで待機していてください。」

「どうもご親切にありがとうございます。もし、可能であればの話ですが、水穂さんに、お体がはやく回復されることをお祈りしていますと、お伝えくださると嬉しいです。」

回復なんて、もう望みはなくなったよ、と言いたかったけど、蘭にはできなかった。というか、それについて真偽を聞くことすら、辛すぎて過酷だった。

「じゃあ、すみません。お忙しいと思いますから、とりあえず今日は、」

裕子さんは、そんなことをいっている。

「あ、わかりました。じゃあ、また電話しますね。はいどうも。」

蘭は、そう挨拶して電話を切ったが、これまでの不安は、一層強くなったような気がした。でも、裕子さんに、折り返し電話をすると言ってしまった以上、何とかして製鉄所に電話をしなければならないな、と無理やり考え直した蘭は、もう、こうなったらどうにでもなれ!という気持ちで、製鉄所の番号を回した。

「はいはい、あ、蘭ちゃん。どうしたの?」

「あ、すみません。実は、裕子さんから連絡があって、製鉄所をモデルに小説を書きたいので、許可していただけないかというのですが。」

「まあ、またすごいことするのねえ。でも、大学の先生の奥さんだから出来そうね。旦那様がすごく偉いわけじゃない。すぐにやってよといいたいところだけどさ、そういうことは、青柳先生じゃないと決定権はないわよ。悪いけど、今日は先生、東京に出かけていて、明日のお昼にならないと帰ってこないから、帰ってきたらもう一回連絡くれる?」

あーあ、またタイミングが悪いときにかけてしまった。僕は、やっぱり貧乏くじを引くんだな。

「はい、わかりました。電話すると、またタイミングが合わないと困るので、明日製鉄所へ行ってもいいですか。」

と、言ったものの、もう一つの問題が浮かぶ。

「すみません。水穂に悪いですかね。」

「あ、来てくれて構わないわよ。水穂ちゃんだって、嫌な顔はしないでしょ。」

そうですか。でも、顔面蒼白なのは見たくないな、、、。

「でも、正直、こちらは辛いですし。水穂、どうしているんでしょう。もうずっと、最近は、寝ているしかないのかな。」

「寝ているっていえば、確かに寝ているわね。外を散歩してくると、多かれ少なかれ疲れるでしょうからね。でも、薬で無理やり眠らされるよりは、そのほうがずっと気持ちがいいみたいで、よく眠ってはいるようよ。」

「へ!外を散歩だって!ど、ど、ど、どういうことですか!」

「だから、文字通り最近よく公園に散歩に行っているわよ。涼さんと、しゃべりながら歩くのが何よりも楽しいんでしょうよ。もちろん、何かあるといけないから、ブッチャーがそばについているけどさ。男三人、外へ出て、馬鹿話をしている光景は、さぞかし名物になるんだろうな。」

信じられない話だった。あいつが、公園に散歩に行くなんて、二度とないだろうなと思っていた。

「じゃ、じゃあ、容体が悪くなったとか、そういうことは、、、。」

「そんなことは全然ないわよ。最近涼しくなってきたから、それもあるんじゃないの?」

万歳をしたいのと、力が抜けるのとを同時に感じる。

本当におかしな現象だが、一言で心情を表すとそうなるだろう。

「それもそうだけど、蘭ちゃん。製鉄所にはいつ来るの?明日の何時ころに来る?あたし、先生に連絡しておくから。」

「あ、すみませんすみません。たぶん、二時過ぎにはいけると思うんですけどね。明日は午後にお客さんの予定がないので、終わり次第そっちへ行くようにしますよ。」

「わかったわ。じゃあ、その通りにしておくわね。もう、変な風に考えて、それについてくよくよするのは、やめたほうがいいわよ。」

恵子さんは、電話の奥で笑っているような気がする。

それまでの、寝ているからダメよ、という応対は何だったんだと聞きたい気持ちもあったけど、もう力が抜けてしまって、蘭は何もいう気になれなかった。

「はい、すみません、とりあえず明日行きますので、教授にも水穂にも言っておいて下さい。」

「喧嘩はしちゃだめよ、蘭ちゃん。」

恵子さんは今一度念を押した。

「はい、決していたしません!」

蘭はちょっとムキになってそう返した。恵子さんが、全く、頭の硬い人ね、なんて言いながら電話を切った。電話が切れても蘭は、しばらくスマートフォンを操作できず呆然としたままでいた。もう、本人よりも、こっちのほうが疲れたよ。そういう人間の気持ちもわかってくれよな。青柳教授も恵子さんも。

