居住まいを正して鮨とさしむかい
フカイ
掌編(読み切り)
「こんばんは」といって、片手で紺色の暖簾をかきあげ、鮨屋の
初めてのお店。清潔なカウンターの奥のテレビでは、NHKのニュースがかかっていて。そんな、格式張らない街場の鮨屋がいい。地方に出かけた時の楽しみは、そんな地元の鮨屋に行くことだ。
見たことのない地方局のニュースを聞きながしながら、大将とすこしだけおしゃべりして。
最初は緊張して正していた背筋が、お酒とともに少しずつゆるんで。
ほんとうに見事な仕事をほおばったときに、自然に出る「うまい」のひと言。
それが板前の心をひらき、硬かったコミュニケーションがゆるんで、はかどって。
これも食べなよ、こんな風にして食べて欲しいんだよ。
そんな風な、大将の笑顔とともに、思い出深い握りが、瞼を閉じるといくつも浮かんでくる。
あの町では、しらすの軍艦。
朝とれた新鮮なしらすを、生のままで、軍艦巻きにしていただく。
トロトロとした歯触りと、おろし生姜のアクセント。ほろりとした
あの町では、アジ。
厳しい海流に揉まれて育った地魚の、鋭いうま味。
皮をはいで、白い身にほんのり残る、血あいのえんじ色と銀の鮮やかなコントラスト。そこに、水にさらした白ネギをごく細く切った薬味を乗せて。
アジのうま味と、ネギのさわやか。口の中で溶けあい、混ざり合う。ほどけるシャリと溶け合ってゆく調和。
青魚でいえば、サバ。
サバの沖腐り、という言葉があるほど足の早い魚だけど、朝獲れのサバを、その店では酢で〆ず、刺身で握ってくれた。
むっちりとした厚い身。断面はピンクとあずき色のグラデーション。握りを口の中に放り込むと、さっきまで土佐湾を
いまの旬なら、のっこみの真鯛。
冬を乗り越えて、抱卵して浅場にのっこんでくる桜鯛を釣りで仕留めた一品。
青魚のように強い香りを持たない白身の鯛は、昆布で締めて、一晩寝かしたくらいがいちばん美味い。
ねっとりと舌に絡む鯛の豊かな味わい。シャリと渾然一体となる旨味。まさに鮨、そのものといった味わい。
クルマエビだって、忘れられない。
大きな干潟の養殖場で大切に育てた国産のクルマエビには、そうそう簡単にお目にかかれるものではない。
生でいただくのが一番だけど、あえてボイルしたものを。
オレンジと白の縞模様に、華やかに開いた尾びれ。口に入れると、えび特有の強い香りが広がり、プリプリとした歯ごたえ、口の中ではじける繊維は、冷凍物では味わえない目の醒めるような食感。
頭も、さっとあぶって付け合わせてくれれば、なお結構。味噌と甲羅の香ばしい調和。
エビならば、ガサエビ。
身が弱く、数が捕れず中央まで出荷できないから、地元でしか食べられない貴重な味。握りは小ぶりな褐色と白の縞模様の身で、口に入れるととろけるように甘い。でも、甘エビやボタンエビのように、甘さだけが際立つわけではなく、そのゆるやかな身の溶けようが、また、たまらない。
甲殻類の後は、イカを。
スルメイカは、どの地方でも手に入れやすいポピュラーな食材だけど、その店ではその透けた白い身に一仕事、手を入れてくれる。
身に縦横に飾り包丁を入れ、筋を通す。そして身とシャリの間には小さくちぎった大葉を敷く。イカを乗せて、細い海苔で、帯をしめるようにシャリと種をむすんだら、たまり醤油をつけた刷毛で、身の飾り包丁をするりと撫でる。飾り包丁になじんだ醤油が、白い身にすぅっと十文字の文様を描いて、ツケ台へ。
口に入れると、包丁の入った身が、四方に広がって、なんとも楽しい。海苔と大葉の香り、イカのしこりと甘み。そしてシャリのバランス。すべてが見事。
見事というなら、あのウニを。
普通、ゆるい身のウニは、シャリにかこいのように海苔を巻いた軍艦に上から落とすもの。
でも、合羽橋のあの店のウニは違う。北海道は室蘭。噴火湾で採れた最高級のウニは身が締まっていて、握りの上に載せても身が持ち崩れない。身の上にパラリと一つまみの塩をまいて出されるそれを、一口で。
その身のねっとりとした舌触り、香りの
石鯛、ノドグロ、カレイ、ホウボウ、ノレソレ、カジキ、赤貝、忘れられないネタはたくさんある。
けれど最後は、マグロで。
「昨日、佐渡の定置でとれたホンマモンの地魚だよ」と、直江津の大将が出してくれたトロは見事、の一言だった。
マグロといえば遠洋もの、と決めてかかっていて、その店に入る時も注文するつもりもなかったのだけど。
あれこれ大将と魚の話をしながら鮨をつまみ、最後に彼が勧めてくれたものだ。
脂がのって、ねっとりと舌に絡む、深い味。ほどけるシャリの甘み、量とともに絶妙で、口の中で何度かスロウダンスを踊った後、そっと喉の奥に消えていった。まるで夏の終わりの花火をみるように。
居住まいを正して、お酒を飲みすぎず、またどこかの田舎の鮨屋のカウンターで、ゆっくりとおいしい鮨を味わいたいものです。
居住まいを正して鮨とさしむかい フカイ @fukai
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