下
ドアが
長い黒髪の動きが、スロー再生のようにゆっくりと見え、次いで、ワンピースと肌の白さに目を奪われる。
雨戸が半分開いた、大きな窓を背に立っていたのは、恐ろしげな妖怪──などではなく、一人の
僕らより少し
「何よ、あんたたち。何しに来たのっ?」
小鳥みたいに澄んだ声が、僕らを我に返らせる。
「オマエこそ、こんなトコで何してんだよ。子取りにでも、さらわれて来たのか?」
「さらわれって、何よそれっ。人ん家に勝手に入り込んで、変なこといわないでよ」
元が整った顔してるだけに、妙な迫力がある。
「人ん家って、この廃屋が?」
「そうよ。ここは元々祖父母の家で、今は叔父の持ち物なの。ずっと空き家になってるから、不審者が入り込んだりしてないか、時々様子見に来るんだけど、まさか本当に侵入者がいるとは思いもしなかったわ」
堂々とした彼女が、嘘をいってるようには見えない。
これは、まずいことになったんじゃ……と焦りながら、僕は二人のやり取りを見守る。
「オマエ、一人で来たのか?」
「違うわ。叔父と一緒よ。今は外へ出てるけど、戻ってきたらスゴく怒ると思うわ。わたしには優しいけど、とても怖い人だから、早く帰った方が身のためよ。見逃してあげるから、とっとと帰りなさい」
居丈高に命じてくる少女に、瑞規くんはあっさり「わかった」と頷いた。
「ケーサツ、呼ばれちゃ敵わねーし、すぐ帰るよ。でも、一つ聞いていいか?」
「何よ?」
「その叔父とやらは、あんたには優しいんだな?」
「当たり前じゃない。わたしの大事な人を侮辱しないでっ」
激昂した少女へ適当に言葉を返すと、彼は僕を促し、もと来た道を引き返していく。
だが、外へ出た途端、いきなりルートを外れ、庭の隅の草陰にしゃがみ込んでしまった。
「ねえ、帰るんじゃなかったの?」
仕方なく隣に座って尋ねると、瑞規くんは建物を
「昭和の終わり頃、ここには中年夫婦とその母親が住んでたんだ。でも、彼らに子供はいなかった」
「えっ?」
「急に荷物まとめて出てったっつってたけど、その夫婦ってのが、彼女の祖父母なら、叔父も彼女の親も、いなかったってことだろ? まあ、こっから越した後、生まれたのかもしんねーけど」
「そんな話どうして?」
「調べたんだよ。それとあの女、手首にたくさん傷痕があった」
「ええっ!?」
あの状況で、そんなとこまで見てたの?
「とにかく、色々引っ掛かるから、叔父とやらが帰ってくんのを待つ」
僕に否やがいえるハズもなく、虫を気にしながら待つこと数十分。
日も傾き始めた庭へ、ついに誰かがやってきた。
叔父なんていうから、なんとなくオジサンを想像してたけど、来たのは若い男で、多分
ジーパンに黒いパーカーを羽織り、子供を詰め込む袋──ではなく、コンビニの袋をぶら下げている。
あの子と血が繋がってるとは思えない、爬虫類系の顔立ちで、なんていうか、あまりカタギには見えない人だ。
ホントにあの人が叔父さん?
「バカ。出てくんなつっったろ。人に見られたらどうすんだ」
口調はキツいが、彼女の頭をわしわし撫でる男の表情は穏やかで、似てはなくとも兄妹みたいに微笑ましい。
どうやら、彼女に優しいという話だけは、ホントみたいだ。
じゃれあう二人が、完全に建物へ消えてから、瑞規くんは立ち上がった。
「もう行こうぜ。あいつらが
「だね」
ようやく山道を下り、舗装路へ出ると、瑞規くんは「じゃあ、またな」と手を振って、自宅とは逆の方へ歩いていこうとする。
「えっ? 帰んないの?」
もう暗くなるのに。
「もう少ししてから帰るよ。それよか、
いきなり素直に謝られ、僕は面食らう。
「なかなか楽しかったぜ」
「うん、僕も」
正直イヤイヤだったけど、終わってみれば、サバイバルホラーゲームみたいで面白かったといえなくもない。
そこまで無茶なことも、させられなかったし。
そして僕は、瑞規くんと別れて帰宅し、いつもどおり服を着替えて、リビングでテレビを見ていたら、母が帰ってきた。
「ねえ、
開口一番そう聞かれたが、思い当たる節はある。
「帰りに、山道通ったからじゃないかな」
「一人で?」
「ううん。
ちょっと得意げにいうと、母は驚いた顔をした。
「あんた、有馬くんと仲いいの?」
「別に。たまたま一緒になっただけだけど」
「そう、よかった」
「えっ、何で?」
今の、まるで僕が瑞規くんと仲良しだと、問題あるみたいな言い方じゃないか。
彼の友達っていったら、クラス内ヒエラルキー上位者なのに。
理由を問うと、母は少しいいづらそうに続けた。
「夜遅くブラブラしてるのを、見たって人がいるのよ。夜遊びなんかして、親御さん、心配しないのかしら」
「夜遊びって、母さんが考えてるような悪いこと、する人じゃないと思うけど。ああ、でも、今日もどっか寄ってくみたいだったなぁ」
「そうなの? 何か、お家の事情でもあるのかしらね」
「さあ?」
何かワケありな瑞規くん。
不意に、昼間の言葉が、頭に浮かんだ。
──オレも、一緒に連れてってもらう。
こっちに背を向けてたから、表情まではわかんなかったけど、あれ、ひょっとしてマジだったんじゃ……。
「どうしたの? もうゴハンよ」
「ゴメン。すぐ帰るからっ」
僕はスマホだけ引っ掴むと、慌てて家を飛び出した。
彼のことが気になって、居ても立ってもいられなくなったのだ。
瑞規くんちは、小学生のとき、いつも前通ってたから知ってるけど、今は家にいるかな?