翌日。

「本当に珍しいな。蘭が、一緒についてきてくれって頼むなんてさ。」

製鉄所に向かうタクシーの中、杉三が蘭にそういった。確かにそれは言えた。大体用事があってどこかへ行こうというのは、杉三が担当するようになっている。

「もう、変に茶化さないでくれ。じゃあ、行きたくないの?」

「ムキになるのはやめな。本当は誰よりも製鉄所に行きたくて、たまらなかったくせに。」

またからかわれちゃった。そのくらい、僕は単純な男なのか?一生懸命答えを考えて発言しているし、杉ちゃんみたいに、単純素朴な答えなんか出したことはないのに。

「でも、僕らが小説に登場するなんて、なんか恥ずかしいな。僕はどういう描かれ方をするのだろう。描くとしたら、この馬鹿ぶりをより強調して書いてもらいたい!」

「あのね、杉ちゃんを主人公にして書くわけじゃないんだよ。それに、青柳教授に許可をもらわないとできないんだから、まだ決定したわけじゃないでしょ。」

そういうことをいうなんて、杉ちゃんはやっぱり単純な頭なのだなと思うが、蘭としてはそういう単純素朴なところを描いてもらいたかった。意外にそういう発想をしたほうが、世の中を楽に生きられる場合もあるのだから。

「たぶん許可してくれるんじゃないの?青柳教授だって、厳しい人ではあるけれど、決して悪いようにはしないと思うよ。」

杉ちゃん、君みたいに、明るく楽しく生きている人は、細かいことなんて一切気にしないんだね。

「はい、着きましたよ。お客さん。」

運転手がそういって、製鉄所の前でタクシーを止めた。

「どうもありがとね。帰りも乗せてくれよ。」

「わかりました、いつ頃になりますか?」

「そんなこと知らないわ。それに、客に対して、迎えに来る時間を指定させるな。いくら人手不足だからって、客を振り回しているようじゃ、サービス業とは言えませんね。」

「はい。」

運転手は、それだけ言って、杉三と蘭をタクシーから降ろした。これを聞いて蘭は申し訳ないと言ったが、運転手はお兄さんも大変ですね。とだけしか言わなかった。

「まったく、兄ちゃんと間違えるなんて、運転手さんも鈍いな。僕は蘭の弟ではないよ。友達だからな。じゃ、また蘭に連絡させるから、帰りも来てね。」

運転手は、ポカンとしながら、製鉄所を後にした。

「もう、困るな。変な気使いされて。僕らみたいな障害者は、そんなに嫌な存在なのかねえ。普通のお客さんみたいな態度にしてくれればいいのに。だから、僕らは出かけてはいけないなんて偉い人は言うんだよ。本人の態度じゃなくて、付添人の負担しか見ないでさ。そんなに僕らは付添に負担をかける悪人なのかよ。ま、言っても政治家は馬鹿だから、製鉄所に入ろう!」

と、でかい声で言いながら、杉三は玄関の引き戸を開ける。本当にこういうしゃべり方は杉ちゃんでないとできない。逆を言えば、杉ちゃんは黙っていることを知らない。

「こんにちは!約束通り、今日来たぜ!」

はあい、といって、恵子さんがやってきた。

「あら杉ちゃんどうしたの?」

「いや、蘭が用事があるからついてきてくれっていうからさ。何でも裕子さんが製鉄所を小説化してくれるそうじゃないか!」

もう、すぐに用件をべらべらしゃべるなよ。

「そうそう、昨日蘭ちゃんが電話でそういってたわね。」

「楽しみだね。まあ、僕は文字は読めないが、水穂さんにでも頼んで読んでもらうことにするよ。」

こら、またそうやって負担をかけるな。

「そうね。水穂ちゃんも喜ぶわよ。でも、蘭ちゃん、約束の時間は二時と言っていたはずだけど?」

恵子さんが、玄関に置いてある柱時計を見た。まだ、一時を過ぎたばかりであり、約束の時間には到底早い。

「あれ?もう二時過ぎているのではありませんでしたっけ?」

と、スマートフォンを取り出して、時計を見ると、確かに14時を過ぎている。

「何を言っているの?まだ一時よ。蘭ちゃん、スマートフォンのアプリを、壊したままにしていたわね。」

確かに、時計アプリが一時間進んでいるのは知っていたが、それを直すのを忘れていた。

「ほーらみろ。だからデジタル時計っていうのは好きじゃないんだ。それだったら、やっぱり振り子のついているほうがいいよなあ。そっちのほうが、時間がゆっくり流れている気がして、僕は好きなんだ。」