人も
彼とは別に、仲良しでも何でもない、出席番号が前後してるってだけの、ただのクラスメイトに過ぎないのに。
でも、ここまで来たら帰るのもアレだし、とりあえず家まで行ってみよう。
そう心に決めたとき、どこからか
「いいから、もう行けっつってんだろ」
「でもね、瑞規……」
「オレは一人でも平気だから、ほっといてくれよっ」
ああ、瑞規くんが叫んでる。
一緒にいるのは、お姉さんかな?
路上に停めた車の前、やっぱり顔は見えないけど、悲痛な叫びが胸を打つ。
誰かにさらわれたいくらい、家に帰りたくないのなら、それならいっそのこと僕がっ。
僕は背後から思い切り、瑞規くんに飛び付いた。
あのときの少女みたく、ぎゅっと抱き付く。
「うわぁっ!」
「なっ、何っ?」
そして、二人の動揺を無視し、高らかにいい放った。
「僕は、瑞規くんをさらいに来たっ!」
「さらう? 瑞規を?」
「和泉? オマエ、何──」
瑞規くんがいいかけた
「やだっ。それじゃあ、瑞規が受けってこと? やんちゃ受けのかわいい攻め? ありかも」
「オマっ、自分が腹痛めて産んだ子で、なんつー妄想してんだよっ」
僕も何だか気恥ずかしくなって、慌てて彼から離れたけど、何か今、他にも、妙なこと聞いた気が。
腹痛めて産んだ子?
疑問に思ってたら、お姉さんが「こんばんは」と、気さくに声をかけてきた。
「瑞規のお友達?」
「いえ、あの、同じクラスの和泉
「そう。あ、私は、瑞規の母です」
「えっ? お姉さんじゃなくて?」
若くてキレイで、瑞規くんに似てるから、てっきりお姉さんかと。
「もうっ、スゴくいい子じゃない。瑞規にこんないいお友達がいたなんて、安心したわ。これからも瑞規のこと、末長くよろしくねっ。死が二人を分かつまで。ううん、いっそのこと、比翼の鳥か連理の──」
「いいから、もう行けよ。8時過ぎるぞ」
今度は瑞規くんが、お姉さん、じゃない、お母さんの声を遮った。
「あら、いけない」と呟いた彼女は、「じゃあ、またね」と僕に挨拶して車へ乗り込むと、素早くエンジンをかける。
「今弟が入院してて、面会夜8時までなんだ」
遠ざかるテールランプを見送っていたら、横からポツリと声がした。
驚いてそちらを見ると、笑顔で補足してくる。
「別に、深刻な病気じゃねーぞ。昔っから食が細くて、貧血気味っつーだけで。オレもたまには行きてーけど、中学生は入れねーから」
「そっか。寂しいね、有馬くんも」
「まあ、オレは、そういうの慣れっこだし。今さら、どうってことねーけど。つーか、さっきのアレ、さらいに来たってのは何だよ」
急に話を蒸し返され、僕は
「それはその、み、有馬くんが、何かさらって欲しそうだったから……」
「はぁっ、何だそれっ。ばっかじゃねーの」
腹を抱え、一
「でも、オマエにさらわれたら、すっげー甘やかして貰えそうだよな。それも、まあ、悪くねーかも。少なくとも、退屈しねーで済みそうだし」
これは、誉められてるんだろうか?
それとも、バカにされてる?
まだ笑い続ける彼の真意は僕にもわからないけど、楽しそうだし、楽しいし、まあいいか。
そこで、ふと思い出す。
すぐ帰るとだけいって、家を飛び出してきたことを。
「ゴメン、有馬くん。さらいに来た、とかいっといてなんだけど、僕、そろそろ帰らないと」
僕の帰りが遅くなれば、瑞規くんにも迷惑かけちゃうかもしれないし。
てっきり呆れられるかと思ったら、彼は大して気にした風もなく、「なら、送ってくよ」といった。
「本物の子取りが出たら、大変だし」
「12歳は大人だから、大丈夫なんでしょ?」
教室でのやり取りを思い返しながらそういうと、発言者当人は「けど」と逆接の接続詞で応じる。
「オマエ、私服じゃ小学生にしか見えねーし」
「ひっどーい。そっちだって、帰り一人じゃ危ないんじゃないの?」
「オレは夜道慣れてるし、いざとなったら、『
「いや、それはどうだろう」
確かにそれは、かなり強力な
「いいから、もう行こうぜ、総吾」
「えっ?」
いきなりの名前呼びに面食らう僕へ、瑞規くんはくるりと背を向ける。
「置いてくぞ」
「待ってよ、あ、瑞規くんっ」
僕も慌てて後を追い、一緒に並んで歩き出した。
さいわいなことり 一視信乃 @prunelle
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