「すみません。迷惑だと思いますので、出直しましょうか?」

蘭は急いでそういったが、

「いいえ、大丈夫。早く入りなさい。青柳先生も、もうちょっとしたら帰ってくるでしょうし。水穂ちゃんもそのうち帰ってくると思うわよ。」

「あ、水穂、あいつはどうしてますか!」

電光石火のように蘭は言葉が飛び出した。

「今日も公園に散歩に行ってるわよ。涼さんとブッチャーが一緒にね。」

「ほほう!そこまでよくなったんかあ!うれしいこと言ってくれるじゃん。まあ、人間、薬というものも必要だが、一番うれしいのは馬鹿話だよな!」

杉三がそういうとなると、恵子さんたちは杉三に知らせていたのだろうかと思う。やっぱり蘭には知らせるなと口止めしていたのだろうか。でも、口の軽いことで有名な杉ちゃんが、黙っていろと言われて、隠し通せるかどうかというのも疑問だった。

「とにかくあがって。もう外で待たせるのは、嫌な季節が近づいてくるわよ。」

「おう、ありがとう。お邪魔します。」

当然のごとく、杉三は製鉄所の中に入っていくのだった。蘭は、半分呆れながら、そのあとに続いた。

「本当にあいつは、、、。」

思わず恵子さんに聞いてしまう。しつこいかもしれないが、それだけ自分は心配しているのだということをわかってもらいたい。それだけである。

「ええ、結構楽になってきたんじゃない。この間、畳を張替えてもらったんだけどね、その時も寝ないでずっと待ってられたし。畳の張替えも結構手間のかかる作業だからさ。」

そうなのか!それをなんで言ってくれなかったの?知らせがないから、僕はてっきり悪くなったとしか思えなかったぞ。

「だから言っただろ。何かあったら、青柳教授が連絡よこすだろうって。まったくね、蘭ときたら、電車に乗っているのを忘れてるくらい心配して、もう、駅長に笑われたくらいだったぞ。」

え?そんなことあった?あ、そうか、車いすエレベーターまで運んでくれた人は駅長さんだったのね。てか、それを言ったら杉ちゃんにさらに笑われそうな気がする。

恵子さんは、応接室で待っているようにといった。暫く杉三が馬鹿話をしていると、ガラガラと玄関の戸が開く音がする。

「あ、帰ってきたかな?」

と、恵子さんは、玄関先に行った。同時に、どうもありがとうございましたとブッチャーたちが、言葉を交わしているのが聞こえてきた。本来であれば、すぐに駆け付けてお礼をしたいところだが、車いすの蘭にはそれはできなかった。やがて、ブッチャーが涼を駅まで送るからという声がする。恵子さんは、お茶でも飲んで言ったらというが、涼は次のクライアントさんが待っているのでといった。まあ、先生も忙しくて大変ねと恵子さんがねぎらって、ブッチャーたちは製鉄所を後にした。

同時に、ギイと音がして応接室のドアが開く。

「杉ちゃんごめん、もう少し待っててくれる?何とも人身事故で電車がまだ来ないらしいので。」

「わかったよ。そもそも、蘭が時間間違えたのが悪いんだから、気にしないでくれ。それより、口調も声色も変わってないな。よし、いい調子じゃん。テンペストを弾ける日も近いぞ!」

当り前のように杉ちゃんと会話しているのは、まぎれもない水穂だ。動きはまだ敏捷ではないけれど、少なくとも顔面蒼白ではないし、表情も穏やかである。

「よかったなお前!信じられない、こうしてまた会えるとは、、、。」

見る見るうちに蘭の顔に涙が出てきて、男泣きに泣いた。

「何泣いてるんだ。男は泣くなって、彫菊師匠に怒られるよ。それより、用事を伝えることを考えろ。まさかうれしすぎて、用事が何か忘れるなんてことはないようにしろよ。」

杉三がそういっても蘭は涙が止まらなかった。というか、用件を忘れたというか、思い出すのも忘れている。こんな言い方は文法的にいうとおかしいが、蘭はそういう気持ちになってしまったのである。本当なら、飛び上がって抱きしめたいくらいだ。

「蘭おかしくなったんかな。」

「いや、多分いくら言っても、人の言うこと聞かない男なだけだと思う。」

そのまま杉三たちは、療養中にあったこととか話し始めた。蘭はとにかくうれしくて泣き続けている。

「蘭、うるさい!」

「まさかと思うけど、何の用で来たのか忘れてしまいましたなんて、言わないでくれよな。」

水穂にそう言われて蘭ははっとした。

「図星か。」

「ご、ご、ごめん。」

蘭は、急いで手拭いで顔を拭き、裕子さんに言われたことを思い出す作業に取り掛かった。

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本篇10、杉ちゃんとテンペスト 増田朋美 @masubuchi4996

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